イデアコチュジャン

モモモ

イデアコチュジャン

プラトンの教えに心酔した韓国宮廷料理人は真なるコチュジャン、イデアコチュジャンを探すリビドーを得た。誉れ高きコチュジャンを噂を頼りに求め歩いたが、残念ながらいずれもイデアコチュジャンの摸倣であり、真なるコチュジャンと呼べるものは一つとして無かった。



彼は路傍にてプラトンを思い出す。プラトンは言った。



知は二種類あり、一つは他人に伝達できる伝達知、もう一つは伝達できぬ真の知だという



真の知とは、いかにあがこうともこの世では得られず、人が魂で真なる世界の住人だった生前の記憶を思い出すことでようやく得られるという。



つまり、イデアコチュジャンとは真の知に属するもので、伝統的に教えられるありふれたコチュジャンの類似ではあり得ない。それは、真なる知恵を思い出した誰かが、コチュジャンとも何とも思わず、何となし作られた物でなくてはいけないということになる。



彼は探し回った。探せば探すほど手がかりは無限に増えた。何しろ名も無き民家の誰かがイデアコチュジャンの記憶を持っている人物かもしれないのだ。



彼は探した。半島全土、中国大陸、果ては、ついに海を渡り、頭に羊羹をのせた変てこな民の住む島に辿り着いた。



そして、田楽屋という屋台で食事をした時ついにめぼしい物を見つけた。



韓国宮廷料理人は屋台の主人に問う、この蒟蒻にかけられているタレはコチュジャンだろうと。



田楽屋は首を振った。



話を聞いてみると、田楽屋はコチュジャンが何の何物かすら知らない様子だった。



コチュジャンを知らない!



誰から買ったものかと尋ねれば、自家製と返答する。製法を誰に教わったのかと聞けば、教わると言うほどのものでも無いと言葉を濁す。



韓国宮廷料理人は思わず天を仰いだ。入道雲が見える。薄い上端を抜ける白光は確かに自分へと降り注いでいた。



真なるコチュジャン、イデアコチュジャンを見つけたのだ。



韓国宮廷料理人は狂喜し、無理を言ってイデアコチュジャンをあるだけ譲って貰った。



韓国に帰り、王にイデアコチュジャンで味付けをした料理を出した。王は一風変わった味を興じられ、韓国宮廷料理人を呼んで直に誉めた。韓国宮廷料理人は得意に成ってイデアコチュジャンを自慢した。



それを聞いた王はいぶかしげに眼を凝らされた。



「イデアコチュジャンって何?御前が日本から持って来たそれは味噌って言うんだよ。」



料理人は食い下がったが、王の案内で台所へ随伴し、世界珍味コーナーの味噌漬け大根を食べたとき膝から崩落ちた。彼が町に出て失意の侭に徘徊していると、ビビンバ屋台の前で騒いでいる者がある。覗いてみると、頭に羊羹をのせた男が、イデア味噌を見つけたと喜んでいた。

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