225.わざとじゃないからこそ


「東北クレシェントムーンズ、選手の交代をお知らせ致します。先ほどの回、代走致しました小濃、そのまま入りライト。代打致しました杉田、そのまま入りファースト。ライト、ブランドンに代わりまして高橋が入り、ピッチャー。6番、ピッチャー、高橋。7番、ライト、小濃。9番、ファースト、杉田。以上に代わります」


 代打攻勢が功を奏してムーンズが先制した直後、6回裏のメープルズの攻撃。得点直後のマウンド、絶対に失点してはならない場面。ただし、こういう試合が動いた直後というのは相手も反撃ムードになるし、また好投していたピッチャーが代わったタイミングというのは失点しやすいところでもある。



 ——ここ、絶対に抑えないと。


「6回の裏、広島メープルズの攻撃は——、2番、セカンド、菊名京介きくなきょうすけ! 背番号33!」


 規定の投球練習を終え、メープルズの打者を打席に迎える。


 今日のマスクを被る儀間のストレートのサインに頷いて、セットポジションに入る。足を大きく振り上げて、クロスステップで踏み出す。そこからコンパクト、かつシャープに左腕を振る。


「ストライッ!」


 ——やっぱ初球は手、出してこないよね。


 初見の変則フォームのピッチャー相手に、初球から打ちに来る選手なんてまず居ないはず。この菊名は圧倒的な守備力を武器に日本代表に選ばれるほどの選手だからこちらは一方的に知っているけれど、向こうからすればきっと「誰だコイツ?」という感じだろう。そんな相手に初球から簡単に手を出してあっさりアウトになるなんてことは避けたいはずなのだ。


 儀間からの返球を受け取って、次のサインを待つ。儀間が出してきたサインはストレート、先ほど外角だったのに対して今度は内側。そのサインに頷いて、投球モーションに入る。


 ——やばっ……!


 腕を振り抜いた瞬間、少しボールが指に引っ掛かりすぎてしまった。内側を狙ったボールが、さらに右打者の菊名の方に向かう。


 ——あっ……


「あだっ!」


 慌てて菊名は背を向けたがボールは背中ではなく左腕に直撃。ボールは大きく跳ね返り、菊名がバットを落として、腕を押さえてうずくまる。


「す、すいません……!」


 マウンド上の高橋は、反射的に帽子をとって菊名に数歩近付く。メープルズのトレーナーさんが、コールドスプレーを持って駆けつける。それからあれこれ治療が始まるが、菊名は顔をしかめたままうずくまって動かない。


 ——大丈夫かな……


 やがて菊名が立ち上がるも、腕を押さえたままベンチへと向かっていった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ただ今、菊名選手治療中の為、試合が中断しております。試合再開まで、今しばらくお待ち下さい」


 ——菊名さん、出てきてくれ……


 ボールがしっかり跳ね返ったからおそらく大きな怪我にはなっていないだろうと思いつつも、やっぱり怪我させてしまったのではないかという心配が頭をよぎる。ちなみに大きく跳ね返った、というのはボールの運動エネルギーを体で吸収せずに済んだということであり、見た目には派手に見えるかもしれないが実は跳ね返らずにボトッと下に落ちるような当たり方をした時の方が受けるダメージは大きかったりするのだ。



 ——菊名さん……


 高橋は肩を冷やさないように軽い投球練習をしながら、スタッフさんが忙しなく動き回っているメープルズベンチに視線を送る。ギリギリのコースを攻めることが出来なければ勝負出来ない厳しい世界で、こういうことが起こりうることは誰もが理解している。決してわざとデッドボールになる様な球を投げた訳では無いし、それはぶつけられた側も分かっているだろう。が、わざとじゃないからと言って痛くない訳はないし、当然それで怪我させてしまう可能性はある。


 ——菊名さん、出てきてくれ……


 治療を待っている時間が、やけに長く感じる。ベンチ裏で球団のトレーナーさんが出場出来る様にはならないと判断すればすぐに他の選手が代走で出てくるはずだから、それほど治療に時間が掛かっている訳では無かろう。


 決して故意に当てた訳じゃない。だからこそ、当ててしまったというショック感だって大きい。勝負の世界において「敵」ではあるのだけれど、それ以前に同じ「野球人」であり共にこのJPBでプレーする「球友」なのだ。



 ワアァァッ! という歓声と共に、手袋のマジックテープを留めながら、メープルズベンチから背番号33が出てくる。


 ——!


 小走りでファーストベースに向かった菊名に、高橋は帽子を取って軽く頭を下げる。


『良いよ、分かってるから』


 手を上げて高橋のジェスチャーに応える菊名の口が、そう動いた様に見えた。


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