216.空気④

「いやー、打ち上げてしまいました! ランナーは釘付け! バント失敗で1アウトランナー1、2塁となりました!」

「この選手がバントを失敗するのは珍しいですねぇ。まあ、高橋君も一番バントしにくいところにしっかり投げましたし、小山内君のチャージも素晴らしかったですよ。チーム内で何をしなきゃいけないか共有出来てたんでしょうねぇ」



「3番、センター、かく。センター、角。背番号8」


 ——嫌な相手だな、ここで角かよ……


 2、3回素振りして、一度屈伸してから左打席に角が入る。角は去年のオフにFAで移籍してきた、走攻守3拍子揃ったスター選手。毎年得点圏打率が3割を超えてくる勝負強いバッターで、かつてリーグトップの勝利打点を稼いだシーズンもあったほど。



「さあ、ここからクリーンアップに回る打順です。まずは3番の角が打席に入ります」

「左対左ではありますけど、このバッターは左右関係無く打てますからね。ここで打たれたら正直今日の試合は負けが決まってしまいますし、ここは何としても踏ん張らなきゃいけない場面ですよ」



 マウンド上で、高橋はふぅ、と大きく深呼吸する。


 ——相手のペースに呑まれちゃダメだ。ここを抑えれば、きっとこっちに流れがくるはずなんだ、俺がここで抑えないと……


 儀間が出してきたサインは外角低めに逃げていくスライダー。そのサインに小さく頷いて、セットポジションに入る。一度目でセカンドランナーを牽制してから、足をサッと上げる。クロスステップで踏み出して、シャープに、そしてコンパクトに左腕を振り抜く。


 ——空振れぇ!


 思いっきり振り抜かれた腕から繰り出されたボールは儀間の構えたミットのから、グググッと外に逃げていく。


「うおっ!?」


 バットを出しかけた角が、変化していくボールを追いかけてバットを出しにくる。


「ストライク!」


 スイング中に角は「しまった!」というような表情を浮かべてスイングの強度を弱めたものの、バットは止まらず空を切る。


 ——よし!


 儀間が頷きながら力強く返球してきたボールが、パチン! と高橋のグラブから良い音を鳴らす。投げた時の感触も良かったし、儀間のリアクションからしても今のボールは納得の一球だったと言える。いくら良い選手とは言え、こういうボールを投げ続ければ打たれまい。


 ——オッケー、強気に攻めていこうってことね……


 儀間がチラッと角の方を見てから出してきたサインは内角へのストレート。サインを出し終えた後に投げるジェスチャーで「思いっきり腕を振れ」というメッセージを伝えてくる。高橋はそれに首を縦に振ってから、セットポジションに入る。そこから足をサッと上げて、力強く踏み出す。踏み込んだ右足に全体重を乗せ、体重移動の力を全て左腕に伝えて振り抜く。


 ——打たせるかよ!


 鋭く振り抜いた腕から放たれたボールはシュルシュルシュルッと空気を切り裂きながら、角の懐に飛び込んでいく。


 ガスッ!


 ——!


 角が振り抜いたバットから鈍い音がして、それと同時にはじき返されたボールが高橋の足元を襲う。


 ——くっそ、届け……!


 体の左側を通り抜けようとするボールに、咄嗟に高橋は体重の乗っていない左足を伸ばす。


 ——うぐっ……!


 鈍い音と共に、左の足首に痛みが走る。左足で跳ね返ったボールは、マウンドの手前を転々とする。


「高橋! ファースト!」

「——っ!」


 目の前に転がったボールを素手で拾い上げて、痛む左足で踏ん張ってファーストに投げる。


「アウト!」


 一塁塁審の右手が挙がったのを確認してから、高橋はその場に膝から崩れ落ちた。


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