59.最後のアピールチャンス⑤


 ——このランナー、気を付けないと。なるべく得点圏にランナーを進めたくはないからな。


 指名打者制を採用しているリーグにおいて、9番打者は1番打者と同じ役割を求められることが多い。そしてさっきの内野安打を見てみても、脚力が武器の選手なのは間違いない。


 左のバッターボックスに、1番バッターが入る。


 ——1番を打っているあたり、このバッターも脚は速いはず。それに、ミートも上手いだろう。盗塁を警戒しなければならないのは当然だが、バントやエンドランの可能性も考えておかなきゃ。


 内山が出したサインに頷いて、セットポジションに入る。一塁ランナーが、じりじりとリードを広げるのが見える。


 ——引っかけてやる!


 内山が出したサインは牽制。それも素早くやつ。


 サッとプレートを外して、大きく素早く一塁へと送球する。一瞬逆を突かれた様な動きを見せながらも、ファーストランナーは手から滑り込んで帰塁した。牽制球を捕ったファーストがその手にタッチしたけれど、マウンドから見ても分かる位、余裕でセーフ。逆を突かれたはずなのに、ランナーの田口は涼しい顔をしてベース上でユニフォームに付いた土を払っている。


 ——どうだ? どう感じた?


 サインを確認して、セットポジションに入る。もちろんサインは牽制、やつ。


 先ほどより、一歩リードが大きい様な気がした。


 ——刺せそう。


 再び素早くプレートを外して、一塁に牽制球を投げる。今度は無駄な動きを無くして、素早くコンパクトに。


 ——キマッた!


 ランナーの田口が慌てて手からの帰塁を試みる。が、一歩だけ大きくリードをとった分だけ遅れた。


「アウト!」


 一塁塁審が大きなジェスチャーと共に叫んだ。ランナーは何が起こったか分からない、信じられないという様子で地面に這いつくばったまま固まる。


 ——よっしゃ、ハマった!


 ついさっきまで活気付いていたムーンズベンチが静まる。ノーアウトのランナーがあっという間にいなくなったのだから無理もない。




 ——これで1アウトランナー無し。あとはバッターに集中すれば良い。牽制でアウトを取れるとデカいなぁ、ノーアウトランナー1塁と1アウトランナー無しでは全然違うからな。



 仕切り直して、もう一度内山とサイン交換。初球のサインはスクリュー。サインに頷き、セットポジションに入る。足を振り上げて、クロスステップからサイドスローで鋭く腕を振る。


 ブンッ!


 尾木がフルスイング。内側に切れ込みながら沈むボールに、バットは空を切った。だが、マウンドにまでバットが空を切ったときの音が聞こえてくるほどのスイングスピード。当たったら飛距離が出そうな迫力だった。


 ——おぉ、これが一軍レベルなのか? クリーンアップならまだしも、1番バッターがこんなスイングしてくるのか……。


 フルスイングするとミートしにくくなる上、スイング前にボールを見る時間がどうしても短くなるから打率を残すのが難しいし、フォアボールも選びにくくなる。一般的にはこういったスイングをするのは中軸を打つバッターに多いのだが、1番バッターということは出塁能力は高いはずだ。


 内山のサインに頷いて、再びセットポジションに入る。ストレートのサイン、構えを見る限り高めの釣り球の要求。なるべく勢いのあるボールを投げ込んで、空振りを誘いたい。


 思い切り腕を振り抜いて投げたボールは、サイドスローからやや浮き上がる様な軌道で中腰で構えた内山のミットに吸い込まれた。


「ボール!」


 尾木はピクリと反応したが、バットは止まった。しかも余裕を持って。


 ——い、今の見逃し方……、まさか見切られたのか? あんなに打ち気にはやった様なスイングしてきたのに?


 バッターボックスでは、尾木が余裕のありそうな表情で構えている。


 ——ヤバい、どうすれば良い? あのスイングならば、ボール球に手を出してくれると思ったのに……。ストライクゾーンで勝負するか? でもあのスイング、もし芯で捉えられたらきっと長打に……。


 足を上げて、……。


 ——サイン、見忘れてた……。


 かといって、途中で投球動作を止めればボークになってしまう。


 ——内山さん、すんません!


 握りはストレートだったから、誰にもケガさせない為には、もうスローボールを投げるしかない。なるべく緩い腕の振りで、ボール球になる様に外角に投げた。……つもりだった。


 パァァァン!


 快音が球場中に響き渡った。




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