31.緊急登板②

「大丈夫か!?」

 寺田が慌ててマウンドに向かう。内野陣もマウンドに駆け寄る。


 マウンド上で東江が左足首を押さえながら倒れている。どうやら、打球をモロに左足首に受けたらしい。


「おい、高橋、アップ急ぐぞ! 治療するだろうけど、ありゃ多分今日はもう投げられねぇだろうから。」

「ウ、ウスッ!」


 急ピッチで肩を作る。


 肩を抱えられながら、東江がベンチ裏へと治療のために一旦下がる。その表情は険しく、歩き方を観てもかなり痛そうだ。なんたって、ろくに左足を地面につけることさえ出来ていないのだから。


 寺田がブルペンまで走ってきた。


「東江、ちょっと無理そうなんだ。すまん、行けるか、高橋?」

「行けます。大丈夫です!」

「よし、じゃあ頼むぞ!」


 そう言うと、ベンチに向かって手で丸を作る。右手を挙げて、ベンチから出てくる。そして、主審に選手交代を告げた。


「琉球ネイチャーズ、選手の交代をお知らせ致します。ピッチャー、東江に代わりまして、高橋。ピッチャー、高橋。背番号47。」


 ——まさか今日も投げられるとは。今日こそはゼロで抑えてやる。前のピッチャーが出したランナーだとか関係無ぇ、ホームまでは返さねぇぞ!


 マウンドでは、キャッチャーがボールを持って待っていた。前の回から、キャッチャーは内山から浅井に代わっていた。


 浅井はこのチームでは数少ない大卒ルーキー、つまり高橋と同級生のキャッチャー。長打力があるのになかなかバットに当たらない、肩は強いのにコントロールが安定しない、など身体能力はあるのに荒削り過ぎてなかなか出場機会を得られずにいた。


「おう、頼むぜ高橋。ブルペンで捕ったことはあるけど、バッテリー組むのは初めてだよな。よろしくな!」

「こちらこそ!」


 こんなにもしっかりとした準備を出来ないままマウンドに上がったのは、これが初めてである。一応肩を暖めはしたけれど、どこか落ち着いていない部分があるのは否めない。


「バッターは、9番、ショート、きた。ショート、北。背番号129。」


 規定の投球練習を終え、ロジンを手に取った。左打席に入ったバッターが、足場を固める。


 ——落ち着け、落ち着け、俺。もう2アウトなんだ、ランナーを気にせず投げれば良い。このバッターさえ打ち取れればそれで良い。変に緊張する必要なんか無いんだ、落ち着け……。


「おうおう、表情が硬てぇぞ、お前。」


 セカンドを守る亀山がマウンドに来て、ロジンをヒョイッとつまみ上げる。


「テンパることねぇよ、背伸びなんかしねぇで良いから、お前はお前に出来ることをやれ、な?」


 グラブで背中をポン、と叩いてセカンドの守備位置に戻っていく。


 ——そうだ、昨日も言われたことじゃないか。どうせ俺がやれることなんて限られてる訳だし……。地に足着けて、出来ることをやるってことに集中しよう。


 プレートに足を掛け、サイン交換を行う。


 ——えぇ? 無理だって。そんなことしたら完全にモーション盗まれるって! 今の俺の牽制って、上から投げてた頃のモーションなんだから!


 サインに首を振る。大体、点差もかなり離れた最終回の2アウトというこの場面、1点を気にしてどうする。いらないランナーを出して大量失点、なんて方がよっぽどマズイじゃないか。


 改めて浅井がサインを出す。今度はウエストのサイン。


 ——いやいや、だからランナー1人を気にしてどうする! これでカウントを悪くする方がよっぽどマズイでしょうよ。


 もう一度、サインに首を振る。呼吸が合わない。


 一度、プレートを外して間をとる。これで普通に投げたい、という意志が伝わってくれれば良いのだが。確かに小柄で足の速そうなバッターだから、セーフティバントとかエンドランとかを警戒したくなるのがキャッチャー心理なのかもしれないが、ピッチャーとしてはカウントを悪くしたくは無い。同じボール球を投げるのだとしても、初球から打者との駆け引きに使うボール球にしたい。しかも、言いたくはないが緻密なコントロールなどとは無縁のピッチャーなのだから、早いカウントから勝負していきたい。


 改めて、浅井がサインを出し直す。ストレートのサイン。だが、大きく外角に外せ、というもの。


 ——いやいや、昨日のプレー見てなかったのかよ? 昨日のランナーの脚はケタ違いだったとは言え、ウエストしてまで盗塁されたんだぜ? 言っちゃ悪いが、俺の投げている時に盗塁を警戒したところで、狙われたら盗塁なんて阻止しようが無いって。頼む、バッター勝負で行かせてくれ……!


 また首を振る。出場機会の少ないキャッチャーとしては、無警戒の末に走られるなんてことは避けたいのだろう。だが、状況を考えればここはランナー1人に神経質になりすぎるところじゃないはずだ。


「バッター勝負で良いぜ! バッテリー、楽に楽に!」


 亀山がセカンドの守備位置から叫ぶ。無警戒を宣言している様なものだが、ここまで意思疎通が出来ていないこの状況下だと、かえってありがたい。


 迷った様な手つきで、もう一度改めて浅井がサインを出す。低めにスクリュー、のサイン。

 ——やっと勝負させてくれるのか!


 ようやくセットポジションに入る。足を大きく振り上げて、クロスステップで踏み出す。思いっきり、されどコンパクトにサイドから腕を振り抜く。


 ——空振れ!


 指の引っかかり方は良い感じ。しっかり低めの、ややインコースを突くナイスコース。ストライクになるかボールになるか際どいコース。


 左打席の北が、バットを出しかけて止める。


 カツンッ。


 止めたバットにボールが当たった。ボテボテの打球が三塁線に転がる。慌ててきたが走り出す。なかなかの俊足だ。

 打球が丁度サード、ピッチャー、キャッチャーの真ん中で勢いを失う。


 ——や、ヤバい! 間に合うか!?



 グラブで捕ったのでは間に合わないと判断して、素手での打球処理を試みる。と、その瞬間、青い影が目に入った。



 ——あっ……!




 それが打球を処理しようと走り込んできた浅井だと分かった時には、もう遅かった。






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