第5話

 それから犬の亡骸を触った人間はよく手を洗ってから兄の結婚式へ出席するための準備をし、簡単な朝食を済ませてから式場へ僕らを運んでくれる車を待った。僕の子供は犬が死んだことを理解していたけれど自分の犬ではないと分かっていて、ただ何も言わず物珍しそうに段ボールの中に入れられるのを見ていた。兄は僕とそんなに年が離れているわけではなかった。僕は二十代後半で結婚し、五年生と三年生の男の子がいる。兄はバツイチでもないし、今回が初婚である。つまり四十代半ばでようやく結婚することになった。兄の結婚がこんなに僕より遅くなったことにはハッキリとした理由があった。兄は四十六歳になるが社会人経験は十年もない。三十代後半までニートとしてずっと働かずに実家で父と母の三人で暮らしていた。何故、兄がずっと働かずにいたか、理由は母や兄からたまに電話で聞いていたけれど、それはそれぞれの主観の言い分であり、僕にはどっちの言い分が正しいのか分からなかった。ただ、実家だから家賃も食費も払わないでいいと言う兄の理屈には自立して働いていた僕は賛同することは出来なかった。また、兄には夢があり、それを真剣に追い続けていたことも聞いていたのでそういう生き方の出来なかった僕は軽々しく兄の生き方を否定することも出来なかった。それでも夢を追いながら娯楽であるゲームや漫画の時間があるならば(これは母からの情報なので真実なのかは僕には分からない)その時間をアルバイトなどにあてて少しでも家にお金を入れるべきだと言う母の意見ももっともだと思ったし、兄からどんなに寒い日だろうと父は暖房機の使用を兄には認めなかったと聞かされると心の中では軽蔑に似た思いを持ちながら口では父の厳しさは昔から変わらないと兄に同調するような返事をした。結局兄は縁故採用で大手企業に三十代後半から就職し、それからは実家も出て、収入も僕よりいいらしく、人より遅い就職を経てから職場の人間関係もいい人が多かったこともあり、女性との交際も何人かとし、お金も貯めて、四十代になると実家にお中元やお歳暮を贈るようにもなったと聞いたりし。兄はそういったもので父や母と対等になれると思っているのならそれはものすごくぬるいことであるし、僕の中ではそういうものは金額ではなく気持ちが大事と聞かされたりもするけれど貯金するお金があるなら逆に借金してでも現実として長い間金銭的援助をしてくれた父や母に返すべきではないのか?とも思っていた。だから実際に兄から結婚相手の女性を紹介された時もうわべではしっかりとした丁寧な挨拶をしたが心の中では、この女の人は兄からどこまで本当のことを聞かされているのだろう?大なり小なり自分を美化して都合のいいように自分の過去を正当化して自分の見せたくない部分や知られたくない部分は切り取っているのではないかと疑っていた。母は身内以外にはそういうことを言う人ではなかったし、父はそれを話す相手自体がいなかった。少なくとも散歩中の犬相手に愚痴をこぼす父の姿は想像できなかった。

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