【8月2日】黒と刀

王生らてぃ

本文

「黒」



 玄関から、柊がわたしを呼ぶ声がした。手にした籠の中には、たくさんの瑞々しい野菜が入っていた。

 わたしは少しだけ視線をやってから、また目の前にさらされた白刃に目をやった。



「黒、ご飯にしよう。美味しい野菜がたくさん畑でとれたんだよ。婆さまが、あなたのところへ持っていきなさいって」



 今回のは自信作だ。今までだって自信作でない刀は一本もなかった。だけど、そのことごとくが失敗作だった。ほんのわずかな刃の歪み、刃紋の乱れ、密度の差、強度のぶれ。すべて許されない。完璧な一振りは、未だわたしの前に現れない。

 刀を一本打つたび、わたしは綿密にこうして点検をする。



「台所、借りるね。なにか涼しいものがいいでしょ、氷も買ってきているから。うわっ、汚い。ちゃんと食器を片付けなさいって、言ってるでしょ。もー」

「これはダメだな」

「ダメだよ、ホント」

「そうじゃない」



 わたしが刀を木の柱に叩きつけると、薄氷の割れるような音とともに刀は真っ二つに折れて、その場に落ちた。



「どうしたの?」

「失敗だ。ここをこの角度で打ち込まれていたら、この刀は耐えられずに折れていた。これは刀じゃない。なにがダメだったんだろう、叩くのが甘かったのか? いや、断面は完全に均一になっている……そうか、なにか不純物が混じっていて、そこを境に割れたのか?」

「ねえ、少し休憩しなよ」

「おれの作りたいのは、もっと完璧な、どこから打っても折れず、決して曲がらず、なんでも斬れる、完璧な刀なんだ。それを作って初めて、おれは爺さまの名を継ぐことを許されるんだ」

「いいから。ご飯食べましょうよ。ずっと何日も、なにも食べてないんでしょ、どうせ」

「もう一回だ。もう一回……」

「こら!」



 木の桶で頭をすこーんと打たれて、わたしはその場に倒れた。



「いてえな!」

「はい! まず食器を川で洗ってきなさい!」

「うるせえ。飯なんていらねえよ」

「洗ってきなさい」



 そう柊にすごまれると、わたしは従わない訳にはいかなかった。






     ◯






 わたしの爺さまは、鎌倉時代から代々続く刀鍛冶、その十一代目だった。何本もの名刀を作り出し、美しく、そして強かなその白刃の美しさに、わたしは随分魅せられた。

 しかし問題がいくつかあった。ひとつは、戦のない平和な世になり、刀は売れなくなっていること。もうひとつは、世継ぎが女のわたししかいないということだった。

 一子相伝の業を、婿養子に継がせることを爺さまは嫌った。そこで、女であるわたしに業を徹底的に教え込み、病に倒れた。

 だが、わたしはまだ爺さまの名を継ぐような鍛治にはなれていない。満足のいくような刀の一本も、打てていないのだ。



「それは、勘違いだって婆さまが言ってたよ」



 柊はかまどの火を焚きながらわたしに言った。



「勘違い?」

「そ。黒の作る刀はどれもこれも、充分に美しくて素晴らしい刀なのに、作ったそばからあんたが叩き折っちゃうからもったいないって」

「うるせえ。おれが満足してないんだから、折られて当然の刀だよ」

「普通に売る分にはぜんぜん問題ないはずなのにさ。あんたが無茶な折り方するから、あんな簡単に折れちゃうんだって……」

「完璧な刀は、どんな無茶をしたって折れたり刃毀れしたりしないものなんだ。おれがどうしようと、折れてしまう時点で刀じゃねえ」

「何をしても折れない刀なんて、人間に作れるわけがないよ」



 柊の言葉に、わたしはすこし引っかかるものを感じた。



「どういう意味だよ?」

「人間だっていつかは死んでしまうし、病に苦しむものなのに。その人間が作ったものが永遠に残るなんておかしいでしょう? そんなものは神仏か、もしくは鬼か。そういうものの力でもなければ作れないよ」

「神仏、鬼……」

「ま、わたしには刀のことなんてよく分かんないけど。でも、あんたの叩き折った刀は少なくともいい刃物だよ、ほら、この包丁もそう。黒が叩き折ったやつを打ち直してるの。これがまたよく切れるのよ、肉も魚も野菜も。もう何年も使ってるけど、一度も刃を研いだことがない。見事なもんよ」

「そりゃあ……柊の使い方がうまいんだよ」

「さ、とにかくご飯にしようよ」



 柊はいつもわたしに美味しいご飯を作ってくれた。

 いつ嫁に出てもいいように、と、本人は冗談めかしていたけれど、実際にそうするようなそぶりは全く見せなかった。村の男たちに混じって畑仕事に精を出し、いつもわたしのところに遊びにやってくる。

 正直お節介だ。

 刀を打つのは、一瞬の油断、ちょっと他のことに気を取られるだけで、すべてがダメになる。



「いただきます」

「どう? うちの野菜は。これを毎日食べられるだけでも、黒は恵まれてると思うよ」



 でもわたしは食べた。

 たしかにお腹が空いていたからだ。






     ◯






「ふう、ふう、」



 鉄を打つ音が響く。

 わたしは生まれた時から、焼けた鉄の匂いと真っ赤な光、そして熱さと共にあった。鉄を精錬し、それを打ち、冷やして研ぎ、刀は作られていく。



「ふう、ふう、」



 鉄が真っ赤に灼ける。

 いままでに百本以上は打ってきた。でも、ひとつとして満足のいくものではなかった。それらは例外なく叩き折ってしまって、どこにも残っていない。



「ふう、ふう、」



 鉄を打つ音が工房に吸い込まれていく。

 熱い。肌が焼ける。指先が固まっては溶けていく。そして真っ赤な鉄はどんどん伸ばされ、薄く、美しい刀に仕上がっていく。



 壊れてしまわないように丁寧に冷却し、水から取りあげた刀。また一本、わたしの作品がこの世に生まれ出た。

 鞘も鍔も柄もない、ただの鉄の塊。

 生まれてから何度となく見て、触れてきたものだ。



 一見、丹念に磨き上げられたこの刃。

 丁寧に触れ、毀れがないか、甘いところがないかを確かめる。手触りに少しでも違和感を覚えれば、また叩き折ってやる。それで、新しい刀を打つだけだ。



「これは……」



 ところが。

 今回という今回は、どこにも悪いところは見つからない。反り具合、刃紋の美しさ、刃の鋭さ、厚み。どれも、非の打ち所がない。蝋燭の明かりに光る白刃は、その明かりを何倍にも照らし返して、黄金のように光り輝いている。それほどまでに美しかった。



 ついに作り上げたのか?

 わたしは、とうとう最高の一振りを見つけ出したのだろうか。これを爺さまの墓前に持って行き、その名を継ぐことがようやくできるのだろうか。






 台所の方から、なにか物音がしたような気がして、わたしはそっちの方をのぞきこんだ。動物かなにか、入り込んだのだろうか。

 こっそりと台所を覗くと、そこには、暗くてよく見えなかったが、人影のようなものが見えた。もぞもぞした音は、その人の衣ずれの音だったのだ。土間の下をなにかまさぐっているように見えた。

 泥棒?

 それとも柊か。



「だれ?」



 と、声をかけると、その影はびっくりしたように体を飛び上がらせて、わたしの方へと足をもつれさせながら飛びかかってきた。それは男だった。やはり泥棒だったのだ。

 男はわたしを突き飛ばした。そのまま逃げ去ろうとはせず、手にした小刀でわたしに襲いかかってきた。月明かりにわずかに、きらめく白刃が見えた。

 わたしは必死に逃げ回りながら、台所の隣にある工房の中に逃げ込んだ。どたばた騒ぎの起こした風で蝋燭が消えてしまったが、かろうじてわたしは、ついさっき打ち終わったばかりの刀を手に取ることができた。



「わあああ!」



 無我夢中で叫びながら、わたしは刀を振り回した。すると、何度目かでなにか、生肉を切り裂くような感触が手に返ってきた。そして、生暖かい液体がわたしの顔にかかった。

 どさっと男が倒れた。

 恐る恐る、蝋燭に火を灯した。手が震えてうまくいかなかったが、そこには血塗れになって、身体中あちこち切り裂かれた、人相の悪い男が倒れていた。手に握った小刀が鈍く光っていた。

 そして、いつのまにかわたしが手から落としていた刀は、血に濡れて、ますますぎらぎらと光っていた。






     ◯






 わたしは何度も刀を打ってきたが、それは誰かを斬るためではなかった。少なくとも、わたしは刀を握ったことはあるが、振ったことはなかった。だから今回のことには、たいそう魂消て、朝まで腰を抜かしていた。



「だいじょうぶ?」



 柊がずっと家にいてくれた。

 泥棒の男の死体は、村の若衆が片付けてくれた。事情を説明すると、それはお気の毒に、とか、驚いただろうね、とか、みんなでわたしを庇ってくれた。大事になることもなく、この件は方がつきそうだった。

 だけどわたしの心は常にざわめいていた。とても、刀なんて打てるような気分じゃなかった。



「ほら。お茶を淹れたから、飲んで。落ち着こうよ」

「ありがとう」



 自分の声が震えていることに気がついた。

 お茶をどれだけ飲んでも、渇いている気がした。落ち着いてなんかいられない。だけど、それがどうしてなのかもわからない。わたしは次になにをしなければならないのだろうか?



「もう、刀を打つのはやめなよ」



 柊の言葉を、わたしは、聞き間違いだと思った。



「なんだって?」

「村の人たちは、大半が黒のことをわかってくれてるけど、そうじゃない人だっている。あんたのことをよく思ってない人もいるんだよ。そういう人たちが、噂してるの。あいつは刀を作るだけじゃなくて、刀を使って人を殺し始めたんだって」

「そんなことしない!」

「分かってるよ。でも、しばらくはやめたほうがいい。村の人たちへの『しめし』になるから。これは黒のためを思って言ってるんだよ、そのうち、疑心暗鬼になった人たちが、黒のことを襲いにくるかもしれない」

「なんで……?」

「黒のことを、人殺しだと思ってるからだよ。それで、やられる前にやろうって。そういう話をしてる人も何人かいる」



 愕然とした。

 それからのことはもう覚えていない。いつの間にか柊は家からいなくなっていて、いつのまにか日が暮れていて、いつの間にかわたしは工房で、あの泥棒を斬った刀を見ていた。

 気味が悪いので、血を洗い流して、そのまま触らずにおいてある。蝋燭の明かりがゆらゆらと揺れ、白刃が焔色にきらめいた。

 こんなに美しく輝く刃物は、見たことがない。

 一部の隙もなく、完全な形でそこにある刀。ここまでのものは作ったことがない。わたしの最高傑作だ。だけど、爺さまにはきっと認めてもらえない。これは刀になる前に、人を斬ってしまったのだ。

 この美しさは魔性の美しさだ。

 呪われた刀だ。

 だけどわたしには、どうしてもこの刀は叩き折ってしまうことができなかった。



 しばらく、眠れない夜が続いた。

 家の近くを通り抜ける動物の足音や、かすかに聴こえてくる話し声にすら耳をそばだてた。風声鶴唳、わたしは、いついかなる時も命を狙われているような気がしてならなかった。



「黒、いる?」



 朝早くにやってくる柊の声にもわたしは慄いた。そして、工房の扉を開いてやってくる彼女の顔をみては、安心し、魂の抜けるような思いだった。



「婆さまがね、うちに来いって」

「え?」

「ひとりじゃ心細いだろうからって。よかったら、しばらくうちで寝泊まりしない?」

「いい。おれは大丈夫だよ」

「もう何日も寝てないんでしょ。食事もぜんぜんしてないし。いいかげん身体に毒だよ」

「うるさいな! もうおれに構わないでくれよッ」

「なに、その言い方」

「柊もおれのこと、人殺しの不気味なやつだと思ってるんだろ、女の癖にひとりでずっと刀鍛冶をしてる変わり者だって。村の連中と一緒になっておれのことをせせら笑ってるんだろ」

「違う! そんなことしない、そういう人たちからあなたのことを守ろうとしているの。わかってよ、黒」

「出て行ってくれよ。もうおれの家に近づくな」



 柊は意を決したような表情でわたしを睨みつけると、そのまま出て行ってしまった。これでいいんだ。この家に出入りしていたら、柊まで村の連中にやっかまれることになる。



 わたしは数少ない貴重品や蓄えを地下に移し、石で囲まれた工房の中で暮らし続けた。一日中ずっと、あの刀を眺めていた。太陽の光の当たりかげんによって、微妙に違う色で輝き、夜は月と星の光を浴びて青く染まるその姿は、まるで天から降りてきた竜の鱗のようだった。この刀のことが好きだった。もっと美しくしたい、そのために自分にはなにができるのかを考えた。

 時間はいくらでもあったので、わたしは自分で鞘を作ることにした。人目を避けながら木を持ってきて、刀の反りに合わせて削り、組み上げていく。鍔も作った。爺さまの残した本に、図案がいくらでも書いてあった。鞘を作ったのではばきを作り、組み付けた。それから木を組み合わせて、紐を巻き上げ、柄を作った。



 どのくらいだったのだろうか。

 白木の鞘に白木の柄、なんともみすぼらしいが、立派に一振りの刀になった。ほんとうは、鞘は鞘師に、鍔は鍔師にそれぞれ作ってもらうのがならいだが、わたしはこの刀を人に渡したくはなかった。

 一応の完成を見た。

 もう満足だ。折を見て、爺さまの墓前に報告しに行こう。

 安心しきってしまったわたしは、そこでうとうと眠ってしまった。







 物音で目が覚めた。

 眠ってしまっていたわたしは、工房の扉を半分開け放したままにしていたことに気がついて、慌てて飛び起きた。ごそごそいう物音は、台所の方から聞こえてきた。また泥棒か。それとも、わたしをよく思わないという連中が、わたしを殺しにきたのか。

 わたしの意識は研ぎ澄まされていた。眠りから覚めたばかりで、雑念の入る余地はなかった。拵えたばかりの刀を手に、台所に押し入り、刀を抜いた。

 そこには女がいた。

 手に包丁を持っていた。

 わたしの方を向くと、ぎょっと目を向いた。わたしは女の方に踊りかかって、肩から斜めに切り裂いた。返す刀で、切っ先を首に突き刺し、最後に腹を真一文字に切り裂いた。血が吹き出し、くぐもった悲鳴が呻くように響いた。



 はっと我に返った。

 夕焼けだった。扉から赤々とした太陽が差し込んでいて、わたしと、血に塗れた白刃を照らしていた。目の前で柊が血を流して、身体中を刃物で引き裂かれて倒れていた。もう事切れていた。いったい誰がこんなことを?

 わたしだ。

 わたしがこの手で、柊を斬ったのだ。この手の、この刀で。



 そういえば銘を入れていなかったな、と、わたしは冷静に考えていた。それでよかったのかもしれない。爺さまの名を、人斬りの刀匠に落としめるわけにはいかないだろうから。



 わたしは柊の亡骸によりそった。

 妙に芳しい香りに目をやると、台所には料理の用意がなされていた。瑞々しい野菜、味噌汁の香り、かまどからは米の炊ける匂い。柊のそばには、わたしが打った刀を打ち直して作った包丁が落ちていた。



 だんだん手が震えてきた。

 わたしは柊にすり寄って、涙を流すでも、怒りに震えるでもなく、ただ、ただ、嬉しくて笑った。笑った。

 本物の刀の作り方を、ようやく学んだ気がする。



 それからのことはよく覚えていない。

 数えきれないほどの人間を、この刀で斬ってきた。何年も経つのに、刃毀れひとつない。やはりこれは素晴らしい刀だ。

 だけどわたしが刀を打つことはもう二度とない。

 柊に誓ったのだ。この刀を、終生美しく輝き続ける、最高の刀にすると。それが、わたしの罪滅ぼしになると、そうでもしないと、わたしは、耐えられずに自分を斬ってしまいそうになるのだ。

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【8月2日】黒と刀 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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