僕らの自殺観測

一ノ路道草

僕らの自殺観測

 恐いかは分からないけれど、ひとつ悪趣味な話をしよう。


 僕が現在、とある行為にのめり込むようになった最初のきっかけは、小学2年生の時だった。


 ある日の下校時、僕は道路を横断中、信号無視をしたドライバーの車に跳ねられた。


 運転席に座っていたのは人の良さそうなお婆さんで、恐らく、とても混乱していたのだろう。僕が咄嗟に避けた方向へと慌てたようにハンドルを切る姿を、今でも鮮明に覚えている。


 気付いたら、まっすぐ走っていた車が意思を持った怪物のようにこちらへ向きを変えてすぐ目の前まで迫っていて、その後僕は幸運にも、病院のベッドで目を覚ました。


 それ以来、僕は再びあの日のような、死に触れる寸前の体験をしてみたいと思うようになっていた。


 別に、死にたいとかじゃあないんだ。僕はただ、様々な彼岸への入り口を、目の前で感じたいだけだから。


 まず、わざと車の交通量が多く歩行者側のスペースがとても狭い道路を選んで登下校するようになった。また特に、夜間に猛スピードで信号無視をする走り屋気取りの車は、格好の狙い目だった。


 迫り来る車の横から、わざとふらつくようにこちらも身を寄せ、この身に触れるような距離で擦れ違った時なんかは随分と興奮したものだし、幼いながらも自分に宿る生命を実感していた。


 だけど残念ながら、それは1週間くらいで飽きてきたんだ。


 そう毎回死の危険を感じるわけではないし、たとえ危なくても僕の内心は何処か冷めていて、ただの味気ない日常になってしまっていた。


 かといって、それまであれだけ楽しかった友達とのゲームや部活のサッカーは既に色褪せたように物足りなくなっていたし、なにより彼らとは、もう話が合わなくなっていた。


 それからも似たような遊びを思い付いては飽いてしまい、やがて中学生になった僕は、図書室で井上という男に出会った。


 彼は不気味なほどに陰鬱な雰囲気を纏う人間であり、言ってしまえば、僕の同類だった。


 当時の僕と井上は江戸川乱歩の赤い部屋や鏡地獄などの猟奇的な小説が好きで、出会った当初は好きな作品に関する議論を交わしていた。こいつは本当に分かっているのか、確めたかったからね。


 そうやって互いを認め合うにつれて、徐々に僕らは人目を憚るような、ほの暗い話題を共有するようになっていった。


 そしてある日、その言葉が井上の口から、ぼそりと出た。


「◯◯くん、××っていうサイトを知ってるかな」


 僕は驚いたさ。そこでは最近多くの自殺志願者が集まり、現実で集団自殺するためのサイトなのだと言う。聞けば聞くほど、もっと詳しく教えてくれよと思うくらい、とてもワクワクした。


 僕の反応を見て、井上は微笑する。


「きみも興味があるみたいで嬉しいよ。早速だけど、今週の金曜午前2時に、◯◯でやるそうだ」


 井上が笑みを深める。


 深く暗い陰を帯びた、まるでこの世の人間ではないかのような笑顔。それは酷く僕を惹き付け、彼の友人であることに密かな誇らしさを抱く顔だった。


「二人で後を尾けるんだ。本物の人間の死ってやつを……間近で見てみないか?」


 僕は興奮でウキウキした気分になり、必ず行くと答えた。


 約束の当日。井上の案内に従い、僕らが有名な自殺スポットに続く森の中を静かに歩き続けると、前方にそれらしい集団を発見した。


 中年男性から恐らく女子高生まで、全部で5人はいただろう。


 心臓が高鳴る。あの話は本当だったんだ。井上と顔を見合せ、ついニカっと笑ってしまった。


 息を殺し、現状の距離を維持して集団を尾行する。あの時は心臓の音にすら、僕は無駄な焦りを覚えていた。


 次第に森が開け、彼らは切り立った断崖へと歩いていく。


 木々の隙間から差す月明かりの下、井上が呟いた。


「……いよいよだ。さあ落ちろ、飛び降りろ。さあ、さあ、死んじまえ……」


 あの時井上が浮かべていた死神のような笑みは、今でも忘れられない。


 そして、そんな井上が吐いた呪詛に従うかのように、次々に人が飛び降りていく。


 そんな光景に打たれた僕は、全身を駆ける様々な感情に、ただ口を開けて震えていた。


 それ以降、僕らは似たようなサイトを利用して、自殺者たちを観測する日々が始まった。


 そんな活動を1年は続けただろうか。僕はだんだんと、井上が自殺観測に飽き始めているなと感じていた。


 僕が小学生の頃にやっていた、車とぎりぎりで擦れ違う遊び等にすぐ飽きてしまったように、井上もまた、あの悪趣味極まる観測に飽きてしまったのだ。


 とは言え、2人ともすぐには代替案が出せず、明らかに集中を欠いている井上を見ていると、僕もなんだか、いまいち乗り気になれない日が続いた。


 1ヶ月くらいが過ぎた頃、井上が唐突に言った。


「来週の月曜午前0時、◯◯に行かないか?」


 それは僕らが、一番最初に自殺観測をしたスポットだ。


 久しぶりに井上の目が異様にぎらぎらと輝いて気力に満ち溢れていて、僕は純粋に、そう来なくちゃと喜んでいた。


 その日は森の中を進んでいくと、集合場所に使われている川の辺りに着いたのに、誰の姿もなかった。


 僕が訝しんでいると、井上が済まなそうに口を開いた。


「ごめんよ。違う場所と間違えたな。少し早く来てしまったみたいだ」


 気にせずどうするかを問うと、「今日は崖で待とう。たまには登ってくる様子を見てみたくないか?」と言うので、同意することにした。


 先に着いた僕らが無人の崖から町の夜景を見下ろしていると、井上が呟いた。


「最近、生き物を殺しているんだ」


 無言で井上に視線を向けると、彼は淡々と続けだす。


「先月に猫を殺した。ああ、もちろん犬も殺したよ。先週は鳥と亀を殺してみた。全部ここでね。だけど駄目なんだ、なんだか……物足りない」


 それから井上は、少し夜景に見とれたようにぼんやりしたあと、ぽつりと呟いた。


「やっぱり、人間なんだと思う。他の生き物では駄目なんだ。僕は人間らしく、人間という種が一番殺し慣れ、親しんでいる生き物をこそ、殺すべきなんだ」


 井上がまっすぐに僕を見た。


「だから僕は、僕のかけがえのない友人である、君を殺すよ」


 僕は正直、まんざらでもなかったんだ。少なくとも、不快ではなかった。もう少し付き合いが長ければ、きっと頷いていただろう。


 だけど僕はまだまだ、死の間際が見足りなかった。まだ死ねなかったんだ。


 そう伝えると、井上は多少残念そうに肩を竦めた。


「それなら仕方ないな。でも悪いんだけど、死んでもらうよ」


 井上がナイフを取り出し、だっと駆けて来た。話していた時と変わらず淡々と、微塵の躊躇いもない目をしていた。


 僕はその姿を見て、何処か落胆していた。


 きっと色々な生き物を殺して、彼はすっかり殺しに慣れているのだろうに。だけど、何か物足りない。自分でも、本当に不思議だった。


 それでも彼が的確に振り回すナイフによって僕はだんだんと傷付き、崖へと追い立てられていく。


 そして一歩一歩と静かににじり寄っていた井上が、両手でナイフを構え、突っ込んでくる。


 僕はぎりぎりで斜め後ろへ倒れるように後ずさって避け、こちらへ振り向く寸前の井上を、崖から蹴り落とした。


 井上は落下しながら、呆然とこちらを見上げていた。この時、僕はようやく不可解な落胆の理由に気付いたんだ。


 彼は、あの日幼い僕を轢いた車みたいな、怪物ではなかった。ただ近くを通り過ぎるだけの車と、何も変わらないような……。


 要するに僕は、井上に飽きていたのだ。


 あれから多くの時間が経って、僕は臨床心理士として働いている。


 あの自殺観測も、意外と長く続いたものだ。ドローンや暗視定点カメラ、レコーダーを使用するなど、今はそれなりに本格的になっている。井上が見たら、きっと羨むんだろうな。


 今日も同類の女性、平坂を誘って、これから向かうところだった。


 車で平坂を拾い、予定の山へと向かう。


 車内は無言だ。僕らはお互いに、余計な詮索は必要としない。


 やがて車を降りて機材を背負い、森に入る。


 最初の観測地点である小川が見える茂みへと移動すると、その小川には誰も居ない。


 平坂が僕に怪訝な視線を送る。


「誰もいないようですが?」


「申し訳ない、少し来るのが早かったようです。崖側のポイントへ先回りして、登ってくる所を見てみませんか?」

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