武蔵野らしさは無くなったのか?

赤城クロ

武蔵野らしさは無くなったのか?

 「武蔵野らしさは無くなったのか?」


 と問われれば、武蔵野を知る人達の多くは


 「無くなった」


 と答えるのではないだろうか?


 きっとそんな方々の多くは、一昔前に武蔵野にあった自然豊かな風景に、もしくは国木田独歩の武蔵野で描かれた風景をイメージしているのだろう。

 だから都心化に呑まれた今の武蔵野に、武蔵野らしさは無くなったと考えている。


 そう言う意味では確かに、自然豊かな武蔵野らしさは無くなったのかもしれない。


 だが、私はこう考える。


 「確かに自然豊かな武蔵野らしさは無くなった。 しかし、根底にある武蔵野らしさは残っている」


 と。


 武蔵野は人の手によって作られてきた、原野や雑木林、そして今の街並みを。


 それは焼畑農業に始まり、江戸時代の新田開発、そして近代の都市開発によるものだが、これら時代の流れで生み出された武蔵野のそんな風景は万葉集で読まれ、武蔵野図屏風と言うものを生み出し、そして国木田独歩の武蔵野を書かせるに至った。


 つまり、何が言いたいかと言えば、根底にある武蔵野らしさとは、人々の創造力なのではないか?と言いたいのだ。


 人々が手を加えたからこそ、万葉集には武蔵野の原野の風景が読まれた。

 人々が手を加えたからこそ、国木田独歩は武蔵野の雑木林を文字に残した。


 その様に0から新たな文化が創造される地、それが武蔵野ではないか?



 しかし、それでも「自然が無くなり、武蔵野らしさは無くなった」と思う人々は納得すまい。


 しかし、12時のがかすかに聞こえ、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がしたのは昔の事。

 現在は電車が走り抜ける時代は変化しているのだから、武蔵野と言う価値観に変化があるのは、致し方ないのではないだろうか?


 そしてもう一つ、彼らを含め、皆に訴えたい事がある。


 国木田独歩も新時代の武蔵野を描こうと武蔵野を書いたのだ。


 つまり我々は今、国木田独歩から新時代の武蔵野を描くバトンを渡されているのではないか?


 そう、新たな武蔵野らしさを創造すると言う万年筆のバトンを……。

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