退魔修祓


 黒色のオーブを用いた蘇生は本来丸一日を費やして行う業である。

 ただしそれは肉体が滅んだ、或いは行動不可能な損傷を受けた場合において念入りな修復を施す必要性を加味した上での所要時間。

 原型に拘らなければ即時の復活は可能。

 ただし、それはやはり魔王の矜恃に反する行い。醜く薄汚く生に執着する己の姿を鏡で見た途端、彼の憤死は免れない。

 そうと分かっていながらも蘇生にて三度目の生命を掴んだのは、未だ果たせぬ目的の為に他ならない。

 神へと至る為に。その邪魔をした女神を殺す為に。そして何よりも今は。

 最大の障害と化した小娘を抹殺する為に。


 炭化した魔王の体が水気を取り戻し、しかし元の姿に戻りきることもなく流動する。

 代わり、彼に従属する残り五つのオーブが剣と化して空より堕ちた。

「〝黄泉路へ送るは親殺し、火雷を零すは十拳のたち〟」

 紅蓮の大地が爆ぜ、溶岩流が津波のように高昇る最中を着物の童女が駆け回る。

 膨大な熱量を孕む暴虐の一波は小柄な人間一人を呑み込むこと叶わず、あえなくその濁流を空振った。

「見つけた」

 直後。火炎と溶岩を引き裂いて現れた日和が蠢く液状の魔王を目視する。

 同時にかざした彼女の掌から光の穂先が飛び出した。

 槍の尖端にも鏃にも見えたそれは、本来刀としてあるもの。

 親を殺した火神の首を刎ねた、これもまた神殺しが名刀。〝十束とつか天之尾羽張あまのおはばり〟。

 祝詞により対神の術式を乗せる武装付与の言霊を、あろうことか単体で具象化する荒業。

 〝 模倣〟で生み出した仮想神気を呪詛で縛り形を成す。現存する本物オリジナルと比べ威力は1/10程度だが、個体一つの命を摘むに神話の模造はそもそも充分過ぎる。

 捻くれた刀の砲撃は汚泥のような黒い流動体を貫通して爆散。噴煙を上げつつも神力の刃は地下深くまでを抉った。

 手応え。残り六つ。

「…あ」

 短い吐息のような声を漏らし、日和は自身の手足が自由に動けなくなっていることを知る。

 四つのオーブが鎖状に形を変え四肢に絡みつく。どういう理屈か空間に鋲を打つように固定され、壊すには僅かな時間が必要だった。

 その『僅かな時間』を作り出した魔王が、破壊を許すはずがなかったが。

 メキメキと軋む、流動体から伸びる剛腕が日和の腹部を正確に捉え、打ち抜く。

 くの字に折れ曲がり吹き飛ぶ軌道を追随して、四本の黒い光線が直撃。地面をさらに粗く引き剥がし数十メートルの高低差を作った。

「たいしたものだ。人間」

 絶壁となった断崖の縁に降り立つ魔王。その姿は元の体躯に戻っていた。

 あの流動形態は急拵えの蘇生によるもの。命の入れ物が死と生の行き来で形を維持できなくなったのが原因だ。

 何故急に器の固定化に成功したのか。クレーターの中央でむくりと起き上がった日和には明確だった。

「人間の力を取ってまで、その姿で威張りたかった?」

 攻撃の接触と共に内から退魔師の呪力を相当量奪われた。あのオーブか魔王自体が持つ吸収能力だろう。

「だからたいしたものだと言った。一度のドレインで私が形を取り戻せるまでに力を内包した貴様は、……本当に人間か?」

「よく言われる」

 ここで問題なのは、それだけの量を奪われておきながら平然と立ち上がったこと。未だ残す余力の底が知れない。

 直打撃を受けた腹部は衣服に掛けた障壁の防護でダメージを通していない。

 此度は陽向家が全身全霊の全力勝負に出る際に纏う『決戦礼装』は着込んでいなかったが、地面に擦れて汚れた着物は日和の感情を揺さぶった。

「昊姉ぇが選んでくれたやつなのに。旭兄ぃも似合ってるよって言ってくれてたやつ、なのに」

 大好きな姉と兄に褒められた大切なものを穢した大罪。それこそ億万を殺したとてまるで足りない。

 溶岩ごと消し飛ばされた地面に意識を向け、二メートル弱の棍棒を生み出す。五行術・土の壱たる〝創生棍〟。

 励起させた精霊の総数は通常の百倍ほど。こういう使い方をするから退魔師は精霊種から疎まれる。

 だがこうでもしなければ棍棒が耐えられない。


「───〝錬鉄たたけ〟」


 静電気に似た火花の散る音が鳴る。

 尋常ならざる気配の発生を潰すべく、魔王がオーブと共に肉薄する。


「───〝再現たたけ〟」


 瞬きの内に数十の衝突を繰り返す。徒手空拳に加え大剣と化したオーブの斬撃。主の動きに合わせ精密に包囲網を維持し高威力の突進を敢行する三つのオーブ。

 身の丈を超える長大な鉄の棒を振り回し、埒外の領域にある魔王の攻勢を捌く。


「───〝鍛造たたけ〟」


(……来る!)

 練り上げられてしまった『何か』に歯噛みし、魔王は回避と防御のどちらにも移行出来るよう身構える。

 既に棍棒は尖端から色を変え、鈍色から淡い光彩を放ち始めている。

「〝招来たたけ顕現たたけ。神鉄は我が手に依りて常世に現る〟」

 神器を製作する為に必要とされた鉄鉱。それは鍛造はおろか触れることすら並大抵では叶わないとされる。

 古代ギリシャに伝わるオリハルコンと同義ともされるそれを、極東鍛冶の神はこう呼んだ。

 〝日緋色金ヒヒイロカネ〟。

 現代に点在する数限りない使い手・担い手の中でこれは特に異質異端だ。

 地脈を介し土地由来の神気をかき集め、ようやっと脇差程度の一振りを生み出せるかどうか。

 。そんな人間が存在することはありえない。あってはならない。

 極々稀に人の腹より産まれる、人にして人を越えしもの。天文学的確率で現れる現人神。

 今代においては陽向家の日和がそれに当たる。

「……」

 その瞳に最早一片の容赦もない。

 日緋色の神鉄がひとりでに唸り、神威を放ち、敵を定める。

「───」

 四つのオーブを融合し黒色の鎧と剣に変え、命の濃度を極限まで高める。

 次に人の形を失えば最期。生命のストックなどと保身に走る余裕は残されていない。


 既に元の穏やかな陽光降り注ぐ空も、草原も、丘も、大樹も。全て消え去った。

 煤けた天空の下、黒と赤と焦茶に満ちた死する大地の上。

 一瞬の視線の交錯の後、再三の激突が空間と次元を震わせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る