大きな丘の木の下で


 歪曲した空間を越えた先、どれほどおぞましい魔境へ誘われるかと思いきや。

(…お昼寝の続き、できそう)

 呑気にそんなことを考えられるほど、陽光降り注ぐ丘陵は穏やかな空気で満たされていた。

 唯一問題があるとするならば、それは大樹聳え立つ丘の頂上。

「……」

 空間を越えた足取りは止めないまま、日和は子供なりの小さな歩幅でゆっくりと丘を登る。


 陽の光を一切遮る枝葉の根元。

 常人であらば近寄ることですら正気を保てない、極大の存在感。

 陽向日和の住む世界において最も近いとされる大別を以て、『魔神種』と呼ばれるモノ。

 ソレは静かに座していた。


     ─────


「極東の身なり。大和、日ノ本の何某かね」


 日和の着物姿を一瞥し、すぐさま興味を卓上の盤面に戻す巨漢の圧迫感は、しかし日和の精神にはまったく影響しない。

「自称女神はどこ?生かすと面倒だから、見つけ次第殺したい」

 漆黒の瘴気を見境なく振り撒く男の言葉には応じず、ただ己が目的を語る。

 空間がこの地に繋がれていたこと、そしてこの存在がおとなしく此処に留まっていること。

 何もかも無関係ではなかろう。

「女神、か」

 コトンと盤上の駒を一つ動かして、男はうんざりしたように枝と葉で編まれた天蓋を仰ぐ。

「アレは、そうだな。殺さねばなるまい。我が覇道を邪魔立てした大罪。億万の死を与えても未だ足りん」

 だが。そう次いで、組んでいた足を解き立ち上がる。

 日和の倍以上の背丈から、蟻を見下ろすように無感動な視線が落とされた。

「アレは私が殺す。神へ至るその途上、魔王たるこの身への贄とする」

(まだ魔神じゃない?世界が違うから定義も異なっている…?)

 神話に記載されるクラスの力を内包した存在を日和達の住む世界では『神種』とし、人に仇なすか否かをもって天魔の区分とする。

 これは、明らかに、魔神の気配だ。

 それらの共通点として、極端に分かりやすい特徴がある。

「…さて。私の眼前に礼も無く立つ貴様の不遜は言うまでも無し。今際の際に我が拝謁の栄に浴したこと。誇りと掲げ死んで逝け」

 神は人を顧みない。

 神は人を認めない。

 神は人を尊ばない。

「ちゃんと神様やってるから、謙遜しなくていい」

 認識する。これは魔王に非ず。実力・思想共に神の領域にて相違ない。

 日和の嫌う、何よりも厭う、神格の矜持がそこにはあった。

「女神の前にお前を殺す」

「悪くない虚言だ。童らしい、荒唐無稽で大言壮語な虚ろなる言霊よ」

 腕を伸ばせば小柄な童女一人締め上げるのも造作ない距離だったのを、魔王はわざわざ日和に背を向け十歩ほど離れた。

 振り返り、問う。

「名は?」

「退魔の特異家系、『陽向』が当主代行。陽向日和」

 名乗り口上を受け、魔王もまた自身の名を長々と名乗った。かろうじて『ムルルガイ』の部分だけ聞き取れたが、そもそも日和には興味も無い。


 貴族風な礼装の内から一枚のコインを取り出し、親指で弾く。決闘の合図だということは前に見た映画と同じ流れだったのでなんとか分かった。

 丁寧に弾かれたコインが放物線を描いてテーブルの上を跳ねるまでの僅かな間に。

「来い」

 魔王ムルルガイは虚空から七つの黒玉を出現させた。

 対する日和は何を出すでも構えるでもなく、ただ。

(不味い。神刀持ってくるべきだったかも)

 肌を焼きかねない空気の中で、準備不足を僅かに嘆いていた。


 ───キンッ。


 コインが卓上を跳ねる。

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