咀嚼

@ciexx05

或る女優の訃報が、朝のニュースを賑わせている。死亡推定時刻は一昨日の夜八時、どうやら服毒による自殺らしい。俺が惰性で本を読んでいたあの間に、一つの命が消えたのか。素直に残念だと思う。芸能人に疎い俺でも、あの女優は好きだった。演技が良かった。特にあの殺人鬼の役は、真に迫っていて最高に詰まらなかった。

言葉すら交わしたことのない彼女へと思いを馳せつつ、機械的に朝食の準備を進めていれば、ふとH……の書いた短編で、これと似たような話があったのを思い出す。自殺した女優の事を皆が惜しむが、誰もその女の特徴を覚えていないとか、確かそういう話であった。詳しい内容は思い出せないが、あの話もまた良かった。彼の小説は良い。この世界は下らないものでしか構築されていないのだと、何度も痛感させられる。結局そうなのだ。何もかもが下らない、全てが模造でしかない。その中で幸せが何だとか、生きている意味がどうだとかほざいている奴等を見ると、如何しようもなく羨ましくなる。君達は幸せでいい。俺はもうこの世に生まれて30年以上経つが、未だに意味とやらを探す気にはなれない。見つけたところで、死ぬだけだ。どんな道を歩こうが、終わりは皆同じなのだ。探すことに、価値などない。

演技掛かったアナウンサーの声が、耳に心地良く響く。「本当に残念です」、言葉だけなら何とでも言えるだろう。お前も俺と同じで、一時間後にはその女優のことなどサッパリ忘れる癖に、何故人は上面だけでものを語る?体裁か?情、良心、優越感?それとももっと汚れた感情か。何れにせよ、人が最も美しい瞬間は、間違いなく「赤の他人」が死んだときだ。俺は包丁を研いだ。


「人を殺した理由か。様々あるが、あの女優の自殺は大きかった。哀しみの憂さ晴らし?そんな訳無いだろう、俺がそこまで彼女に執着する意味がどこにある。そんな下らん理由では無い。もっと単純明快さ。要するに羨ましかったのだ。死という選択肢を選べる立場が、全国で大袈裟にその死を惜しまれ、そして直ぐに忘れられてゆく彼女という存在が。

そうだな、例えば君は、人間が最も美しい瞬間は何時だと思うかね。…解らない?まあ、それも一つの答えだ。解が無いというのは俺も嫌いじゃない。だが、大抵は死ぬ時だと言うだろう。多くが、人間は死ぬ時が一番美しいと言う。

しかし俺は、自らと何ら関わりのない、赤の他人の死を前にした人間こそが、最も美しいと思うのだ、そうではないかね。皆が皆、揃って同じような表情を作って、同じような声のトーンで、同じような事を口にするのだ。まるで教え込まれたように。滑稽じゃないか?まるで本心じゃないのだ。あれ程美しいサーカスは見たことがない。仮面だよ。奇麗な光景だ。まるで詰まっていない、あの薄さが好きなのだ。死を哀しむべきものとする、この世界が奇麗だ。だから殺した。……意味が分からないか。解らなくとも良い、むしろその方が良いよ。まあ、他に話すことはもう何も無い。どうせ俺も死刑だろう。君も哀しめばいいさ。それとも、俺のような人間は、死んだって哀しくはないか。ハハハ!良いね、そう言うのが良い!」


ホームレスや貧困者ばかりを狙う殺人鬼の奇言が朝のニュースを賑わせている中、或る少女だけはあの女優の死を忘れられずにいた。あの日、あの朝から、彼女を忘れたことなど、片時だって無かった。大好きだった。誰よりもその活躍を応援していた。美しい瞳が、真摯な態度が、凛とした姿勢が、何よりあの真に迫った演技が好きだった。

だからこそこの世が憎かった。彼女に死という道を選ばせた、この世界が気持ち悪かった。

確かに、あの番組で彼女は元気が無かった。

あの芸人と話をしている時、彼女は嫌がる態度を見せていた覚えがある。あの音楽番組で、歌声が批判されたことが辛かったのかも知れない。それとも何か理由があって、罪を犯してしまったのか。きっとそうだ、この芸能界が悪いのだ。

けれど、これもまた仕方のない事なのかもしれない。

私は彼女の死を悲しんでいるだけの、薄いファンとは違うのだ。

死を求めたのは彼女だ。私が、ただのファンである私が口を出していい事では無い。

受け容れなければならない。私は、その辺りのファンとは違う。


数日後、あの女優の死について、新たなニュースが報じられた。

悪質なストーカーによる巧妙な他殺であった。自殺ではなかった。


「あんな、つい最近までテレビですごく楽しそうに笑っていた、罪のない人を殺すなんて!」


少女はそう言って泣いた。

所詮この世は偶像である。




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