第16話 包丁と交わされない約束
【水鳥 麗 一回目】
私は気が付くと、見た事のある景色に立っていた。
夜で視界が悪い中、街灯に照らされたその場所は木村君の家の前の公道だった。
肌寒く、季節が初冬かあるいは春先だということが解る。自分の服を見ると、いつも冬に着る黒いコートと、当たり障りのないズボンをはいていた。
私は携帯電話がポケットに入っていることに気づき、取り出した。画面をつけると日時が表示されている。
「……平成××年……11月……1日……」
その日付を見て私はハッとする。
この日は木村君が犯した事件当日の日付だ。
――何の相談もなく作戦も練っていないのに……
私はそう思っていた。
先ほどまで凄惨な現実に泣き崩れていたせいか、頭が回らない。いくら私が半狂乱だったとはいえ、事件当日にくるなんて無謀すぎる。
彼がどんな状態なのか、それは私にも解らなかった。
――白蛇が私に今ついているけれど、白蛇がもたらした過去は変わらない……今日、間違いなく木村君は人を殺してしまう……
私は慌てて時間を確認する。時間は夜中の午前1時程。事件があったのは午前2時頃。まだ家にいるはず。
そんなことを考えていたら、木村君の家の扉が開いた。
私はビクリと緊張し、その方向を確認する。全身黒い服装をしているが、木村君が出てきたのを確認した。
拘置所にいるときとは全く異なり、髪の毛は短く切られていた。その短い髪の木村君に私は一瞬迷ってしまう。
しかし、私が彼を見間違うはずがない。
彼は私にまだ気づいていないようで、被害者の家の方に向かってゆっくり歩き始めた。
――まずい、止めなければ……!
「木村君!」
喉がすれるような、叫ぶような声で私は彼の名前を呼ぶ。
木村君は私に呼ばれてこちらを向いた。
少し遠くて顔は良く見えない。私はゆっくりと木村君に近づいた。少しだけ怖いと私は感じた。事件当日の木村君は……事実人を殺しているのだから。
「木村君、あの……驚かせてごめん。私は――――」
木村君は鞄の中に手を入れた。
私はその瞬間、何をされるのか瞬時に理解した。その鞄の中に凶器の包丁が入っているって解っていたから。
案の定木村君はその包丁を取り出した。街灯の光をぬらりと反射し、鈍く光った。そしてそれを構え、走ってくる。
「木村君、聞いて! お願い!」
私の声は届かない。
真っすぐに走ってきて包丁を振り上げて振る。
私は咄嗟にそれを左腕で防ぐ。コートの厚みで皮膚までは到達しない。
――駄目だ、集中しないと本当に殺される。殺されてもいいけれど、でもそれじゃ事件になってしまう……
結局同じだ。助けられない。
「木村君、お願い。正気に戻って……」
私の言葉も虚しく、木村君は包丁を何度も振る。私は後ろに避けながら動きを封じられる隙を狙った。しかし、後ろにある段差に足を取られて私はバランスを崩した。
「うわっ……」
私はそこで後ろに倒れ込む。背中に走る痛みで一瞬の隙を与えてしまった。
木村君は私に馬乗りになり、腹部めがけて包丁を振り下ろした。皮膚や肉、内臓が貫かれる痛みで私は正気を失う。
私は馬乗りになっている木村君の腹部を思い切り殴った。苦しそうに木村君は腹部を押さえる。
私は身体を捻り、下から脱出した。そして手に持っていた包丁を蹴り上げてその辺に投げ飛ばす。自分の傷を確認しようかと思ったが、そんな余裕はない。血が溢れている感覚はあったけれど、そんなことよりも目の前のことだ。
「木村君、落ち着いて。お願い。私は危害を加えたりしないから」
「…………」
正気の目をしていない。聞いているのか聞いていないのかすら判断できない。
「お願いだから落ち着いて。話をさせて」
「……………………」
駄目だ、本当に心神喪失している。何も答えない。これがどうして、無罪にならないのだろう。裁判官は見たこともないのに。
この状態の彼を、見たわけではないのに。
「……犯罪組織の二人の男に、呼び出されてるんでしょ? 包丁と金槌を持ってくるようにって?」
「………………」
木村君は少し驚いたような顔をしていた。
「木村君……あなたはそこに行ったら騙されることになる。行っては駄目。……教唆の声に従ってはいけない。負けないで……」
私はそこまで言って、腹部の痛みが急激に激しくなったように感じた。で立っていられなくなり、倒れ込む。
「あぁっ……う……はぁ……はぁ……」
手を見ると、自分の真っ赤な血液がべったりとついていた。
――なんでだ……さっきまで痛みも強くなかったのに……
木村君が私の方に寄ってきて、私を見下ろす。
「まぁ……君に殺されるのは私も
「…………」
木村君は私の隣に膝を抱えて座り込んだ。自分の顔を自分の腕の中に埋める。弱々しい姿。こんなことをされても、その姿の木村君に私は心乱される。
やっぱり、怖いんだ。本当はやりたくないんだ。そう思うとその震えている彼に私は精一杯言葉を投げかける。
「木村君……私は必ず君を助ける……約束だよ」
シャラシャラ……金属がこすれる音。
私が血まみれの左手の小指を差し出すと、木村君はおずおずと私に自分の左手を差し出してきた。まるで、泣きそうな顔をしている様だった。
――あぁ……やっぱり君は…………
そう口に出そうとしたが、私の意識はそこで途絶えた。
指切りを果たすことはできなかった。
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