第10話 田舎と都会

 



【木村 冬眞 十】


 早朝の新幹線に乗って、群馬県に降り立った。


 ――群馬県って、どんな場所なんだろう。そう都会なイメージはないけど……


 僕はひすみさんの住所を検索し最寄りの高崎駅にたどり着いた。高崎駅は新幹線が停まる駅だ。朝日がもう随分昇って高くなっていた。日差しが眩しい。

 初めてきたけれど、東京や京都と比較するとビルは高くないし、人もそんなにおらず、閑散としている印象を受ける。タクシーは停まっていたので、とりあえずタクシーを使おうと考える。


 ――しかし……ほぼ勢いだけで有り金全部と預金通帳と、あるだけの衣類を詰め込んだスーツケースで飛び出してきてしまったが、僕はこれからどうしたらいいのだろう


 今日は結婚式当日だ。もう時間的にも美那子は起きてくる頃だろう。書置きを見て彼女はどう思うのだろうか。

 まさか、結婚式当日に群馬に来ることになるなんて微塵も思わなかった。僕は一体なにをしているのだろう。解らない。でも、浮気しているなんて知らなければ僕は幸せになったのだろうか。

 頭の中でそれを考えるのはもう何十回目か忘れた。しかし、もう行動に移してしまったのだから、今からどうにかなる問題ではない。

 タクシーに乗って、指定の住所を運転手に伝える。駅から離れると一気に何もない田舎になった印象を受けた。車の交通量もそこまで多くはない。都会と違って喧騒がないのは魅力かもしれない。

 少し、こういうところで羽を伸ばすのもいいかもしれないし、実家に帰ってもいい。

 住所の付近に降ろしてもらい、僕はタクシー料金のお金を支払う。タクシーはここがどこなのか分からない状態の僕を残し、去っていった。ひすみさんの家の近場にいるのはわかるが、実際にどの家なのかはわからず、僕が携帯でマップを見ていると美那子から着信が入る。出るか出ないか迷ったが、僕はけじめをつけようと電話に出た。


「もしもし」

「冬眞!? どうしたの、このメモなに!? どこにいるの!?」


 耳をつんざくかの如く大きな声が携帯から聞こえてくる。思わず僕は耳から電話を離すと、マップを確認した。道は合っているようだ。


「美那子、携帯見たんやけど……君と結婚するのは少し考えさせてほしい」

「今日結婚式だよ!? 冬眞、あたし……冬眞があんまり構ってくれないから寂しくて……」


 寂しいなんて理由で、していいことと悪いことがある。そんなことも解らないのか。そう考えた時、また記憶がフラッシュバックする。


 ――私、寂しいってよくわからないんだ。そう感じた事なくて……。でも木村君と会えないのがつらいのって、寂しいってことなのかな……?


 声と声が頭の中で交差する。ひすみさんの声と美那子の声。


「帰ってきて……どこにいるの……」

「……都内にはいない。もう間に合わないし、キャンセル料は美那子が払って」

「なんでそんなこと言うの!?」

「……弁護士を立てて、裁判してもいいんだよ。証拠はとってあ――――」


 ――木村君……木村君…………ッ!


 ひすみさんの呼ぶ声、泣きながら僕を呼ぶ声。耐えられなくなり、僕は頭を押さえた。美那子は懸命に言い訳を続けている。

 やっぱりだ。やっぱり違う。

 美那子は僕の大切な人じゃない。こんなふうに思うのは、僕は病気だろうか。

 確か、カプグラ症候群という疾患は、身近な人間や物が偽物にすり替わっていると思い込む病気らしい。なんとなくその症状に似ている。

 ただ、別に僕は美那子が偽物だと思い込んでいるわけではないのでその病気ではないだろう。


「冬眞! 聞いているの!? 冬眞――――」


 僕は電話を切った。即座に着信拒否にする。


 ――もう、いい。今までの想いですら穢さないでほしい。


 せめていい思い出のままにしたい。それが唯一、美那子にできる最良の策だ。

 周辺の家の表札などを確認すること10分、空き家かと思われるほど手入れのされていない一軒家があった。それほど大きな家ではない。建売住宅だろう。他の家の表札は全て確認したので、恐らく消去法としてここだと思うのだが。


 ――ご家族の方や、他の方が住んでいたりするのだろうか。


 不動産の張り紙はなく、車も二台停まっている。片方は廃車になっているのか、ここ最近動かした形跡がない。一方はあまり綺麗でないにしても、使用している様子はあった。

 表札も出ていない。

 一先ず、目に入ったインターフォンを押してみる。もし、いるなら許可を取って入らなければいけない。


「…………」


 案の定といえばそうだが、返事がない。それでも僕は30秒ほど待った。もう一度押してみるがやはり反応はない。

 僕は家の周りをぐるりと回ってみた。窓にはすべてカーテンがかかっており、固くそれは閉ざされていた。

 二階も同様だったが、一室だけ窓に何か反射するものを貼ってあるのか、光を反射していて眩しい。気になったのは、壁の色がまちまちになっていることだ。わざととは思えない。

 素人が乱暴に塗料で塗ったような跡だ。


「玄関、開いているとは思えないんやけど……」


 独り言を口走り、玄関の取っ手を軽く引っ張ると途中で引っかかった。当然だろう。人が住んでいるのなら、勝手に入るわけにはいかない。

 しかし、ここまできて入れないのは、予想はしていたが少々困った。

 僕が困っていると、玄関の鍵が開く音が聞こえて、少しだけ玄関の扉が開く。内側にはチェーンがついており、それ以上は開かないようになっていた。


「どちら様ですか」


 神経質に聞こえる妙齢の女性の声が聞こえた。中の様子は見えない。


「あの……木村冬眞と申します。関野教授にお世話になっておりまして、その――――」


 バタン。


 扉を閉められた。

 それも予想はしていたけれど、門前払いとは流石に呆気にとられた。と、思っていたらチェーンを外して扉が大きく開いた。中からすっかりほとんどの髪が白髪になっている初老の女性が顔を見せる。恐ろしいほど痩せている人だった。


「関野教授の……娘のことですか」

「あ……えっと。そうです。事件のことで……」

「……そうですか。どうぞ……入ってください」


 力なく、その初老の女性は扉を開けて僕を受け容れてくれた。




 ◆◆◆




【水鳥 麗 十】


 最後にラファエルに会った同年3月。

 私は遠方に住む友人に会う為に京都に来ていた。私の地元よりは圧倒的に栄えている。行きかう人々が関西弁で話をしていた。


「おぉ……」


 私が一人で感動していると、友人から連絡が入る。


「ごめん、昼間仕事になっちゃって……本当に申し訳ない! 夜埋め合わせするから観光でもしていて」

「えー、マジか。解った」


 解ったと言うしかない状況だったのだが、私はどうしようか真面目に考えた。

 私はあまり観光には興味がなかった。しかし京都まできて漫画喫茶に行ったり、カラオケに行くのも何か違う。なにかご当地の……と、考えながらマップを見ていたとき、近くに裁判所があることに気が付いた。


 ――そういえば裁判の傍聴楽しかったな。行こう。


 そう決意して私はマップを見ながら歩き始めた。GPSが狂っているのか、あまりマップが正確に表示されておらず、私は見慣れない都会を行ったり来たりしていた。

 しかし、やっとの思いでまっすぐ進めば裁判所にたどり着く道に出る。


 ――よし、ここをまっすぐ行けば着くな……


 私は携帯をポケットにしまう。


「麗さん!」


 急に大きな声で呼ばれて私は飛び上がった。

 驚いて振り返ると、ラファエルがいた。「もう、大きな声出さないでよ」と、口を開きかけたときにいつもと様子がまるで違う事に気が付いた。

 いつもと違う恰好をしている。

 マスクを着用し、いつも着てないようなワイシャツにジャケット姿。髪の毛は一本に縛ってある。それだけ見るとまるで別人のようだった。


「裁判所に行ってはいけません」


 いつも以上の必死の形相に私は驚いた。ラファエルは私の腕をしっかりと掴む。彼の表情は今までで一番険しく、それを見た私は動揺を隠せない。


「どうしたのその恰好…………それに、なんで?」

「とにかく絶対に行ってはいけません」


 有無を言わさないその強気な態度。私は不審に思った。それに、あの時の泣き顔の意味も私には全く解らなかった。


「あの……前回私、なにか悪いこと言っちゃったかな……気を悪くしたならごめん」

「麗さんは何も悪いことなどしていません」

「じゃあなんで泣きながら逃げたの……?」


 あぁ、まただ。なるべく詮索しないようにしようって決めたのに、どうしても気になって聞いてしまう。


「そんなこと……ないです。とにかく、裁判所にだけは行ったら駄目です」


 そっけない返事と更なる忠告が返ってくる。あくまで教えないつもりらしい。私は心が痛んだ。それと同時にわずかな怒りも乾いた心に芽吹いた。


「……そろそろ理由を教えてよ。私もいつまでもあなたにこうやって、あなたの指示通りにしていられない。いまだに名前も教えてくれないのに」

「……理由は、言えないんです。すみません。でも、私は麗さんの為に――――……」


『私の為』という言葉に、私は酷い苛立ちを覚えた。幾度となく助けてくれているとも解りながら、それでも『私の為』などという言葉に私が耐えられるわけがなかった。


「私の為ってなに? 私の気持ちも意向も全部無視して自分の意見を押し付けて、それで私の為ってなに? 自分がしたいからしてるんでしょう? 何がどうなのか解らないけど……それって『私の為』っていう体裁の自分の為じゃん」


 大切な人を失ったあのときに、誰かのためになにかするということができないことを痛いほど感じた私は『あなたの為』という言葉も概念も大嫌いだった。

 だって、本当に何かしてあげられていたなら、失わなかったのに。


「私の言っていることの意味が解らないのは、悪いとは思っています。でも、あなたはそうしなければ……」


 あくまでその主張を繰り返すラファエルに更なる苛立ちを覚える。


 ――この人、一体何様なの? 私のなんなの?


 傲慢の罪が暴れだす。


「あなたの指図は受けない。それで私がどうなろうと、それは私の自業自得でしょう? 私はあなたの言葉を受け容れなかった結果、酷い目にあってもそれは私が選んだことなんだから、あなたが負い目を感じることじゃない」


 私はラファエルの手を振り払い、制止を無視して裁判所へ向かうべく踵を返した。当然ラファエルはしつこくついてくる。

 しかし、強引に腕を掴むでもなく、私の隣を並行するように彼は歩いていた。


「麗さん、お願いです。裁判所に行かないでください」


 まるですがるような声だった。流石にその様子を見ると少し悪い気もしてくる。


「……理由を言ってくれたら、考え直してもいいけど」

「言えないって言っているじゃないですか!」


 いつもと違う強い口調に私は驚き、彼を見た。顔を見ると少し怒っているようにも見える。私が驚いていると、ラファエルは我に返ったようにハッとして、視線を逸らした。


「あ……すみません。でも……行ったら……あなたはまた……」

「また……?」

「とにかく、行かないでください」


 私の前に立ちふさがる。どうしても行かせたくないらしい。


「しつこいな……あなたも……」

「駄目です」


 そうやって押し問答をしていると


「君たち、何してるんや」


 警察が二人、たまたまそこに居合わせて声をかけてきた。


 ――しまった。大事になってしまう。ここは穏便に済ませて……


 そう思っていた私を置いてラファエルは走って逃げてしまった。呆気にとられるとはこういうことを指すのだろう。

 警官の一人がラファエルを追いかける。


「君、大丈夫?」

「え、あぁ……はい」


 気の抜けた声で返事をしてしまう。


「変なことされてへん?」

「はい、えっと……彼、私の知り合いなんです。口論になってしまって……。大丈夫です……ありがとうございます」


 私はラファエルが戻ってこない内に京都地方裁判所を目指した。

 なぜあんなに私をいかせまいとしていたのか、私はすぐ後に知ることとなる。




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