Guest House ACCA【レシピ付きフリー台本】

江山菰

H

*登場人物

 アッシュ 20代になったばかりの男性。育ちがよく、学者肌で若干神経質そう

 ヘクター 30代に差し掛かった男性。温和で品がよい。

 ダユー 30代に差し掛かった女性。アッシュの遠縁。そこそこの資産家でACCAの常連。



 本文ここから


SE:風の音、やや不吉そうな鳥の声


ヘクター「ぼっちゃん、モーニングの厨房作業、お疲れ様でございました。客室のほうは清掃が終わっております」


アッシュ「ヘクターもお疲れさん。どうせ俺たちの分まで入れたってたった五食だろ、大した手間じゃない」


ヘクター「今朝の目玉焼きは片目でございましたね」


アッシュ「卵の在庫が潤沢じゅんたくなら両目にしたさ。その代わり、ジャガイモと鱈でガレット作ったろ?」


ヘクター「(笑って)ずいぶんお手間のかかるメニュー変更で驚きました」


アッシュ「いいんだよ、あるもので適当に作れば。どうせ暇だし。ほら、ジャスミンティー淹れたぞ。飲め」


ヘクター「いただきます」


アッシュ「今日は予約は0だろ? 暇だから、おととい釣ったオオクチバス、燻製くんせいにしよう。出がらしの紅茶の葉とチェスナットの殻で」


ヘクター「それはよろしゅうございますね」


アッシュ「淡水魚嫌いは意外と多いだろ? そういうやつをぎゃふんと言わせてやる」


ヘクター「ぎゃふん、ですか(笑い)」


アッシュ「うん、ぎゃふん(笑い)。やりくりが大変な中で、高級感出そうとがんばってるんだからな」


ヘクター「おいたわしいことです。世が世なら財産収入で遊んでお暮しになれたのに……」


アッシュ「でたな、いつものキメ台詞。オウムじゃあるまいしいっつもいっつも同じこと言ってさぁ……日本語では耳にオクトパスが付着するというらしい。ぬるっと」


ヘクター「ぬるっと……でございますか」


アッシュ「そう、ぬるっと。とにかく、働かざる者は食うべからず、だ。その覚悟で、この屋敷の一部をゲストハウスにしたんだから、泣き言はなしだ。客は来ないけどな」


ヘクター「(ため息)代々の当主様がこのありさまをご覧になったらなんとおっしゃるか……」


アッシュ「俺には生活力ないし、固定資産税も屋敷の補修費も稼ぐあてはないし、仕方ないって」


ヘクター「はあ(ため息)」


アッシュ「しかし、頑張っても、一日に1組来りゃいいほうだってのがつらいな。郊外だし、沼地の中だし、柳だらけでしょっちゅう霧が出て、おまけに古くて家鳴りするし、幽霊でもいそうだよなあ、ヘクター」


ヘクター「……まあ、ここには私の他には、どなたもいらっしゃらないようですが」


アッシュ「(ため息をついて)まだまだ教えてくれないんだな。ここにお前がずっといるのはなぜなのか、って」


ヘクター「私にもわかりませんので……正直なところ、気づいたらこうなっていたものですから」


アッシュ「物心ついたらずっといて、家事とかやってて、遊んでくれて、全然年も取らなくて……でも違和感なくってさあ……そんなもんだと思ってたんだけど、普通考えたら変だもんな。やっぱり気になるんだよ、なんでうちにお前みたいなのがいるのかって」


ヘクター「私自身も変だと思っておりましたが、考えてもしょうがないことでございましょう?」


アッシュ「親父も、爺さんも、ひい爺さんもみんなお前のこと普通に扱ってたし、いるのが当たり前になってたけど……お前、それでいいのか? 死んでるんだったら、行くべきところがあるんじゃないのか?」


ヘクター「そのお言葉こそ、私の耳の穴からオクトパスがにゅるっと出てきそうでございますよ」


アッシュ「では今日はオクトパスじゃないことも聞くぞ……前から聞こうと思って忘れてたんだけど、幽霊のくせになんで実体があるんだ? もの食うし、グルーミングに水も石鹸も使うし、金がかかるんだよ、まったく!」


ヘクター「……食事もおいしく感じますし、睡眠もとりますし……死んでいるのかどうかもあいまいでして。しかし、考えても仕方のないところに時間をかけていても、汚れものは減らないし、床はピカピカにはならないのですよ」


   可能なら何か、掃除的な作業の音を入れる


アッシュ「つくづく、サービス業に順応しすぎだろ」


ヘクター「ぼっちゃんもでいらっしゃいますよ。ボストンでお勤めだった時とはずいぶんお変わりになりました」


アッシュ「ラボで緩衝層かんしょうそう粘性計算ねんせいけいさんしてるよりポワレ振ってるほうが多分俺のしょうに向いてるんだな」


ヘクター「……(笑ってから、間をおいてしみじみと)ぼっちゃん、ここは沼地でいつもじめじめしておりますが、アイリスや睡蓮など、四季折々に美しいところでございます。窓からシカやリスが覗いていたり、鳥の巣が柳にかかっていたり。少々くさい表現ですけれども、魔法のようではありませんか。その魔法でぼっちゃんはここにおいでで、ここが守れたら、私はそれでよいのですよ」


アッシュ「魔法、か……。んー、要するに、お前がここが好きってだけでとどまってるってこと?」


ヘクター「そのようでございますね」


アッシュ「ほんと、不思議なやつだ。まあ、こっちは助かってるけどさ。客にばれたこともないし」


ヘクター「人のふりも、年季が入っておりますのでね。でも、小さなお子さまは時々、私をじーっとご覧になっています。まだ濁ってない目ですから、何かおわかりなのかもしれませんね」


アッシュ「(間をおいてから、独白)親父は、死ぬとき、絶対にここを手放すなって言っていた。親父も、爺さんにそう言われたそうだ。そうやってうちは代々、こことこの幽霊を受け継いできた。そして、代々ここを受け継ぐものは名前がHで始まる。俺なんか、H一文字で「アッシュ」だ。何だこの雑な命名。それは置いといて、ヘクターもHで始まっている。これはいったいどういう謂れ《いわれ》があるんだろう……」


※モップをべちゃりと床に置き、拭く音


アッシュ「(独白を続けて)なんか変なんだよな、うちの家系も、この場所も。子どものころから、虚空こくうに大きなうずが見えるし……カルマンうずみたいなのが。この霧だって、普通の霧じゃない。その渦の摩擦で生まれているんだ……」

 

ヘクター「(少し間をおいて、不思議そうに)ぼっちゃん?」


アッシュ「(驚く)わっ!」


ヘクター「どうなさいました?」


アッシュ「人が考え事してるとこに、いきなり声をかけるなよ!」


ヘクター「ずいぶん深刻そうになさっておいででしたので……お悩み事がございましたら、お掃除しながらでよろしければ、私がお話を伺いますが」


アッシュ「いやなんでもない」


ヘクター「(心配そうに)ご当主様の心配をするのが、私の務めですので……」


アッシュ「うっとうしいな……」


ヘクター「……あ、お客様がいらっしゃいましたよ、ぼっちゃん! ポーチに人が入ってきます!」


アッシュ「げっ! チェックインにゃ早すぎだろ?! 予約もなかったのに」


ヘクター「……霧でちょっと見にくいですが……お一人のようです。この時間ですと、ランチをお目当てに来られたんでしょうね」


アッシュ「うちはランチやってないってのに厚かましいな」


ヘクター「よろしいではありませんか、こんな人里離れたところへおいで下さったのですから、追い返すなんてとてもできません。適当な賄いを出して、がっぽりいただきましょう」


アッシュ「人のことは言えんが、お前のそういうとこ、ちょっと戦慄しちゃうときがあるぞ」


ヘクター「(玄関をいそいそと開けて)こんにちは、ようこそいらっしゃいました……あ、ダユー様?!」


ダユー「お久しぶりね、ヘクター!」 


ヘクター「ええ、おかげさまでつつがなく過ごしておりました。ダユー様はいかがお過ごしでしたか?」


ダユー「ずっとダラスに出張してたわ。ああ、つかれたー! 霧で濡れたし、シャワー浴びたいわ……んー? あら、アッシュ、いたの? あんたも元気だった?」

アッシュ「またお前か」


ダユー「相変わらずねえ、あんたは。客に対する物言いがなってないわよ」


アッシュ「お前だって、宿主(やどぬし)に対する物言いがなってないだろうが!」


ダユー「いいじゃない、友達でしょ」


アッシュ「友達じゃない! 遠縁の腐れ縁ってだけだろ」


ダユー「昔はオムツもこもこさせて私の後をついて歩いてたくせに、何て言い草なの? どうせお金に困ってるんだろうから、泊ってあげようと思ってきたのに」


アッシュ「そういうとこがすっげー嫌なんだよ」


ヘクター「まあまあ、ぼっちゃん、オーナーらしくなさいませ」


ダユー「(笑い)ヘクターも苦労するわねえ」


ヘクター「(笑い)恐れ入ります。甘やかした私にも一因がありまして……お部屋はいつもの西の角部屋でよろしゅうございますか?」


ダユー「ええ、お願いするわ」


アッシュ「ほらよ、ウェルカムドリンクだ。ありがたく思え」


ダユー「あら、懐かしいわね、アプリコットのソーダ! 裏庭の木のよね? 昔ここへ来ると、よくあんたのおばあさまが出してくださってたわ。作り方教わったの?」


アッシュ「いいや、レシピはググった。簡単だからメシマズのお前でも作れそうだぞ」


ダユー「あんた、ほんっとに一言多いのよ。ところで、今日のランチは何? まさかシリアルとか出すんじゃないでしょうね?」


アッシュ「(舌打ちして)いいことを教えてやろう、当ゲストハウスではランチ営業はやっておりません」


ヘクター「(アッシュに囁いて)ぼっちゃん、がっぽりのお話は?」


アッシュ「(再度舌打ちして)鯖のグリルのサンドイッチだ。ランチタイムは正午! 1時になったら泣こうが喚こうが食堂は閉めるからな!」


ダユー「わかったわ。2ドルで、レモンとケイパーまっしましにできる?」


アッシュ「4ドルなら、やってやらんでもない」


ダユー「じゃあそれでいいわ」


ヘクター「(いそいそと)ではダユー様、お荷物をお運びいたします」


ダユー「ありがと、ヘクター」

   

 (5秒ほど間を置き、夜。可能ならSEで虫の音、カエルの声)

 

ダユー「ここの夜って、色に例えるなら黒ね。周りに人家がないと、こんなに真っ暗なんだっていうのがよくわかるわ。今夜は月も見えないし」


ヘクター「それも、ゲストハウス・アッカの持ち味でございますよ」


ダユー「ディナー食べたら、その後はピアノ弾かせてもらってロビーの棚にある古い本読んで、そのほかにはなーんにもすることないのよね、ここって。ああ、まだ夜の8時過ぎだってのにすっごく退屈!」


ヘクター「退屈は贅沢なものでございますよ」


ダユー「ふふっ、わかって言ってるのよ」


ヘクター「お飲み物のお替りはいかがでしょう?」 


ダユー「んー、もういいわ。それより、ちょっと考えたんだけど……私の知り合いにジャズピアニストがいるんだけど、いつかここでライブイベントをやってみるっていうの、どうかしら?」


ヘクター「(ありがたそうに)ありがたいお申し出でございますが、私の一存ではお答えいたしかねます……」


ダユー「(笑いながら)お客を呼べるって確約できるわけじゃないけど、私もちょっとはアッカのこと心配してるのよ。いつ来ても閑古鳥かんこどりが鳴きまくってるもの」


ヘクター「ありがとうございます。オーナーにも私からお伝えいたします」


ダユー「ところで、(きょろきょろしている風に)あのうるさいオーナーはまだお出かけ中? さっき、玄関から出ていくのが見えたのよ」


ヘクター「ああ、食材の仕入れに……」


ダユー「夜の沼地をうろうろするなんて危なくないの? 昔ここへ来ると、夜は子どもも大人も邸から出るのを厳しく止められてたわ」


ヘクター「オーナーはもう大人ですし、慣れ親しんだご自宅の庭ですので大丈夫でございますよ」


ダユー「(たっぷり間をおいて)……ねえヘクター、アッシュって時々、じーっと変なところを見つめてるでしょ」


ヘクター「ああ……はい」


ダユー「あれ、子どものころからなのよね。渦が見えるって言ってたんだけど、どんな渦って聞いたら、時間がぐにゃってなってるって言ったのよ。変な奴よね」


ヘクター「オーナーは大変個性的でいらっしゃいますから」


ダユー「(笑いながら)確かに個性的だわね。でも、最近、彼が言ったこと思い出してちょっとはっとしたの。アッシュと私って、四つ違いのはずなのに、もう十歳くらい離れて見えるの。なんか若いのよね、アッシュって。ボストンで会ったときは、年相応に見えたのに、それから全然年取ってない感じなのよ」


ヘクター「オーナーも、ここではきっとリラックスされているからでしょう」


ダユー「それだけかしら? それに、私が子供のころ、ここに遊びに来るといっつもアッシュのそばに執事さんがいたのよ。あなたにそっくりな…………まさか、あれがヘクターだってこと、ないわよねえ、いくら何でも二十年前の話なのに」


ヘクター「ファンタジーのようでございますね」


ダユー「(笑って)私はオカルトのつもりで話してるんだけど」


ヘクター「実際のところは、ここは霧が多いのでお肌が乾燥しにくいからでございましょう」


ダユー「じゃあ、ここはサロンや保湿美容液よりずっといいのね。もっと頻繁ひんぱんに来ようかしら。料理のセンスも悪くないし」


ヘクター「ええ、いつでもお越しくださいませ。湿度はともかく、ここは時を忘れる魔法の場所でございますから」


ダユー「(笑って)あなた、ロマンチックなことさらっというのね。ここにくすぶってなきゃ夢見がちな女子に案外モテたかも」 


ヘクター「恐れ入ります」


ダユー「アッシュも、黙ってれば逆ナンかまされそうなんだけど、喋り出すと地獄なのよねえ。いっそ、あなたたち、サイトで顔出しして、顔で女性客釣ればいいんじゃない?」


ヘクター「それは……(困ったように笑う)」


ダユー「あら、真剣に言ってるのよ?」


ヘクター「(笑って)私たちは、写真写りがとても悪いので……ネットではどんな風に見えるか、私たちにも怖いのです」

 



 ――終劇

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