【落語台本】浅間山(あさまやま)

紀瀬川 沙

第1話

▼回向院境内 勧進相撲二日目


【江戸の町は夏真っ盛りの時節のお話。木々は翠に生い茂り、そのいたるところからアブラゼミのやかましい鳴き声が響いております。日差しは強烈この上ないなか、朝から風ひとつなく、酷暑のもと士農工商みな、もれなくほとほと困り果てている様子。そんななか、ここ両国の回向院では、昨年の火事で焼け落ちたという知恩院の三門復建のための勧進相撲が催されております。取組は、ちょうど十両が終わり、ここからいよいよ幕内に入ります。ところが、この酷暑のなかわざわざ集まった人々を見ると、早くも今夜の隅田川の花火のほうに気をとられているのか、前頭何枚目と取組が進んでも、いまいち盛り上がりに欠けているといったありさま】


老人   <はぁ、どうもだらしねぇ。こう、なんというか、渾身の、ここ一番といった気概がねぇもんかね?>

老人の連れ<えぇ、いやはや、手厳しいね。さっきから、たいそう激しい取組じゃないか>

老人   <いいや、幕下からずっと、気迫も感じねぇ。力士も力士だが、親方衆も親方衆だ。どういう了見してんのかね?>

老人の連れ<まぁまぁ。タニマチもひいき筋もいるかもしれねぇ。変なことは言うもんじゃない>

老人   <へっ、こんな。往年の大横綱・不知火を知ってるワシから見たら、今の力士なんざぁ>

老人の連れ<ま、今の力士も捨てたもんじゃない。今の大関の、なんだ、浅間山なんて、どうだ?>

老人   <ふん、そんなもん>

若者   <おう、さっきから何だ?だまって、見てろ>

老人   <あん?>

若者   <じじいの昔話はいいから、だまって見てろ、っつってんだ>

老人   <なんだとう?文句あるってのか?>

若者   <なんだ、なんだ?>

若者の連れ<やめろ、やめろ。すみませんね、おじいさん、こいつちょっと酒の飲み過ぎで>

老人   <つまらんものに、つまらんと言って何が悪い?>

若者   <てっぽうでもかんぬきでも、かましてやるぞ>

老人   <ふん、こっちこそ、のど輪で張り手でもみまってやら。若造、そんな酔っ払って何ができる?>

若者の連れ<おいおい、どっちもそれくらいにしておけよ>

若者   <おら>

老人   <おうおうおう>


遠くの人①<はぁぁあ、あくびが出ちゃうな、さっきから。決まり手も平々凡々>

遠くの人②<おい、見てみろ。あっち。老いぼれと若造が何やら揉めてやがら>

遠くの人①<ん?どれどれ>

遠くの人②<あそこの、土俵の赤柱のちょっと左>

遠くの人①<お、いたいた。あれか。何だい、おもしろそうだ。さっきから、あくびが出ちまうような取組ばかりで退屈してたんだ>


【その場に響く呼出の声】


呼出   <ひが~し~、土浦~。に~し~、肥後の浦~>


【呼出の声を受けて、二人の力士が塩をまきます。かたや客席の様子はと言うと】


遠くの人②<お、前頭三枚目の肥後の浦だ。先場所は大関も倒して>

遠くの人①<いいよ、昨日の初日でもう、浅間山に負けてんだぜ>

遠くの人②<せいぜい勝ち越せば御の字か?>

遠くの人①<それより、向こうのじじい山と若の浦だ>

遠くの人②<お、のど輪しそうじゃねぇか>


【土浦と肥後の浦の一番はと言うと、ちょうど時間いっぱいになったと見え】


行司   <双方、手をついて。待ったなし>


【土浦と肥後の浦が互いにぶちかましで立ち合ったあと、がぶり寄りでいったん膠着となると同時に、客席では】


老人   <おらっ。くらえ>

若者   <ふんっ、痛くもかゆくも。おらっ>

老人   <いてぇじゃねぇか、この野郎>

遠くの人①<はっけよい、のこった>

遠くの人②<止めようにもこう遠くちゃ>

若者   <じじいだからって容赦はしねぇぞ>

老人   <のぞむところだ>


遠くの人①<のこった、のこった>

遠くの人②<まぁまぁ。お、じいさんも若造も、どっちも連れがいるようだ。止めに入ってくれりゃあ>

遠くの人①<いんや、待ったなしだぜ>


若者の連れ<待て待て。酔っ払い過ぎたのかな、水でも飲め。おい、じいさん、そっちも止めてくれよ>

老人の連れ<ん、ああ。悪い悪い>

老人   <かちあげだ>

若者   <んだ、てめぇ>

若者の連れ<おい、そっちのじいさん>

老人の連れ<悪い悪い>

老人   <今に投げ飛ばしてやら>

若者の連れ<いい加減にしねぇか。喧嘩っ早いじいさんもそうだが、連れのじいさんも何してんだ?>

老人の連れ<悪い悪い。ちと手が離せない。いや、目が離せない>

若者の連れ<何をしてんだ?>

老人の連れ<見ろ、土浦が押し出しで勝てそうなんだ>

若者の連れ<取組がつまらなくて仕方ねぇんじゃなかったのか?>

老人の連れ<わしは違う。とにかく、うるさい。ちょっと黙れ、若いの>

若者   <おい、じじい、聞いてんのか?>

老人   <おうよ>

若者の連れ<あぁあぁ、喧嘩も止めるものがいなきゃ、しょうがねぇや>

老人の連れ<勝った、勝った、勝った>

若者の連れ<誰が?>

老人の連れ<土浦に決まっておろう>

若者の連れ<あんたのひいきの力士が土浦ってのは分かったよ>

老人の連れ<たとい兄弟分の喧嘩とはいえ、同郷のよしみにゃ勝てやせん。で、こちらの一番はどうなった?>

老人   <かちあげからの上手だし投げでわしの勝ちだ>

若者   <冗談言うない。早々に突き倒しさ>


【二人の喧嘩のせいで、あたりの観客は土浦と肥後の浦の取組を見逃してしまいました。土浦は決まり手は何で勝ったかも誰もわからない様子。そんななか、ここ一部の客席のことなど構うはずもなく、土俵では次の取組が始まろうとしています。続くお話は次回にて】

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