第116話 勝利への前進 vs伊賀皇桜学園

 司が八球粘った末にフォアボールで出塁を決めた。


 これでワンアウト一、二塁と勝ち越しのチャンスで打席には陽依を迎えた。


 陽依を八番に置くことはもったいないと思っていたが、今回はそれが功を奏した形となった。


 チャンスが極端に強い訳でもないが、どちらかと言えば強い方だ。そしてムードメーカーとも言える陽依が打てば、チームがさらに盛り上がることは間違いない。


 得点するということ以外にも、チームへの影響を期待できる選手が陽依だった。


 そんな陽依が打席に入る。両打の陽依は、右投手の竜崎に対して左打席に入った。


「やったるでー!」


 陽依はそう言いながらバットを構える。


 初球、外角への際どい球を陽依は見逃す。


「ボール」


 初球はストレート。ピッチャーとしては確実にストライクが欲しいところではあるが、ここは際どいところを攻めてきた。コントロールが狂ったというわけでもなく、構えたところからややズレた程度なのだからこれはキャッチャーの配球だろう。


 チャンスの場面、そしてピッチャーの竜崎としてはフォアボールでやや崩れ気味のため、初球を叩くという選択肢があった。そのため鬼頭は際どいところを引っ掛けさせて打ち取りたいという思惑があったのだろう。


 しかし、見逃したことでボール先行となった。球数が増えているため、竜崎からすれば苦しい場面だ。


 二球目、内角への球に陽依も応戦する。バットが回ろうとするタイミングで、竜崎の投球は心地がいい音が聞こえそうなくらい綺麗にストンと落ちた。


「ストライク!」


 綺麗な空振りだ。タイミングは悪くないが、落差についていけていない。低めからさらに落ちる変化球に振ってしまえば、対応するのは誰だって難しいだろう。


 ただ、カウントは平行カウント……ワンボールワンストライクだ。そこからの三球目、今度は外角を攻めてくる。そして、またもや竜崎は落としてくる。


 その球に対して陽依はまたも手を出した。


 しかし、今度は快音を響かせた。


 外角低め、ギリギリ……いや、ボール球だろう。その球を陽依はうまく捌いた。


「レフト!」


 打球はサードの頭上を越え、レフト前を転々とする。


 そしてその打球を確認しながら、伊澄は三塁を蹴った。


「ボールバック!」


 レフトの柳生は前進しながらやや横に逸れた打球を捕球する。そして捕球をした勢いのまま、柳生はバックホームをした。


 際どい。


 伊澄の走塁技術は上手く、ベース手前ではほとんど減速することもなく三塁を蹴っている。元々それなりの足の速さもあるため、柳生が送球する頃には三塁と本塁の中間辺りに差し掛かっていた。


 対して柳生の肩も負けていない。ピッチャーで球速のあるストレートを投げるのだから、当然肩も強い。叩きつけるように低く速い送球を繰り出した。


 伊澄がホームにヘッドスライディングするのとほぼ同時に、柳生の送球を受けた鬼頭はその送球の勢いのまま伊澄へタッチする。


 判定は……、


「セーフ! セーフ!」


 僅かに伊澄の手が早くホームベースに触れていた。


 二回裏、『1』と表示されていた数字が『2』へと変わる。これで勝ち越し……この回で見れば逆転となった。


 打った陽依はもちろん、際どいタイミングを好走塁で駆け抜けた伊澄の功績も大きい。その伊澄を二塁まで進塁させた司のフォアボールも大きな意味を持っている。


 珠姫が打ち、亜澄が進め、伊澄が返して一点目。そして伊澄が出塁し、司が出塁しながら伊澄を進塁させ、陽依が返した二点目。三学年全員が絡んだ得点と、一年生三人で繋いだ得点、その二点で序盤ながら強豪伊賀皇桜学園からリードを奪った。


 欲を言えばもう一点。最初の作戦としては序盤にリードを奪って逃げ切ることのため、できる限り得点しておきたいところだ。


 今もワンアウトでランナー一、二塁。先ほどと状況は変わらず、ランナーが入れ替わっただけだ。十分得点に結びつく可能性がある。


 そして打席には、ラストバッター、九番の白雪だ。


「打てなくていい、落とすか間を狙い打っていけ」


「そっちのが難しいんだよなぁ……」


 白雪はボヤキ、苦笑いしながら打席へと入る。野手がいないところに打球を落とすか、野手間を狙って転がすということを巧は伝えたため、結局のところヒットを打てと言っているようなものだ。


 しかし、それを狙う技術が白雪にはあると巧は思っている。実現するかどうかはわからないが、狙ってある程度打ち分けるバットコントロールを白雪は持ち合わせている。


 とにかく右方向へ、一、二塁間やライト方向が狙い目だ。


 白雪の初球、内角の真ん中から低めへといきなり落としてくるスプリットだ。白雪は途中でバットを止めたものの、スイングを取られる。


 これは仕方がない。そもそもボール球ではなくストライクかもしれないが、どちらにしても打つのが難しい球なので、無理に打ってゲッツーにでもなれば最悪だ。


 ただ、中途半端なスイングはストライクを取られる可能性は高いのに、ボールがバットに当たったとしてもヒットとなる可能性は低い。ゲッツーはもちろん、三振もできれば避けたいところなので、積極的に振っていって欲しいところだ。


 しかし、二球目。外角高めのストレートに白雪のバットは空を切った。少し外されたボール球だったが、球威に釣られたと言ったところだろう。


「落ち着いて見ていこう!」


 振っていって欲しいとは思っていたが、タイミングが合っていない。そして、初球の際どいところをハーフスイングさせられてストライクとなり、焦ったところでボール球を振らされていた。キャッチャーの策略に完全にハマっているように見える。


 三球目、今度は明らかに外角低めに外したボール球だ。白雪はそれに手を出さずに見送ろうとしたが、直前でその球は軌道が変わった。


 食い込んでくる高速スライダーだ。


 打席の白雪はミットに収まったボールを見ており、キャッチャーの鬼頭はミットに収まったボールを微動だにせず掴んでいる。


「……ボール」


 審判は悩んだ末にボールの判定をした。明らかに外したところからストライクゾーンに入るかどうかのギリギリのコースのため、審判としてもストライクを取りづらそうだ。


 そのコールを聞いて、白雪はホッとしたような表情を浮かべる。


 ホッとしたのも束の間、すぐに四球目に入る。今度は内角低めの際どいところだ。


 その球に白雪はバットを振る。しかし、その投球はやはり白雪の目の前で軌道を変えた。


 落ちるボール、スプリットだ。ただ、白雪もそのまま終わるような選手ではない。


 落ち始めたスプリットを早めに打ちにいき、白雪のバット下部は僅かにスプリットを捉える。


 打球は目の前でワンバウンドし、高いバウンドをしながら内野手前へと転がる。


「セカンド! 前!」


 弱いゴロ。ピッチャーが処理することもできるが、投球直後で体勢を崩している状態だったため、安全策のためにキャッチャーの鬼頭はセカンドの的場へと指示を出した。


「ボールファー……、セカンド!」


 鬼頭は判断に迷ったが、これ以上チャンスは広げさせまいと二塁への送球を指示する。的場はそれに従い、二塁へと送球した。


 しかし……、


「セーフ」


 陽依がスライディングを完了した後に送球は二塁で待つショート鳩羽の元に到達した。


 セカンドのフィルダースチョイス。ただ、キャッチャーの指示のミスでもあった。


 鬼頭は強豪に所属しているという自負があるだろう。不可能に思えるプレーでもできるという慢心さえあるため、際どいタイミングでもセカンドへの送球を指示した。そして中学時代に勝っている相手である司が上手く挑発に乗ってくれず、作戦が上手くいっていない。焦りもあったのだろう。


 ただ、ミスをしたことを責めたところで何も得られない。的場は「ごめん、送球遅かった」と言って上で、「一個ずつ取っていけばいいから、確実に狙っていこう。次は際どかったらゲッツーよりもホームで刺そう」と言い、自分の守備位置に戻った。


 そして、一番へと打順が一巡し、由真の打席だ。


 ワンアウト満塁でさらに追加点のチャンスだ。ヒットはもちろん、外野フライでも一点の場面、由真の選択肢は多い。


 スクイズで一点を追加するという選択肢もあるが、打撃に期待を持てる由真にスクイズのサインを送るということは後々のチャンスを潰すことにもなりかねない。


 そうでなくとも成功するかどうかはわからないため、ここは『自由に打て』とサインを送る。


 初球、まずは大袈裟に外したボール球だ。スクイズを警戒してのことだろう。


 二球目、今度は内角へのボールに由真はバントの構えを見せる。しかし、ボールが当たる手前でバットを引いた。


「ストライク!」


 バットを引いて見せたが、判定は奇しくもストライクだ。ただ、これでスクイズの可能性を提示したため、相手の内野陣はやや前のめりにジリジリと詰め寄っている。


 スクイズのサインは出すつもりはない。皇桜の内野陣は自分で自分の首を絞めている状態だ。


 そして三球目、外角低め……いや、甘い。


 やや内に入ったストレート、由真はそれを見逃さずに叩いた。


 打球は最も力の入ったタイミングである一塁線、引っ張り方向だ。


 しかし、和氣はその打球を捌いた。


 ワンバウンドし、抜けようかという鋭い打球に反応し、自分の体の横を通過していた打球を体の後ろで押さえた。


「ボールバック!」


 打球の勢いをそのままに、和氣は一回転しながらホームに送球する。


「アウト!」


 ホームはアウト。そして送球を受け取った鬼頭は一塁へと送球する。


「アウト!」


 一塁もアウト。ゲッツーだ。


 当たりは良かった。むしろ定位置だとしても抜けていてもおかしくなかっただろう。そんな打球だった。


 由真が打てなかったことよりも、その打球を上手く捌き切って、その上ゲッツーにしてみせた和氣のプレーを褒めるべきだ。


 ただ、これでチャンスは潰れてしまった。ワンアウト満塁から一転、ゲッツーで攻守交代となる。こうなるのであればスクイズを指示しておけばよかったが、それはただの結果論だ。もしスクイズを選択したとして、後で勝負しておけば良かったと思うこともあるかもしれない。


 自分の選択を正当化するわけではないが、結果を真摯に受け止めるだけだ。


「由真、打球は良かったぞ」


 自分がチャンスを潰してしまったため、由真は悔しそうな表情を浮かべている。


「次は、絶対に打つよ」


 悔しそうな表情だが、闘志は失っていない。


「次は頼んだ」


 由真は一番打者、本領はチャンスメイクだ。チャンスを生み出し、足で相手の守備を引っ掻き回す。次の打席に巧は期待を寄せていた。


 そして、チャンスを潰したとはいえ、この回で逆転している。


 一対二。状況は優勢だ。


 得点した後のこの回を凌ぎ切れるかが、勝利を手繰り寄せる一つのポイントになると巧は確信していた。

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