第91話 『4』という数字

「ストライク! バッターアウト!」


 四番の波田の打席。そして黒絵の立ち上がりだ。


「フラストレーション溜まってたんだろうねぇ……」


 美雪先生は呟いた。


「ですね……」


 巧は苦笑いしながら答えていた。


 初戦は伊澄がコールドながら完全試合で、出番がなかった。決勝と準々決勝に伊澄を当てることを考えていたとはいえ、その流れで行くならば二回戦が伊澄で初戦が黒絵だったはずだ。そして三回戦と準決勝も黒絵。


 そうしなかったのは、初戦を完全勝利し、勢いに乗りたかったという理由だ。そのため伊澄を起用した。


 二回戦では守備重視のオーダーを組みながら、レギュラーメンバー以外も試したかった。


 それゆえに投げたがっていた黒絵を我慢させることになってしまった。


 その分……、


「ストライク! バッターアウト!」


 二者連続の三振。


 そして、


「ついに惜しいところまで来たな」


 バックスクリーンには球速が表示されている。そしてそこには、119km/hと表示されていた。


 立ち上がりから110キロ以上を計測していた。出会ったばかりの三ヶ月前には、110キロ出るかどうかくらいだったことを考えると、10キロ近く球速が上がっていることになる。


 球速アップの理由はいくつかある。体幹トレーニング、筋トレ、走り込み、そして休息だ。


 飯を食べて体を大きくするという点もあるが、それは元々体がデカい上によく食べる黒絵には何もいう必要はなかった。


 そして、走り込みと筋トレで下半身を鍛え、体幹トレーニングで体のバランスを整えた。それによって無駄が多かったフォームが、自然と多少改善された。


 あとは休息によって、超回復を引き起こした。傷ついた筋細胞は一日では治り切らない。二十四時間から四十八時間の休息によって、回復して筋肉が増加する現象が超回復だ。


 それらの理由によって球速が上がったと考えられる。


「そろそろ次のステップだな」


 まずは基礎と考え、色々とさせていた。今までのことは継続していくが、他のアプローチでさらに鍛えさせていくことにしようと巧は考えた。もちろん、今からでは中途半端になるため、県予選が終わってからだが。


 そして……、


「ストライク! バッターアウト!」


 黒絵は見事に三者連続三振に抑え、戻ってきた。120キロは越えることはなかったが、大きな成果だ。


「まだ物足りない!」


 リリーフでの登板ということで、十二球しか投げていない。黒絵はもっと投げたい、もう一イニング投げさせろと訴えかけてくる。


「三回戦で暴れてこい。嫌というほど投げさせてやるから」


「むー……」


 今投げたいと言うようだ。ただ、試合の締めは伊澄のつもりなので、投げさせるつもりはない。


「はぁ……、学校に帰ったら三打席だけ付き合うよ」


「ホント!? やった!」


「ほら、打席行ってこい」


 前回が陽依で終わっているため、棗と交代で入った九番の黒絵からの打席だ。


「はーい!」


 黒絵は元気に打席に向かっていった。


 しかし、その入れ替わりとして、今度は別方向から嫌な視線を感じた。言いたいことは十分わかった。


「……伊澄も三打席だけな?」


「うむ」


 伊澄はその一言で満足そうに打席の準備をしにいった。黒絵の次は由真だが、その次は伊澄だ。


 話が終わるのと同時に、黒絵の打席が始まった。


 黒絵は長打力はある。しかし、そもそも当たらない。そこを改善すればいっそのこと中軸を任せても面白いかもしれない。


 そして初球。黒絵はいきなり当てていった。


 打球は勢いそのまま、外野フェンスまで。


「レフトー!」


 フェンスに跳ね返った打球を処理しようと相手レフトがフェンス際まで行くが、跳ね返ったボールに対応できずに捕球に手間取る。


 打球を処理して二塁にボールが到達する頃、黒絵は二塁まで到達していた。


「な、ナイスバッティング!」


 完璧な当たりだ。打った黒絵本人は当然だとでも言いたげなドヤ顔をしているが、明鈴ベンチは驚いた表情をしている。


 打つと思っていなかったのだろう。黒絵には失礼だが、巧も打つと思っていなかった。


 次の回からピッチャーは伊澄に代わるが、そのまま黒絵を打席に送ったのは、まだ出ていない煌と瑞歩を使うことになってしまうからだ。


 基本的には選手への負担を軽減するために、出来るだけ全員を使って試合を行なっている。少なくとも練習試合ではそうすることが多かった。


 しかし、今回のように外的要因での怪我もあることを思い知ったため、控えはしっかりと残しておかなければならない。そう改めて実感した。


 だから、伊澄をピッチャーとして起用し、黒絵はそのままライトに入れ、由真をセンターへと交代するつもりだ。もちろん守備に問題が出てきたら煌を投入するが、それまではこのメンバーでいこうと考えている。


 代走も送らない。一点を勝ち越している場面、もう一点欲しいところだが、続くバッターであれば無理に狙わずとも一点を奪えるという信頼があった。


『一番ライト佐久間さん』


 打順が戻って、由真が打席に入る。今日のところは当たりはない。しかし、タイミングが合わなかったことが主な原因のようなので、ピッチャーが変わった今であればチャンスはある。


 初球、先ほどの黒絵の打席、ピッチャー同士の対決で打たれたことに動揺してか、コントロールが乱れる。二球目も外れ、連続でボール球だ。


 三球目、これは決まった。120キロを計測するストレートを由真は見逃した。


 しかし、四球目も外れ、五球目も外れる。


 由真は一度もバットを振らずにフォアボールで出塁した。


「ナイセン!」


 ベンチは盛り上がる。これで、ノーアウトランナー一、二塁だ。


 そして打席には今日一本ヒットを放っている伊澄だ。


 ボールをじっくりと見た由真とは対照的に、伊澄は積極的に動いた。


 初球が外れてからの二球目、外角へのストレートを逆らわずに右方向へ。しかし、微妙に上がった打球にランナーは動けず、ライトがノーバウンドで捕球した。タッチアップもできない。


「アウト!」


 落球した時を考えて少し出ていたランナーもすぐに戻る。


 ワンアウトランナー一、二塁と、アウトが一つ増えただけの結果だ。


 そして、打席には夜空が入る。


 バッターボックスの内側ギリギリに入り、相手ピッチャーにプレッシャーをかける。


 初球、そのプレッシャーをもろともせずにピッチャーは内角に投げ込んだ。


「ストライクッ!」


 内角はさぞかし打ちにくいだろう。しかし、デッドボールの危険性もあるため、外角を攻めてくると思っていた。そこを突いたようにピッチャーは内角に投げ込んだ。


 二球目、今度も内角だ。しかし……、


「打つよ」


 夜空はステップして投球直後に軸足の位置を変えた。そして右足を外側に思いっきり踏み込むと、内角のストレートを完璧に捉えて一二塁間への打球だ。


「抜けろ!」


 相手セカンドが飛び込む。


 それでも、セカンドのグラブは打球に届かなかった。


 ライト正面へのヒット。ライトが前進しながらバックホーム体勢を取っていたこともあり、黒絵は三塁で止まった。


 ワンアウト満塁だ。


 そして……、


『四番ファースト本田さん』


 珠姫が打席を迎えた。今日、二本のヒットを放っているが、三打席目には勝負を避けられていた。


 打てる喜びを思い出した珠姫。その珠姫が勝負を避けられたのだ、一打席であろうとも、少しでも楽しみたい、絶対に打ちたいというのがわかる。


 闘志をみなぎらせながら、珠姫は打席に入った。


 ランナーは満塁。敬遠すれば一点という状況で、相手はその策を取るつもりは毛頭もないだろう。


 そして初球だった。


 外角低めのストレート。勝負を避けながらもあわよくば打ち取ろうというコースギリギリを狙ったようなボール球。


 珠姫はそれに強引に当て、当てただけのバッティングがレフト方向へライナーで飛ぶ。


 ゆっくり、丁寧にバットを手放し、打球を確認しながら珠姫は一塁へと歩き出した。


 レフト正面。打球が伸びる。レフトの水戸は後退する。後退する。打球が伸びる。後退する。まだ後退する。まだ打球は伸びている。


 打球は……そのままスタンドへの放り込まれた。


 珠姫は確信していたのかもしれない。しかし、この球場にいる全員がレフトライナーだと疑わなかっただろう。巧もその一人だった。


 それほど、打球がライナー性で、ここまで伸びると感じさせない普通の打球だった。


 六回裏、スコアボードには『4』の数字が並んだ。


 そして打った球は、122キロ。今日最速の球速だった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る