第92話 決着とそれから

 油断はいけない。しかし、巧はすでに勝利を確信していた。


 コツコツとチャンスを作り上げ、珠姫の打席では勝負をせざるを得ない満塁のチャンスだった。そして満塁ホームラン。元々一点を勝ち越していたこともあって、これで二対七と完全に突き放していた。


 そして最終回、七回表、


『明鈴高校、シートの変更をお知らせします。ピッチャーの豊川黒絵さんがライトに、ライトの佐久間由真さんがセンターに、センターの瀬川伊澄さんがピッチャーに入ります。

 一番センター佐久間由真さん。背番号17。

 二番ピッチャー瀬川伊澄さん。背番号1。

 九番ライト豊川黒絵さん。背番号14。

 以上に代わります』


 マウンドには、エースの伊澄が上がった。


 一回戦の時より増えた観客席にいるギャラリーの人数。そして伊澄がマウンドに上がった瞬間、そのギャラリーは一気に盛り上がりを見せた。


 考えなくともわかる。コールドで試合途中に終了ではあったが、完全試合を成し遂げた伊澄に注目しているのだろう。


 今か今かと待ち構え、この最終回での登板に、盛り上がらないはずもない。


 迎えるバッターは七番ピッチャーの尾花だ。


 パワーがあり、長打が狙える。打者としても期待ができる尾花に、鳥田高校は代打を送らなかった。


 そんなバッターに対し、伊澄は躱すような投球を繰り出す。


 初球、まずは丁寧にコーナーを突きながらも打てないボールゾーンへの普通のカーブだ。


 これを尾花は見逃し、ボールとなる。


 二球目、今度は大きなカーブだ。それがバッターに向かうような球だったものだから、バッターは体を仰反るが、直前に大きく変化し、ストライクゾーンへと入っていった。


 次の三球目、振りかぶってワインドアップからサイド気味のスリークォーターから放たれたボールに尾花のバットは空を切る。


 三球目も二球目と同じ、大きなカーブだ。それも、一見甘い絶好球にも見えるど真ん中から、ボールゾーンへと変化している大きな大きなカーブ。その変化量に合わず、ボールはバットをすり抜けた。


 ワンボールツーストライク。追い込んだカウントから四球目、またしても伊澄の指から放たれたボールは、ど真ん中絶好球への緩い球だった。それは当然の如く変化し、バッターはそれを見送った。


「ストライク! バッターアウト!」


 見逃しの三振。大きなカーブを二球見せた後からの小さく変化するカーブ。変化しなさすぎたことによって、変化の終着点となるポイントを誤認した。


 カーブだけで三振に仕留め切った。六回に三者連続三振を決めた黒絵に対抗心を燃やしているのかもしれない。


 最終局面で鳥田高校も代打攻勢に出るが、それも伊澄が打ち砕いた。


 三者連続三振。そして、それは全てカーブ、しかも持っている七つの球種から三つだけを使った投球内容だった。


「ゲームセット!」


 試合が終わった。勝った明鈴メンバーは晴れやかな表情を浮かべているが、負けた鳥田高校の選手たちは泣いている。


 負けることは悔しい。


 選手の時は勝つことに必死だったため、気にする余裕もなかった。しかし、勝つことによって一つのチームを蹴落とすことになる。グラウンドから離れたベンチから見守ることで、その負けたチームのためにも勝たなければいけないというプレッシャーが重くのしかかっていた。




「勝てたね」


 司は冷静に呟く。


 選手たちはダウンをし、次の試合を見るためにスタンドへと足を運んでいた。


 白雪と美雪先生は病院に向かったが、白雪を家に送った後に美雪先生はまた戻ってくる。その間は夏休みということもあって応援に駆けつけてくれていた先生の引率によって明鈴メンバーは動いていた。


 本日の二試合目の準備に取り掛かっている様子をただ眺めながら会話をしていた。


「勝ったな」


 巧も冷静に返事をする。


 結局、序盤は先制を許して苦戦したものの、後半では一気に追い上げて勝ち越した。試合を壊したというほどでもなかったが、チームの期待に応えようと登板したエースの尾花によって、試合がひっくり返るようなものではなくなった。


 エースはチームの中心だ。キャプテンや四番も中心ではあるが、マウンドを任されているエースによって試合が左右されることも多い。


 そんな中心に伊澄を起用している。一年生ながら、チームの運命を握っていると言っても過言ではないだろう。


 背番号1は一番若い数字だ。しかし、どの番号よりも一番重い数字でもあった。


 不安はあった。


 二回戦までは最終的には危なげがなく勝てる試合となっていた。ただ、三回戦はどうだろう。準々決勝もどうだろうか?


 こうやって『勝った』と言えるのがいつまで続くのだろうか。勝てたことと同時に、負けているチームを見ることで、そんな不安が頭をよぎっていた。


 しかし、勝ったからには勝ち続けることが目標となるのは当然だ。三日後には三回戦が待っている。


 その三回戦の相手は、今から行われる試合の勝者だ。


 中峰高校対名多高校。それが今日二試合目のカードだ。


「巧くんはどっちが勝つと思う?」


「難しいな……」


 中峰高校は守備型のチームだ。とは言っても打撃力がないわけではなく、チャンスを掴みながら点を守り切るというチームだ。対して名多高校はバランス型だ。選手としても打てる選手と守れる選手がバランス良くベンチに入っており、試合によってオーダーを組み替えてくる。明鈴高校と似たチームと言えるだろう。


「中峰高校なチームカラーが決まってるから、名多高校が対策を練ってくるかなとは思ってる。ただ、それを上回ってくるなら、中峰高校は厄介だな」


「つまり?」


「どっちが勝つかなんて、わからんってことだ」


 圧倒的な実力差があるのであればだいたい予想はつくだろう。しかし、予想したチームが勝てるようなら、そもそも試合する意味なんてないようにも思える。


 それに、プロでも順位はあるが、下位のチームが上位のチームに勝ち越しているということさえあるので、単純に強ければ勝てるなんて簡単な理屈でもない。


「まあ、強いて言えば中峰高校の方が気持ちは楽かな」


「と言うと?」


「守備型ってわかってるから、対策が練りやすいってことだ」


 試合を見る前から、すでにスタメンは考え始めている。


 中峰高校であれば、バランスを考えつつも打撃力で押し切るスタメンにするだろう。試合の前半は陽依を休ませるつもりなので、空いたライトに煌を起用しても面白い。


 名多高校となれば、心理戦となりそうだ。相手が打撃重視にするのであれば、守備に力を入れたい気持ちもある。しかし、守備重視にするのであれば、打撃力で押し切ることも考えなくてはならない。バランス良く起用してくるなら、打ち勝つにしても守り勝つにしても、相手を上回らなければいけない。


 これを踏まえると、中峰高校の方がオーダーは組みやすい。


 ただ……、


「さっきも言ったけど、名多高校は当然対策してるだろうから、中峰高校が勝てば厄介なのは間違いない」


 結局、どっちが勝ってもめんどくさいということだ。


「あっ」


 突然司が声を上げた。巧は「どうした?」と聞くと、携帯の画面を見せてきた。そこには、『近藤明音』と表示されており、着信が来ている画面だった。


 司は応答のボタンを押す。


「もしもし?」


『あ、司? 今大丈夫だった?』


「大丈夫だよー」


 微妙に声が漏れて聞こえる。盗み聞きするつもりはないが、騒がしい球場ということもあって、司も音量を大きくしている。


『試合お疲れ様。うちも今日試合だったけど、三回戦突破。四回戦進出決まったよ』


「え、ホント? おめでとう! うちも二回戦突破したよー」


 お互いに勝利を讃えあう。


 会話を聞く限り、明音はこちらの結果を聞いてこなかった。勝つだろうという信頼なのか、それとも結果を速報やSNSで事前に確認していたからなのだろう。


『ありがとね。司もおめでとう』


「ありがとう!」


『結果報告したかっただけなんだ。それじゃ……』


「あ、ちょっと待って」


 電話を切ろうとした明音を、司が止める。


「巧くんも一緒だけど、変わる?」


『…………じゃあ、一応』


 明音は長考した後、そう答えた。


 何故そんな気を回したのかわからないが、司は「はい」と携帯を渡してきた。


「勝ったんだって? おめでとう」


『ありがと。そっちもおめでとう』


「ありがとう。甲子園近づいてきたな」


 愛知県は三重県よりも一試合多い。三重県は決勝含めて六試合、愛知県は七試合だ。水色学園にとって、次が折り返しの試合となる。


『そうね。次も勝つよ。それじゃ』


 明音は矢継ぎ早にそう言ってさっさと電話を切った。


 次の試合を見なくては行けないと言うこともあるだろうが、普段よりも冷たい気がした。


「……俺、もしかして明音に嫌われてる?」


 電話なので表情はわからないとはいえ、司との会話で漏れ聞こえた声のトーンよりやや低かった気がする。


 しかし、前の試合ではピースの絵文字を使うくらいテンションは高かったため、嫌われていないか不安だ。


 別に嫌われること自体は人の好き嫌いだが、普通に今まで会話していたはずの人から急に塩対応されるのは、心にくるものがある。


「だ、大丈夫だって、多分。明音って電話とメッセージじゃテンション違うし。ほ、ほら!」


 そう言って司はメッセージを見せてきた。


 司は、『巧くんが明音に嫌われてるのかな? って不安がってるなう』と送っており、それに対して、『ごめんねって伝えておいて! 試合直後だったから戦闘態勢のままだったの』と書かれており、その後には困った表情の顔文字が添えられていた。戦闘態勢って、どこかの民族か?


「明音も女の子だし、男子の巧くんと話すの照れくさいんだよ、きっと。私とか明鈴の人らは慣れているけどさ」


「……まあ、そういうことならいいんだけど」


 仮にも初恋だったと告白された相手だ。今は気持ちがないとは言っていたけど、そういう相手に冷たい態度を取られるのは、巧もショックな気持ちを隠せない。


 ただ、試合に集中していて、その余韻が抜け切れていないというだけなら、それだけ試合に集中していたということは素直にすごいことだとも思った。




 やってしまった。


 文章であれば推敲する暇があるため、普通に話せるのだけど、直接話すとなればどんな対応をすれば良いのかわからなかった。


 つい冷たい態度を取ってしまったのも、司の一件で再会し、初恋だと告白したのが原因だということは自分でも理解していた。


 浮ついた感情が出ないように、気をつけながらいつも通りの対応をしようとして、テンパってしまい、過剰に冷たい態度になってしまった。


 電話を変わると言われて少し考えたが、その間だけでは心の準備が間に合わなかった。


「嫌われてないといいんだけどなぁ……」


 変な態度を取ってしまって嫌われるというのは嫌だ。


 それに、そのままテンパって『戦闘態勢』なんて、女の子らしくないことまで口走った。


 もちろん、野球をしている上で女子だなんだと考えてはいない。どれだけダサくても、ブサイクでも、プレーしている時は全力だ。


 ただ、可愛いものは好きだし、野球以外のところでそういうことを捨てる必要はないと思っている。


「あー、熱い。戻るまでにはなんとかしないと」


 巧の声を聞いて、顔が赤く、熱くなっている。


 私はスタンドで待つ水色のみんなの元に戻りながら、自販機で買った冷たいスポーツドリンクを顔に当てて、冷やしながら戻っていた。

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