第86話 事故と怪我

 私は何をやっているのだろう。


 キャプテンでありながら活躍できていない。もちろん活躍するのが全てではないため、それが嫌というわけではない。


 ただ、一回戦でもほとんどが珠姫と伊澄の活躍だ。フォアボールで出塁はしたが、三打席あって一打数無安打だ。


 そして二回戦。一打席目にヒットは放ったものの、得点には結びついていない。打ったのは司、光、梨々香、伊澄だ。中学から後輩だった陽依もフォアボールで出塁しているし、得点に結びついていないとはいえツーベースヒットも打っている。


 後輩におんぶに抱っこ。そして、今までマネージャーと選手で両方でチームに貢献していた珠姫、復帰して間もない由真の方が断然チームに貢献している。


 自分は何もできていない。そんな自分に嫌気が差していた。


 プロに行きたいと言った。プロに行くためには活躍をしなければならない。ただ、今はチームが勝つために何ができるのかだ。せめてどちらかが上手くいっていればこんな気持ちになることはなかっただろう。


 私はどちらもできていない。


 鳥田の八番、中川原の打球。あれは追いつけた打球だ。いや、無理だったかもしれない。しかし、打てていない自分が魅せれるのは守備だけだ。そのためには捕らなければいけない打球だった。


 届かないじゃない。届かなければいけない。


 もっと速く。もっと。もっと!


 セカンドは私の領域だ。他の誰もが捕れない打球でも、私は捕らなければいけない。


 中学時代、大地と鉄壁の二遊間を組んでいた。ただ、それは大地がいたからだ。大地が私を引っ張ってくれた。


 安心感。それが私を強くした理由だ。


 ただ、男女の違いで今は一緒にプレーできない。でも、大人になって、お互いにプロになったとして、そして引退して、草野球でもすればまた一緒にプレーができる。


 そのためにはこの居場所を守らなければいけない。


 そして、今、私はキャプテンで最上級生だ。私が後輩を引っ張らなければいけない。


 鈴里も、白雪も、私のプレーで二人の限界以上のプレーを引き出さなければいけない。


 もっと速く。最高のプレーを。


 五番の片山の打球が二遊間に飛ぶ。


 これは絶対に抑えなければいけない。


 絶対にゲッツーを取らなくてはいけない。


 私は打球に合わせて回り込みながら横っ飛びをした。


 いける!


 捕った!


 今度は打球をグラブに収められた。次に待つのは二塁への送球だ。グラブを構えて送球を待つ白雪に一秒でも、コンマ一秒でも速く届けなくては!


 私はグラブトスでは届かないその距離に、素早くボールを持ち替えて送球をした。


 グラブトスでは届かない、しかし、至近距離。


 大地とプレーしていた頃を思い出したその送球は、鈍い音を立てて転々と転がる。


 当たったのはグラブではなく、白雪の顔面だった。


 その瞬間、私の頭は真っ白になった。




「カバー!」


 巧は白雪が倒れたことで動揺したが、プレーは続行している。


 誰もが目を疑ったその一瞬なぎ払うかのように司が声を上げ、その声で巧は我に返った。


 二塁へ到達していた中川原は三塁へ向かおうと試みる。しかし、二遊間への打球が抜けたときのために前進していた伊澄が既にボールを処理しており、中川原は慌てて二塁へと戻った。


「タイムお願いします!」


 各ランナーが塁についていることを確認し、司はすかさずタイムを取った。


 依然、うずくまった白雪と、送球した夜空は動かないままだ。


 この状況で選手が白雪の元に駆け寄る。夜空を除いて。ただ、この状況でも巧はグラウンドへ駆け寄れない。それがもどかしくて仕方なかった。


 陽依と伊澄に抱えられ、白雪が一度ベンチに下がる。その後ろに七海と司も同行している。他のメンバーは夜空の元にいた。


「白雪、大丈夫か?」


「大丈夫大丈夫。送球取り損ねて当たっちゃっただけだから。痛みもそんなにってわけじゃないし」


 白雪は一度ベンチに腰をかけると、顔を抑えながらそう言った。うずくまっていたのは驚きと痛みからで、ボールが当たって怪我をしたという事実は変わらないが、それ以外に異常はなさそうだ。


「ちょっと顔見せて」


 巧が白雪の手を退けさせる。目の横辺りが赤くなってはいるが、幸いアザにもなっていないため、大丈夫というのは本当のようだ。


「目は見えるか?」


「……見えるよ」


 若干の間があった。これは誤魔化しているように思える言葉だ。


「本当のところは? 正直に言ってくれ」


「……若干ボヤけてるかな」


 これは嘘ではなさそうだ。間があったのは言いたくないという抵抗だっただろう。


 専門家ではないため確実なことは言えないが、眼球が傷ついている様子もない。視線がおかしいということもない。


「もう私は大丈夫。試合に戻ろう」


 そう言って白雪は立ち上がろうとする。しかし、巧はそんな白雪の手を掴んで静止した。


「このまま出せるわけないだろ。交代だ」


「嫌だ」


 白雪は反抗する。巧の手を振り切ろうとするが、巧は力ずくで止める。


「だって私が抜けたらショートいないじゃん! 打撃力のある鳥田には守備が必要でしょ? 私が出なきゃ誰がショート守るのさ!」


 白雪の言い分はもっともだ。ショートを主に守るのは白雪と鈴里だ。鈴里は一度退いているため出すことはできない。かと言って七海をショートに就かせれば守備力の低下も免れない。ただ、この状態では仕方ないか……。


 白雪をそのまま出すつもりはない。当たったのは顔だ。頭だ。もし眼球を傷つけていれば野球だけでなく人生にも関わる問題だ。早めに処置をするに越したことはない。


 しかし、どのように守備変更をすれば良いのかわからないのも事実だ。白雪は出たいと言っていて、正直そうしたいのは山々だ。ただ、白雪の身体のことを考えるとそれは駄目だ。


 どうすれば良いかわからない。そんな悩んでいる巧とごねる白雪を一喝するように、美雪が言葉を放った。


「白雪ちゃん。あなたをこれ以上出すことはできません」


 冷静で冷酷なような言葉に、白雪は一瞬言葉を失った。しかし、ヒートアップしている白雪は止まらない。


「でも、このままじゃダメです! 私は出たばっかりで何もできてない。チームのために出させてよ!」


 何もできていない。確かに言葉の通りだ。それも、守備で途中出場してすぐの出来事だからだ。ボールを一回も触ってすらいない。


「それでも駄目です。顧問として、大人として、このまま白雪ちゃんを出すわけにはいきません」


 いつもとは違う丁寧口調で諭すような大人の態度を取る美雪先生。その言葉を前に、白雪はただ涙を流すだけだった。そして美雪先生は続ける。


「チームのために……って考えるなら、今から救護室に行って、病院に行って、ちゃんと治療しよう? 大丈夫だって、野球していいってなったら、次の試合か、その次の試合には出れるでしょ? チームのためにできることは、今の試合じゃなくて、三試合目と準々決勝、準決勝、決勝で白雪ちゃんが出ることじゃないの?」


 その言葉に、白雪はハッとした。


 何度も目の前の試合に勝つことだけを考えると言ってきた。しかし、それと同時にこれから先に続く試合も頭の片隅にあったのは確かだ。


 ただ、今勝つこと、現状のことだけを考えていた白雪は、自分が必要だからこそこの試合には出させないと言われた。


 それはこの試合に必要がないというわけではなく、今後必要だからということを意味する。


「まあ、この試合はうちらに任せとき」


 陽依に肩を叩かれて白雪はうなずいた。


 白雪を交代させることは決定した。問題は代役を誰にするかだ。


「伊澄って、実はショート守れるとか都合のいい話しない?」


「無理。やったことはあるけど小学生の頃にちょっとしただけだし。連携もサインもわからない」


「だよなぁ……」


 そんな都合のいい話はなかった。器用な伊澄であれば可能だと思ったが、急造ではリスクが高すぎる。


 その時、陽依は自信満々に言い放った。


「ショートならもう一人おるやん」


 それはわかっている。わかっていたが、無意識のうちに選択肢のうちから外していた。


「いけるのか?」


「まーな。正直ピンチのまま後に託すのは気ぃ引けるけど、緊急事態ならわがまま言っとれやんやろ」


 もう駄目だと判断しての交代ではなく、緊急事態での措置と考えると、納得できなくても納得するしかないだろう。


「ピッチャーの準備はもうできとる?」


「ああ、バッチリだ」


 初回から入っている棗はもうこれでもかというほど体を温めている。


 守備力の低下だなんだ、そんなことを言っている場合ではないのはわかっている。しかし、それでも極力避けたいものだ。


 緊急登板の夏目にとっては負担になるだろう。しかし、緊急事態ではなく、打たれて降板ということも考えていたため、この段階で出すことは想定内だ。


 守備力をそのままに、戦う方法がひとつだけ残されていた。


「ピッチャー交代。棗をピッチャーに、陽依がショートだ」

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