第74話 明鈴高校女子野球部勉強会
「あ、巧くん」
移動教室のため廊下を歩いていた休み時間、たまたま遭遇した夜空に呼び止められた。
「テスト、一年生の調子はどう?」
「かなりやばい。特に伊澄と黒絵が。だから木曜日の休み、陽依の家で勉強会するんだよね」
そう言って巧はメッセージアプリのトーク画面を見せた。
巧を含めた女子野球部一年生のグループに、
『木曜日の放課後、ここ集合! 飯代はお友達料金で安くするから、食べたい人はお金持ってきてな〜。飲み物はタダで出したるわ!」
と陽依からメッセージがあり、『はるや』という定食屋のサイトのリンクが貼られてあった。
「あー、陽依んちの店か。あそこ美味しいよ」
夜空は陽依と同じシニアということもあって色々と知っているのだろう。そして家もそこまで遠くなかったはずだ。
「せっかくだからいただくつもり。ちなみにおすすめは?」
「なんでも美味しいから好きなので良いと思うよ」
話が徐々にテストの話からご飯の話になっていく。
そこで今度はこちらも移動教室なのか、教科書やノートと筆記用具を持った光と七海がやってきた。
「夜空さん、巧くん、お疲れ様です!」
光は元気よく挨拶し、七海もそれに続く。巧と夜空も「お疲れ様」と返した。
「夜空さん、三年生はどうですか? 確か珠姫さんって結構……」
七海の言いづらそうに問いかける。
「私は大丈夫。由真も真ん中よりも上だから、大地も含めて三人体制で珠姫に教えてるところ」
三人で、となると伊澄や黒絵よりも豪華な体制だ。ただ、人数に余裕があるだけかもしれないが。
「夜空って成績いいんだ?」
「自分で言うのもなんだけど結構いいよ? だいたい順位は五十位よりは上だし、悪くても三桁は一回あったくらいかな?」
予想以上だ。伊澄や黒絵と同じ野球バカでも、夜空や陽依は器用にこなすタイプのようだ。巧も他人のことは言えないが。
「珠姫はねぇ……一番ヤバいけど最近まだマシだよ。二百五十位から三百位をうろうろしてるけど、二年になってからは毎回赤点は回避してる」
この言い方だと一年生の時は相当悪かったのだろう。
「ちなみに二年生は?」
「私と梨々香は悪い方だけど、みんな赤点はいつもないよ!」
巧の問いかけに答えたのは光だ。その後に「全体的に突出して悪くはないけどいいわけでもないけどね」と付け足していた。
「私と煌は二桁か悪くても三桁前半」
補足として付け足したのは七海だ。良くなくとも、悪くなければ安心だ。
「あ、そろそろ授業始まるね。また練習で」
夜空の一声でこの場は解散した。
「よし、やるでー!」
木曜日の放課後、巧たち明鈴高校女子野球部は定食屋『はるや』に集まっていた。陽依の家であり、近隣住民には人気の定食屋だ。
ただ通されたのはその裏にある陽依の家であり、ただ単に位置情報が分かり易いため店のサイトのリンクを貼っただけらしい。
定食屋と言っても、夜には居酒屋にも近い雰囲気となるようで、店内だと集中しきれないという陽依の判断だ。
「やり方としては昨日と同じで、うち、巧、伊澄と白雪、司、黒絵で分かれて、瑞歩はどっちか空いとる方に聞くって形な」
そう言って始まった勉強会は意外にもスムーズに進んでいた。
月曜日の時点でそこそこ進められていたことや、まだ一年生の一学期と、最初からやり直しても範囲は狭い。高校に受かる学力はあるため、中学時代の成績も極端に悪いものではないため、まだ基礎の基礎は比較的頭の中に入っているようだ。
期末テストは主要の国数英理社以外にも副教科はあるが、こちらは難易度としても簡単で、テストよりも授業中の態度や実技が求められるため、点数が悪くとも問題ない。伊澄と黒絵は主要教科に絞り、巧と司は余裕ができてきたため、副教科にも手を伸ばしていた。
一通り進めたところで、気がつけば時刻は七時を回っている。頭を使っていることもあって空腹を感じてる頃、ちょうど陽依が切り出した。
「そろそろ飯にするかー」
陽依は一度席を離れると、メニュー表を持って戻ってくる。
「本当は金取りたくないけど、一応うちも商売やからな。食材費はかかるし、原価ギリギリくらいでやるから、だいたい半額っちゅうところかな」
本来であればそこから光熱費や人件費、店の利益もかかってくるため、この値段なのだろう。ガッツリ食べようとすれば千円を越えるメニューもあるが、基本的なメニューであれば五百円程度と、ファーストフード店でセットを頼むよりも同等かそれよりも安い。そこから半額となれば、帰りに買い食いをするのとほとんど変わらない。
「今日だけ特別やで」
陽依の家の好意によって安く店の味が楽しめる。早速全員メニューに食いついている。定番の唐揚げ、生姜焼き、ハンバーグ、トンカツ、カレーなど、食欲をそそるメニューだ。
そんな中、伊澄に限ってはメニューを見ずに注文を即答した。
「豚しゃぶカレーに唐揚げ、ハンバーグ、トンカツ、砂肝、卵、チーズ、あとうなぎをトッピングで。……私は定価で払う」
そう言って伊澄は五千円札を見せびらかした。
「そんな、気ぃ使わんでもええのに」
陽依はそう言うが、伊澄は五千円札を持つ手が震えている。
「……今日、陽依のところに行くってお母さんに話したら、貢献してこいって渡されたんだ。むしろ使い切らなかったら怒られてお小遣いなしになる」
マウンド上では怖いもの知らずの伊澄も、親には弱いようだ。母親曰く、「いつもお世話になってるから、食べて体力をつけてお店に貢献したら一石二鳥」ということらしい。
「そ、そうなんか。みんなは半額でええでな」
そう言われたため、伊澄以外は全員その言葉に甘える。何にしようか悩みながら、先ほどの伊澄の注文をメニュー表で追っていくとちょうど五千円だった。五千円渡されてあらかじめ決めてあったのか、メニューを全て覚えており、それに合わせて注文したのかは定かではないが、どちらにしても伊澄はメニューを覚えるほど通い詰めているのだろう。
というか、カレーに砂肝は合うのか……?
五分ほど悩み、注文を決める。
「俺はカツカレーと唐揚げで」
これでも千二百五十円だ。半額で六百二十五円のため、普通にファミレスで一品注文するよりも安い。定価でもガッツリ食べようとすれば千五百円は越えるだろう。
巧に続いて、司はハンバーグ定食、白雪は焼肉定食、瑞歩はハンバーグカレーにチーズのトッピングだ。
そして、続く黒絵は……。
「私はカツカレーにハンバーグ定食と豚しゃぶカレーに単品で唐揚げ!」
大量だ。カレー二杯に定食に、さらに唐揚げを加えている。魚料理もあるのだが、肉アンド肉だ。流石にこれには瑞歩を全員驚いている。
「いつもお昼は結構食べてるからねぇ」
学校では瑞歩曰く、弁当を三つ持ってきているらしい。
普段の練習ではすぐに運動するため抑え気味のようだ。
「ん、よし、じゃあ準備してくるけど、他のお客さん出来るだけ早めに提供しやんとあかんから三十分くらいかかるわー。うちもその間席外すから勉強の続きでもしとって」
そう言って陽依は店の方に入っていった。
陽依がいないため、白雪に負担をかけすぎないためにも巧と司も自分の勉強をしながらわかる範囲で教える側に回る。わかる問題の再確認をしていたため、さほど問題にはならなかった。
しばらくすると、陽依が「お待たせー」と言いながら順番に料理を運んでくる。各々前に並べられ、全部が運ばれるのを待つ。大量のトッピングを注文した伊澄と、大量に料理を注文した黒絵の前だけ異彩を放っている。
「んじゃ、食べるで。いただきまーす」
陽依に合わせて全員が「いただきます」と声を合わせる。
巧は真っ先に唐揚げにかぶりついた。
カリカリの衣から、ジューシーな鳥もも肉が顔を出す。
「あつっ」
熱々のお肉から肉汁が溢れ出る。舌をやけどしながらもぷりぷりでボリュームのあるもも肉を頬張る。
「うまっ」
思わず声が出る。肉料理が好きな巧は、焼肉やステーキなどの普段から食べれないものなどを除けば、中でも一番唐揚げが好きだ。
「やろー?」
陽依はしてやったりの顔を浮かべる。よほど自信があったのだろう。
「なんか懐かしい味って感じだな」
この店で食べたことはないはずだが、どこか懐かしさを感じる。『お袋の味』という味だ。
「うちは家庭の味ってコンセプトやからな。利益度外視で格安っちゅうわけやないけど、手が届きやすい金額で来やすいようにって考えてうちの曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんが作った店なんさ」
「なるほど」
もう七十年近く前からやっている店なのか。
話を聞きながら、今度はカツカレーを食べてみる。サクサクの衣から現れる肉厚の豚肉を噛み切る。カレーも野菜の甘味とカレーのスパイスで程よい辛さが絶妙に美味しい。
「そういえば店の名前って『はるや』だけど陽依の名前も関係あったりするのか?」
純粋な疑問を投げかける。偶然ではないと思うが、『はるや』という名前は陽依と関係はあるが、苗字は姉崎だ。
「あぁ、うちの店って母方の実家なんやけど、『春野』って苗字やったんさ。んで、『姉崎』は父親の苗字。やから『春野』から『はるや』って名前つけて、でも母親も苗字変わったから『はるや』から名前とってうちに『陽依』って名前付けたんさ」
「なるほど、だから姉崎なのにはるやなのか」
「まあなぁ。姉ちゃんも榛名やから姉ちゃんも店の名前っちゅうか旧姓から取っとる感じやな」
姉妹揃って名前が似ているのは混乱しそうだが、しっかりと意味があって付けられた名前というのは羨ましい。巧も妹のまつりも特に由来があったわけではない。
「じゃあ、店もお母さんとかお父さんがやってる感じ?」
奥に通される前に店の中に入っているため店員さんと会ったが、アルバイトの人らしき人以外にも、男性と女性がいた。
「いや、暗くなるの嫌やから気にしやんといて欲しいんやけど、うちの母親亡くなっとるんさ。んで、父さんは普通のサラリーマンやからほとんど関係ないな。今店切り盛りしとんのは叔父さんと叔母さんと姉ちゃんやな」
母親が亡くなっているという話を聞いて気まずくはなったものの、陽依自身が暗くなることを望んでいないため普通に話しを続ける。
「お祖父さんとお祖母さんは?」
「まだ元気やから人手足りやん時は出てきとるけど、『若いのに任せる』っちゅーて余生を過ごしとるわ。言うてもまだ六十代やけどな」
巧の祖父母は七十代だ。そこそこ若くに結婚したのだろう。
「うちの家、結構驚くかもやけど、姉ちゃんは今年で二十六歳でうちと十個離れとんのやけど、叔母さんが二十九歳で叔父さんも三十二歳やで。おとんは四十八やったかな?」
姉と叔母が三歳差というのは珍しい。陽依と姉の年齢差を考えても、一人目は早いが、しばらく経って二人目ということだろうか。
「てか、陽依って関西弁だけど、大阪に住んでたとか?」
以前から疑問に思っていたことを問いかけた。
「そうそう、うちは幼稚園の途中やな、姉ちゃんは高校に入るタイミングで父さんの転勤もあってこっち来たんやけど、家の中はみんな関西弁やから染みついたんさ」
巧自身はずっと三重県で、今の家に住んでいるため、他県に住んだことはない。旅行や野球関係で様々な他県に行くことはあるが、住むとなると想像はできない。
こうやって話しながらご飯を食べていると、気がつけば皿に盛り付けられていた料理は綺麗さっぱりなくなっている。大量に注文いた伊澄や黒絵も、同じタイミングで完食していた。
それを見計らったかのように、部屋の外から「陽依〜」と声が聞こえる。
声に反応した陽依は「姉ちゃんか……」と言いながら襖を開けた。
「なんや姉ちゃん。うちもそんなに暇やないんやけど……ってなんやその荷物!?」
襖の先には、両手に大量のビニール袋を掲げた陽依の姉、姉崎榛名の姿があった。
「みんなこんばんわ〜。これ、聖香姉ちゃんからからのお裾分け。っちゅーても食べ終わったばっかか」
そう言って榛名は部屋の隅に荷物を下ろした。
「姉崎榛名です〜。うちも明鈴に通ってたから制服懐かしいなぁ。これ、うちの叔母の春野聖香姉ちゃんからのお裾分けやで勉強中好きに食べなね」
陽依が中身を覗くと、大量のお菓子やジュースが入っていた。
「頼んだんジュースだけやったんやけどな……。まあ、おおきに」
榛名は食べ終えた皿を片付け、「ほな、勉強頑張ってなぁ」と言って部屋から出ていった。
「終電考えたらあと一時間ちょいなんやけどな。まあ、また来週も昼から夕方まで勉強会やってもええか」
来週はテストだ。テストは午前中には終わるため、練習を行わない月曜日と木曜日の午後には余裕がある。
「ねえねえ、陽依」
「なんや?」
司は目を輝かせながら陽依の方を向いていた。
「もしかして、お姉さんって明鈴が甲子園に行った時のキャッチャー?」
「そうやけど、なんやどうした」
異様に食いついてくる司に、陽依はたじろぎながら返答した。
「いや、私あの試合見て野球やりたいって思ったんだよね。それでキャッチャーかっこいいなって。名前とかは覚えてなかったけど、顔だけ覚えてたんだよ。すごいなぁ、陽依のお姉さん」
やたらとテンションが上がっている司に陽依は困惑している。いつもは自分がはしゃぐ側だが、はしゃいでいる相手を見て反応に困っているのだろうか。見ていて面白い。
興奮した司をよそに、他のみんなは勉強を再開した。
終電を考えて黒絵は早めの九時ごろには先に帰り、他のみんなも十時に帰宅できるように九時半過ぎには帰った。
テストは四日後。不安は残りながらも、やれるだけのことはやっていくだけだ。
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