第72話 未練と想い
「今日はありがとう」
河川敷で司とは別れ、巧と明音は二人帰路につく。とは言っても明音は巧の妹の自転車を使っているため、一度それを返しに行く道中だ。
信号待ちの中、巧は声をかけていた。
「私も司のこと心配だったし、お礼を言われることじゃないよ。……それに私の方こそ親友のために練習抜け出して来てくれてありがとう」
巧にとって司は、同じ野球部の監督と選手という間柄でもあり、クラスメイトで友人だ。明音にとっても司は幼馴染で親友でライバルだ。
結局のところ、お互いに目的は変わらないわけだ。
信号が変わり、二人は無言へと戻る。それも、自転車同士で話すのは危険で話にくいからだ。
しばらく自転車を漕ぐと、あっという間に巧の家の目の前だ。三十分もかからないが、それでもすごく短い時間とも言えない。その微妙な時間も、退屈ではない時間だった。
一度自転車と荷物を置いてから駅まで送っていこう。そう考えて自転車を小屋に戻しに行き、二台目を戻そうとしたとき、玄関の扉が開いた。
「お兄ちゃん、おかえ──」
巧の顔を確認するや否や、妹が出迎えてくれる。しかし、『おかえり』と言う途中、妹の動きが止まった。
「お、おおおお、お兄ちゃんが女の子連れてる!」
妹はあたふたしながら、その場で巧と明音の顔を交互に見ている。
「あほ、友達だよ」
「都合の良い友達!? ダメだよお兄ちゃん、まだ高校生だよ?」
変なことを口走り変な方向へ解釈する妹。まさか中学生の妹の口から下ネタ紛いの言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「あわわわわ……ん、あれ、明音ちゃん?」
慌てたいた妹は、急に素に戻ったと思えば自己紹介していない明音の名前を呼んだ。
「そうだよー。まつりちゃん、久しぶり」
明音も名前を呼んで返事をする。
「面識あったんだ」
「うん、まつりちゃんとは中学の時シニアで会ったこともあるし、あとは共通の知り合いとかかな」
巧と妹の藤崎まつりは違うシニアに所属していた。一つ年下のため本来であれば一緒にプレーする可能性もあったが、まつりが強豪よりも中堅でのびのびとやりたいという理由から同じシニアには進まなかった。
そのため、巧と明音がシニア時代に会っておらず、まつりと明音が会っていてもおかしなことではなかった。
「てか明音ちゃん、雰囲気変わってて一瞬気づかなかったよ。髪型とかもそうだけど、化粧してる?」
「そうだよ。高校生になったし、挑戦してみたんだ」
それを聞いて巧は一瞬明音の顔をチラ見した。言われてみれば薄らと化粧っぽさがある。最初に会った時に雰囲気が少し違う気はしていたが、それが理由かもしれない。
そして、明音はハッと思い出したように話題を切り替える。
「そういえば、まつりちゃんって小さい頃に会ってたこと覚えていてくれたよね?」
「昔って……幼稚園くらいの頃のこと?」
「そうそう」
「覚えてたよー! 久しぶりに会ったときびっくりしたもん」
確かにその頃、巧と明音が遊ぶときにまつりも一緒にいた。
「誰かさんは忘れてたんだけどね」
明音はそう言い、巧をじっと見つめる。
「お兄ちゃん……」
まつりからも冷たい視線を向けられる。
「あぁ、もう、悪かったよ。……ほらもう行こう」
このまま責められ続けると巧は自分の羞恥心が耐えられないと思い、自転車と荷物をまつりに押し付け、駅へ向かった。
明音は「自転車ありがとね」とまつりに言い残し、巧の後に続いた。
そこからは適当に雑談をするだけで、明音が電車に乗って行くのを見送った。
「はぁぁぁぁ……」
私は電車に揺られながら、ため息を吐きつつ顔を手で覆っていた。
色々と思い切ったことを言ってしまった。それを思い出して、私は赤く染まっている頬を隠している。
司のことが心配で来たのは本当だ。もちろんそれが一番だ。しかし、それ以外の気持ちが僅かながらあったことも事実だ。その気持ちに対する罪悪感と、司が大丈夫だった安心感とでせめぎあっている。
わざわざこの服をチョイスしたのも、少しでも可愛く見せたいからだ。化粧をしたのも同じくだ。待ち合わせのために乗ろうと考えていた電車まで時間があったから身なりを整えた。それは巧に良く見られたかったからだ。
初恋の話も本当だ。会っていなかった中学までずっと引きずっていた。会っていなくても、巧の話は耳に入るため、忘れられなかった。もちろん、その間に別の人を好きになる可能性もあったかもしれないが、私にとって好きだと思える男子はいなかった。
そして高校生になってその想いはもう忘れようとしていた。いつまでも初恋を引きずっていては、自分自身恋愛でも前に進めない。そもそも今は野球に集中したかったので、これを機会に前向きに生きようと決めたのだ。
それでも、再会してしまった。忘れられない。
その時の気持ちだと言ったが、やっぱりまだ好きだ。合宿の時、そして今日、会ってはっきりと自覚してしまった。
でも気持ちは伝えない。恋愛にうつつを抜かして野球を中途半端にしたくない。もし巧が私の気持ちに応えてくれたとしても、ライバル校同士だ、県が違うため公式戦で当たらない可能性も高いが、甘えが出てしまってお互いに望まぬ結果となることは避けたい。
逆に今の関係のままなら巧はいつも通りだ。そして私は巧に振り向いてもらいたくて頑張れる。そうじゃなくても、恋愛を考えなくていい分、野球に集中ができる。
「そういえばこれ、どうしようかな……」
私は来る前に私服に合わせて小さめのバッグを持ってきていたが、帰っている今、荷物が増えていた。グローブ入れに入っているグローブを見ながら呟いた。
実家に戻って、中学の頃に使用していたグローブを持ってきたのはいいが、その後に戻しに行かなかった。
そしてそのグローブは投手用だ。高校に上がる前に内野手用のグローブだけを新調し、シニア時代に使用していた投手用と内野手用のグローブは実家に置いてあった。そのうちの投手用グローブを持ってきている。
投手である未練を断ち切るために、実家に置いてあった。
今でも打撃投手はするし、人が足りなければ試合にも出る。ただ、あくまでも野手だ。明鈴で言うならば夜空さんや水色なら晴さんのようにあくまでも野手だ。
それでも……。
「これも私だよね」
今は野手だ。このグローブは必要ない。それでも野手である私、投手であった私もどちらも私だ。
投手でうまくいかなかった私のことも受け入れ前に進む。
私はそのグローブをギュッと抱きしめた。
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