第70話 相談と再会
九時過ぎ、本来ならすでにミーティングが行われるはずだった。
しかし、この場に司の姿がない。
「誰か連絡来てないか?」
そう尋ねても、誰にも連絡は来ていないようだ。もちろん、巧や美雪先生のところにも連絡はない。
とりあえず、連絡を待つしかない。なんらかの理由があって連絡が取れていないだけかもしれないため、電話とメッセージを入れておいた。
そして、そのままミーティングを始める。
内容としては前日に話しておいた試合の反省点を元に、どのようにチームの強化を図っていくのかという話だ。長い時間をダラダラと話していても仕方がないため、基本的には巧が話をしつつ、何かあれば発言してもらうという方式を取っている。
その中でチームの目標を明確にしておく。各々に課題を出し、それを踏まえて直近の大きな大会である、夏の大会までに何をしていけばいいのかという指針を提示する。
ただ、漫然と『こんな感じにしたい』や『これをやってみたい』と考えていれば、長いスパンでダラダラとやってしまうだろう。
例えば変化球を習得したいというのであれば、期間を決めて習得を目指す。その期間で目標が達成できなかったのであれば、また次の方法を考えるなり、新たに期間を設定するなりすればいい。
もちろん人によってどのように練習すればいいのかというのは違うだろうが、あれもこれも一気にレベルアップを図っても難しいだろうから、全体的に練習しつつも一つのことを主にした練習をしていくというのが巧みの方針だった。
みっちりと一時間半程ミーティングを行ったあと、これまでの話を踏まえて二時間程の練習に入る。とは言ってもアップから始めるため、大して時間はない。軽く守備位置を確認しながらのノックだ。
最近簡単が外野のノックであれば美雪先生も打てるようになっているため、外野陣は美雪先生に任せて内野は巧がノックする。ただ、キャッチャーが不在の状況なので、陽依に入ってもらった。
ある程度練習をしたところで、すでに時刻は十二時半となっていた。
一時間程度の休憩を取り、午後はマシンを使いながらバッティング練習だ。それだけを伝えて休憩に入る。
そして、休憩に入ってすぐに携帯をチェックすると、一件の通知があった。
「司か?」
メッセージの送信主は予想通り司だ。ただ、内容は『ごめん』と書かれていただけだ。
すぐさま電話をかけるが出ない。メッセージを送れば既読にはなるが返事がない。
どうすればいいのかわからない。そこで巧はある人物に電話をかけた。
ワンコール、ツーコールと音が鳴り、その音はプツッと途絶えた。
『……何?』
いかにも不機嫌そうな声が電話越しで聞こえる。
「ごめん、忙しかったか?」
『いや、そうでもないけど。今日は午前練だけだし。……それで、用件は?』
「司のこと」
相談を持ちかけた相手、それは水色学園の近藤明音だ。
明音と連絡先を交換した際、司のことで何かあれば相談してと言われていたことを思い出し、巧は連絡をした。
『何かあったの?』
不機嫌そうな声色から少し驚いているような声色に変わる。
巧自身も何があってこうなったかわからないため、それを伝える。もちろん明音の方が離れているため、何があったか知る由もないだろうが、昨日皇桜と練習試合をしたということを伝えると、明音は『ちょっと待ってて』と言って電話を切った。
五分、十分と経った後、再び明音から電話が入った。
『今司と話したんだけど、皇桜の試合でトラウマを抉られたみたい』
それだけ言われても巧には何のことか当然わからなかった。すると、明音は中学時代の話を始めた。
まとめると内容はこうだ。
シニア最後の試合で、皇成シニアに負けたこと。
そして負けたのが司のパスボールが原因だということ。
その直前に言われた、現在は皇桜のキャッチャーである鬼頭の言葉が頭から離れず、野球を辞めようとしていたこと。
忘れかけていた頃にまた再会してしまい、同じく酷い言葉を浴びせられたということ。
それで完全に自信を失くしたということだ。
『中学時代はキッカケがあって立ち直れたみたいだけど、それまでの塞ぎ込み様は見ててもけっこう酷かったから、今回も時間が解決する問題じゃないとは思う』
確かにそうだ。精神的な問題は時間が解決する場合もあるが、そうでない場合もある。巧は事実を受け止めることで、選手としての復帰が叶わなくとも今は監督として野球を心から楽しめている。
珠姫はイップスのため少し違うかもしれないが、三年かけても治らなかった心の病が、外的な要因で治っている。
まずは司と話をしてみないことには何も変わらない。
「ありがとう。……てか、この話聞いても良かったのか?」
司の過去の話は、以前聞いても司自身が話したがらなかった。そのため、間接的に明音の口から聞いて良かった話なのかと考えた。
『大丈夫、ちゃんと許可はもらったから』
先ほど明音の方から司に連絡を入れ、今回のことの顛末を聞いたようだ。そして、その際に過去の話してを巧にしてもいいかと聞いて、許可が下りたらしい。
『流石に私も心配だから、今から準備してから行くよ。今は一時前だから……うん、二時から二時半くらいには行けそう。巧は練習何時まで?』
「俺は五時半までだけど……」
司は心配だ。ただ、練習も大切だ。
自分自身の気持ちを優先するのであれば迷わず練習を早めに抜けて行きたいところだ。
言葉に詰まり、視線をうろうろさせていると、昼食を摂る夜空とバッチリ目が合った。
夜空は食べていたパンを片手に、こちらまで歩いてきた。巧は明音に「ちょっと待ってて」とだけ言い、夜空に向き直った。
「どしたの?」
「司のことでちょっと、様子を見に行きたいんだけどさ……」
巧がそこまで言うとあとは理解したとでも言わんばかりに夜空は言葉を遮った。
「行ってきなよ。先生にも言わないといけないけどさ。緊急って感じでしょ?」
「……ありがとう」
夜空からの言葉で巧はすぐに電話に戻る。
「悪い、待たせた」
『うん、聞こえてたよ』
「そうか。じゃあまた時間がわかったら教えて」
『了解』
そう言って明音は電話を切った。
はやる気持ちもあるが、明音がいないことには司の家はわからない。場所を知っていれば多分二、三十分もあれば着くのだろうが、今はどうしようもない。ただもどかしかった。
「誰かと待ち合わせして行く感じなの?」
夜空がそう尋ねてくる。明音と会話していた内容までは元々離れていた夜空にはわからなかったのだろう。
「水色の近藤明音。司の幼馴染らしいから」
そう言うと夜空は納得したようだ。
「合宿の時も仲良いと思ってたけど、幼馴染なんだ。……まあ、時間あるならこの後の練習メニューだけどうやってしてくかは私と美雪先生で引き継ぐから、とりあえず先生に事情だけ説明して来たら?」
「そうだな」
練習メニューについてある程度どのように進めて行くかは伝えてあるが、具体的に誰をどのように練習していくかはまだ巧の頭の中だけだ。
時間はまだある。とにかくそれを共有してから向かうのが賢明だ。
やるべきことを済ませ、巧は明音との集合場所へ向かった。
時刻はすでに二時二十分を過ぎ、巧は駅の改札前にあるコンビニの中にいた。
六月となれば外もだいぶ暑い。だからと言ってコンビニで涼んでいるわけではなく、買い物を済ませるとすぐにコンビニから出た。
すると、ちょうど電車がホームに止まり、乗客が次々と流れ出てくる。その中には待ち合わせている明音の姿もあった。
「お待たせ」
「いや、わざわざありがとう」
巧はそう言いながらペットボトルを一本渡す。好みの飲み物がわからないため、無難にスポーツドリンクだが、暑い中でわざわざ来てもらったのでせめてものお礼だ。
「わ、ありがと」
「どういたしまして」
スポーツドリンクを受け取った明音はキャップを開け、一口だけ飲むとキャップを閉じた。
合宿の時とは違い、今日の明音は私服だ。上は夏らしいレースの入った鮮やかな水色のブラウスに、下は黒のショートパンツ。野球をしている時とは違い、一つに縛っていた髪もツインテールにしている。
普通の女子高生というような明音の姿に巧は変な緊張感を覚えた。
対して巧は、一度家に戻ったが荷物を下ろしただけだ必要最低限の物を持っただけで部活のジャージ姿のままだ。格好の差に気恥ずかしさを感じた。
そんなことを考えていると、明音が口を開く。
「今更なんだけど、集合場所、司の家の近くの駅にしておけば良かったね」
「確かにそうだな」
自転車で行けばだいたい二、三十分というのは知っている。しかし、徒歩となれば一時間弱くらい歩くだろう。
「どうする? 帰りのこと考えて歩いていくか、また戻ってこないといけないけど、うちに妹の自転車あるからそれ使う?」
帰りに司の家の最寄駅から帰るとなれば自転車は邪魔になる。しかし、一時間弱かけて歩くのはトレーニングでもなければ正直面倒くさいし、明音もどうだろうかと思い出した案だ。
「借りれるなら自転車かな」
「じゃあ、一回うち行くか」
巧の家までは駅から五分もかからない。一度戻った方が賢明だ。
二人は巧の家に向けて歩き出す。その際に、巧はふと思い出したことを口にした。
「……そういえば、前言ってたことだけどさ」
「ん?」
話を切り出した巧に、明音は何のことだろうと疑問を浮かべているようだ。すぐ答えは出るため、巧はそのまま続けた。
「幼稚園の頃よく遊んでたよな、確か」
合宿の際、明音は巧と過去に会ったことがあると話していた。シニア時代は会った記憶はない。巧は思い出せば明音のような選手がいたなと思い出せるくらいだが、その時に会っていたわけではない。
そうなればそれ以前かと思い、小学校の卒業アルバムや幼稚園の頃の卒園アルバムを引っ張り出し、その際に明音が写っていたため、その際に思い出したのだ。
「やっと思い出したの。……遅っ」
明音は笑いながらそう言った。再会した際には刺々しかった明音だが、今は普通に笑って話している。これが本来の明音だろう。
「もう十年も会っていないし、そりゃ忘れても仕方なくない?」
「私は覚えてたし」
そう言われると言葉も出ない。忘れていても仕方ないとはいえ、仲良くしていた人に忘れられていたとなればそれは怒ってもしょうがない。
「うち、この辺だったなぁ」
元々、明音は巧の家から一、二分歩いていたところに住んでいた。小学校に上がる際に引っ越したため、小学校に入ってからは一切会っていなかった。
「てか、逆に覚えてたんだよ」
巧は忘れていた。むしろ明音も忘れていてもおかしくはないはずだ。
「今だから言えるけど、私の初恋だったし」
「え?」
突然言われた言葉に巧は素っ頓狂な声が出る。
恥ずかしがる様子もなく、明音はただ淡々と言っていた。
「小さい頃って人によると思うけど、そこそこカッコよくて仲良かったら好きになっちゃうよ。多分。まあ、その時の気持ちだし、今は野球一筋だけどね」
その話をしていると、もう家の目の前まで来ていた。
「ほら、自転車! あと、一応グローブ持って来て。司に立ち直させるには野球しかないでしょ?」
明音に急かされ、巧は一度家の中に入った。
幸い、家には誰もいない。今日は妹の試合があり、両親共にそちらへ行っているのは知っていた。
念のため、母親に『自転車借りる』と一報だけ入れておく。普段徒歩で学校まで行く巧と、今日は使っていないはずの妹の自転車がなくなっていれば驚くだろうと思ったためだ。
荷物をまとめ、巧は再び家から出て行った。
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