第61話 孤高のエース

 六回表、皇桜学園の攻撃はキリ良く一番の早瀬から始まる。


 伊澄と早瀬の対決は、一打席目には早瀬に軍配が上がったものの、二打席目はしっかりと伊澄が抑えている。


 一勝一敗だが、打率で見たら五割だ。三割打てれば上々という野球では伊澄の方が負けていると考えても良い。ただ、打席数が少ないため、まだどちらが勝っているとは決めがたいという状況だ。


 そして迎える三打席目、試合の中盤から終盤へと差し掛かる大事なタイミング、三球目のストレートは平凡なサードゴロだ。


「サード!」


 三塁線へのゴロだが当たりはそこまで強くない。打球を楽々処理した七海が一塁へ送球する。


「あっ!」


 七海は思わず声を上げる。送球をしようと七海の指から放たれようとしたボールは、それを嫌うかのように指に引っかかり、ファーストの外野側に逸れた。


 一塁ベースを諦めたファーストの珠姫は塁から離れて送球を捕りにいくものの、それでも届かない。


「陽依!」


 セカンドの夜空がライトの陽依に指示を出す。ファーストカバーに回っていた陽依は逸れた送球を処理する。しかし、その間に早瀬は快速を飛ばし二塁まで到達していた。


 全くミスがないというのは難しい。何試合も重ねればエラーもするだろう。しかし、終盤に差し掛かり徐々に一点の価値が重くなるこの場面でミスが起こってしまった。


「落ち着いて、次しっかりとっていこう」


 ミスは避けたい。ただ、気にしすぎてさらにミスをすることは最悪のパターンだ。巧は落ち着かせるように全体に声をかける。


 続く二番ショートの瀬尾に代わり、鳩羽が代打に送られる。この鳩羽は秋と春の大会でともに背番号6を背負っている紛れもないレギュラーだ。確か、去年の夏でもショートでレギュラーだったはずだ。


 実力のあるのは確かな選手、しかし初めて打席に入る鳩羽の実力はわからない。


 すでに明鈴側も棗には準備させている。伊澄が順調にいけば七回で登板予定だが、この回で崩れるようなことがあれば交代も視野に入れなければいけない。


「伊澄! 球は走ってるぞ、まだバテるには早いだろ!」


 激励を送り、伊澄が頷くのを確認する。ポーカーフェイスで落ち着いているようには見えるが、それは見えないだけで熱くなりやすい伊澄が焦って自滅でもすれば試合は崩壊する。


 叶うなら、この回まではしっかりと投げ切ってもらいたい。


 打席に鳩羽を迎え、初球、外から内に入るカーブで一球様子を見る。


 判定はストライク。奇策というわけではなく純粋に伊澄を打ち崩そうと考えての代打だろうから、初球から振ってくることはない。


 二球目、一度落としたギアをもう一度上げ直した伊澄は叩きつけるように投げ込む。低めのストレートに鳩羽もバットを出さない。しかし、球威を上げたストレートは低めに外れ、ボールの判定をされる。


「ボールは良い。あとはどう配球するかだ」


 伊澄の投球の威力は確かだ。あとは司がどのように伊澄をコントロールするか、それにもかかっている。


 三球目、四球目と際どいコースへのボール。しかし、審判の判定に嫌われ、どちらもボールの判定。


 そして五球目、抜けたボールが外れた。


「ボール、フォアボール!」


 良いコースには投げ込めていた。不運もあったフォアボールだ。これは仕方ない。司も「切り替え切り替え!」と伊澄に声をかける。


 エラーでテンポが狂ったのもあるだろう。


 しかし、伊澄の球威が極端に落ちたようには見えない。確かに序盤から飛ばしていたが、途中から体力を温存しながら打たせるピッチングへと切り替えていたため、疲れは見えるがイニングの割にはまだ余力はあるようにも見える。


 そして三番の来栖に代わって代打の的場だ。的場はセカンドのレギュラーで、去年の夏から鳩羽と共に二遊間を組んでいる選手だ。


 初球、内角へ食い込むカーブでカウントを稼ぐ。二球目は外角のストレートを弾き返されるものの、三塁側へのファウルだ。


 すんなりと追い込んだ。


 しかし、三球目、外角へのカーブをセンター前へと弾き返される。ランナーが二塁にいることで前進気味に守っていたため、セカンドランナーは三塁で止まる。


 ただ、これでノーアウト満塁のピンチとなった。


「まずいな……」


 ノーアウト満塁での得点確率は確か八十五パーセント程だ。そして得点の期待値として二・四点程だ。


 つまり、この回に試合が大きく動く可能性が高いということだ。


 逆にここを抑えることができれば流れが明鈴側に引き寄せられる。


 ここが正念場だ。




「ふぅ……」


 ノーアウト満塁。この状況に焦ってはいるが、私の顔の表情は変わらない。


 元々感情を表に出すのが苦手だ。言動では表現するが、表情はあまり変わらない。


 そのことを気味悪く思う人も中にはいた。気持ち悪いと中学時代もチームメイトから避けられていた。


『冷徹』


『孤高』


 そんなことを言われるが、ただただ感情表情が苦手で周りから避けられているだけだ。


 でも陽依は違う。こんな私と一緒の高校に進学して、一緒に野球をしたいと言ってくれた。


 司もそうだ。入学前に会った時、陽依とやりとりをしている私を見て驚いた表情を浮かべていた。多分イメージとは違っただろうが、それでも避けようとはしなかった。


 巧も突っかかる私をめんどくさそうにあしらいながらちゃんと解ろうとしてくれている。


 他のみんなだってそうだ。私はチームメイトというものを初めて知った。


 今までは自分のためだけに野球をしていた。勝つと嬉しい。負けると悔しい。ただ、強い敵と戦っていきたいだけだった。


 今はそれだけじゃなくて、みんなのために勝ちたい。そう思えるようになった。


 そしてこの状況、ノーアウト満塁で四番の和氣さん。


 絶対に抑える。負けない。


 私がこのチームのエースになる。


 私はこの強敵を超えていく。


 ランナーなどもう関係ない。大きく振りかぶり、ワインドアップから投げた初球。


 今日一番キレている縦に落ちながら曲がるドロップカーブを外角低めいっぱいへ丁寧に、そして力強く叩きつけるように投げる。




 白球はライトスタンドへと消えていった。

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