第33話 二年生と一年生⑤ センスと判断

 五回裏、佐野明菜に代わって登板した永野未奈胡が黒絵を三振に切り、嫌な流れを少し戻したように思える。しかし、ワンアウト満塁と二年生チームのピンチは変わらない。さらに続くバッターは四番に入っている鈴鹿明日香だ。


 ピンチが続いている二年生チームだが、未奈胡は冷静だった。初球からコーナーを突くストレートに明日香は手を出さない。


「ストライク!」


 明日香も焦る様子はなく、平然と見送っていた。お互いに焦って自滅した方が負けだと理解しているのだろう。


 二球目もコーナーを突く変化球。それにも明日香は手を出さずに平然と見送り、ボールとなった。


 三球目、またもコーナーへの変化球に、これも明日香は手を出さない。そしてまたボール球となる。


「お互いに静かだね」


 それもそうだ。打たれれば流れは完全に一年生チームのものとなり、凡打となれば流れを二年生チームのものとなりかねない。


 明日香として最悪なのはゲッツーになりこのチャンスを潰すことだ。しかし、ゴロでも外野フライでも一点に繋がる可能性が高く、ましてやヒットとなればそれ以上の点に繋がるかもしれない。フォアボールでも一点だ。


 対して未奈胡は三振か内野フライ、ゲッツーでなければこのピンチを脱せない。ゴロでホームをアウトにすれば失点は免れるが、ピンチは続く。


 お互いに最悪は回避したい。


 四球目、内角高めのストレートに明日香は合わせる。しかし打球は後ろのバックネットに飛ぶ。


 五球目は外角への変化球。これも三塁側へのファウルとなる。


 六球目。外角へのストレートを捉え、レフトへの強い打球だ。ワンバウンド、ツーバウンドと外野に打球が転がる。二塁ランナーを警戒し、前進していたことが功を奏して二塁ランナーの琥珀はホームに還れなかったが、三塁ランナーの未紗は悠々と帰還する。一年生チームは追加点を叩き出し、三対一と点差を広げた。


 ピッチャーの未奈胡は天を仰ぐ。ピンチからの登板ということで、失点自体は明菜のものだが、ピンチで託された起用に応えることができなかった悔しさだろう。


 明日香はここでお役御免ということで代走として光陵、六道咲良が送られる。


「ここで引きずれば完全に一年生チームに持っていかれるか……」


 続いてのバッターは黒瀬白雪。その白雪に未奈胡は力で攻めていく。初球、二球目とストレートを確実にストライクゾーンに入れてくる。いずれも甘い球ではなく、じっくりと見ていく慎重打法の白雪はそれを見逃し、あっさりと追い込まれた。


 三球目、外角高めへの際どい変化球。白雪はこれに反応するが、三塁側へのファウルだ。


 四球目、内角低めのワンバウンドのストレートには手を出さない。


 カウントワンボールツーストライクとなった五球目。外角低めへのストレート。これに白雪は反応し、バット上部が当たって打ち上がった。


「落ちろ!」


 白雪は叫ぶ。内野はバックホーム体制で前進している。そのサードの後方に向かって打球はふらふらと上がっている。


 サードの恭子、ショートの美鶴が打球を追いかける。


 サードの恭子は体勢が悪い。真後ろへの打球だ、捕球しづらいのもわかる。


「オーライ!」


 恭子の体勢を見ながら美鶴は声を出す。その声に反応した恭子は、美鶴の捕球の邪魔とならないように減速しながら横に逸れる。そして美鶴は滑り込みながら打球を処理した。


「セカンド!」


 キャッチャーの魁が叫ぶ。落ちるかどうか微妙な打球だったため、二塁ランナーの司は少しリードを取っていた。美鶴は素早く送球してが、捕球を見てすぐに戻った司はアウトにならない。


「ナイスプレー!」


 未奈胡は嬉しそうにグローブを叩きながら声をかける。その声に美鶴はグローブを挙げて返事をした。


「今のはいいプレーですね」


「そうだね。滑り込んでキャッチするの、カッコいいよね」


「それもですけど、声かけも良かったです」


 サードの恭子は体勢的にショートの美鶴が見えていなかった。離れている巧たちにも聞こえるほどの声で指示を出し、それにしっかりと反応して美鶴の邪魔にならないように恭子は避けた。基本的な連携プレーではあるが、その基本がしっかりとできるというのが、強さの理由だろう。


 そしてツーアウト満塁となり、二年生チームとしては気は抜けないが一気に楽な状況となる。


 続いてのバッターは夜狐。三打席目でまだヒットは出ていないが、いずれも悪い当たりではない。


 初球から果敢に引っ張っていく。


 ライト線への大きなあたりはファウルとなり、二球目は見極めてボール。


 三球目、外角低めへの逃げていく変化球。そのボールに夜狐のバットは反応するが、直前でバットを止めるハーフスイングとなる。際どい判定だ。


 キャッチャーがスイングのリクエストとして三塁審判を指差す。それを見た主審は三塁審判を指差し、スイングの判定を促した。


 三塁審判はセーフのジェスチャーを取る。これはバットは回っていない、ボールだという判定だ。


「巧くん。さっきのどういうこと?」


 美雪先生はハーフスイングについて尋ねてくる。これに関しては正直わからないため、大まかな説明をする。


「ボール球をスイングしたかしてないかって判定が難しいんですよね。それで、右バッターなら一塁審判、今回みたいに左手バッターなら三塁審判が判定するんです。それでバットが回ってる……つまりスイングしたって判断したらストライクになって、していないって判断したらボールになります」


 ここまでは何ら難しい問題ではないが、そもそもどれを基準に審判がスイングと判断するのか、ということが難しい。


「さっきのストライクゾーンの話と同じで、これも審判の裁量で決まります。実際にルールで決まってるわけじゃないんで、曖昧なところですね。よく言われているのが、バットのヘッド……まあバットの先が見えたかどうかが基準になったりします」


 ただ、それも審判によってどこからスイングと取るのは異なる。恐らくプロの審判でも同じスイングで全く違う判定となることもあるだろう。


 そんな美雪先生の問いに答えていると、次の投球へ移っていく。四球目だ。内角高めへのボール。それに夜狐はバットを出すが、かすっただけでボールはバックネットに当たり、音を立てて落ちる。


 五球目も似たようなコースだが、やや外れてボールの判定だ。


 フルカウントだ。


 ツーアウトのフルカウントでランナーが詰まっている状況となると、ストライクであれば三振でチェンジ、ボールであればフォアボールで自動的に進塁が確定する。そしてフライでもゴロでもアウトになればチェンジとるため、次の塁を狙うためにランナーは走る。そのため自動スタートとも言われている。


 ピッチャーの未奈胡が投球動作に入ると、ランナーは全員スタートする。


 六球目、内角低めのボールに夜狐は反応するが、今度とバットを掠めるだけとなり、ファウルとなった。


 ランナーは各々塁に戻る。もちろん次の投球でもスタートしなくてはならない。


「正直、これが一番キツイんだよなぁ……」


 ファウルとなれば、ツーアウト満塁でフルカウントの状況は継続する。ファウルが続けば続くだけランナーは走らなければならない。ダッシュの練習を行なっている気分だ。


 そして七球目。未奈胡の左手から放たれたボールは外角へ逃げるように走っていく。夜狐は動かない。このボールは遠い。そう判断してバットは動かなかった。


 しかし、ボールがキャッチャーミットに収まると、夜狐はバットを下ろし、天を仰いだ。


「ストライク! バッターアウト!」


 二年生チームはこのピンチを切り抜けた。見逃し三振を奪った未奈胡はベンチに戻りながらチームメイトとグローブでハイタッチを交わしている。


 しかし、非常に際どかった。左バッターから見て、左ピッチャーのボールは内から外に見えてしまう。それもそうだ、左ピッチャーのリリースポイントは、ボールを待ち構える左バッターの体付近だ。ど真ん中であっても、自分の背中付近からボールがキャッチャーミットに収まるのだ。


 そして、遠いと判断したボールが自分の真横を通過し、思ったよりも遠くないことに気がつき、夜狐は自分の選択が間違いだったことに気がついたのだ。


「気づくだけでもすごいけどな」


 どういった判断でストライクだと思ったのか、それは夜狐本人にしかわからないが、今のボールがストライクだと理解した。その選球眼が、もしホーム到達前に発揮していたら……。


 夜狐のセンスに驚愕しながら、いずれ公式戦で当たれば脅威となると感じながら、彼女の成長を楽しみにせずにはいられなかった。

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