第8話 問題と立場

「合宿をします!」


 巧が監督として女子野球部に入部して二日後の練習終了後ことだ。夜空の口から急すぎる話が飛び出す。


 しかし、他の部員は特に驚く様子はない。


「ごめん、巧くんはまだ入部してすぐだったし色々あったから伝えてなかったけど、毎年ゴールデンウィークには合宿をしてるんだ。それで合宿日程が本決まりになったからそれの連絡」


 確かに渡されていた四月中の予定の下旬、ゴールデンウィークのところは空欄となっていた。練習と練習試合の予定を詰めていると思っていたが、まさか合宿というのは予想外だった。


「決定するの遅くないですか?」


「それなんだけど、男子の方は強豪だから予定が上手く合わなくてね。今年は遅くなっちゃったんだよ。……詳しくは今から先生からお願いします」


 夜空がそう言い代わったのは顧問の橋本美雪先生だ。


 まだ入部して数日しか経っていないが、美雪先生は可能な限り練習に顔を出しており熱心な顧問ではあるが、おっちょこちょいなところがある印象だ。


「まず、合宿の日程等をまとめたプリントと合宿なので学校での宿泊許可を親御さんに取ってもらわないといけないから許可申請のプリントね」


 美雪先生はそう言って端からプリントを渡していく。日程はざっくりとまとめてあるだけだが、今回は他校の先生が決めるためおおまかな日程の記載ということを説明する。


「そして、男子野球部の方が他校に行くことになったから今年はグラウンドも合宿所も女子野球部で独占できることになりました!」


 美雪先生の言葉に部員は「おぉ!」と声を上げる。


 男子と女子、お互いの予定をすり合わせるが、男子野球部は強豪のため、多くは男子野球部が優先される傾向にあるというのは男子野球部で仲のいい春川達や夜空から話に聞いていた。特に今回のような大規模な確保は男子が優先される。


「今回の強化合宿は例年通り、他校との合同合宿です。光陵高校、水色学園、あとは光陵の神代先生が個人的に鳳凰寺院学園の子を二、三人くらい誘ってくれたらしいから四校……というよりも三・五校かな? での合宿になります」


 光陵高校と鳳凰寺院学園は女子野球に詳しくない巧でも知っていた。


 光陵高校は新設校で野球部自体できたのが去年らしい。監督の神代燈子は、巧も二年生の際に日本代表合宿でも会ったことがあり知らない人ではない。その燈子が勧誘した現二年生九人と在校生であった現三年生一人、つまりは昨年度時点ではほぼ一年生だけのチームで甲子園まで登り詰めた四国・徳島の強豪校だ。


 鳳凰寺院学園は京都の高校で、今春に悪い意味で有名となっていた。甲子園常連で上位にも食い込むほどの強豪校であったが、確か秋以降から監督が代わり、春の選抜(春の甲子園)では二八対〇という大差で大敗していた。夏の甲子園に登録されていた夏当時の一、二年生が選抜ではほとんど登録されておらず、ニュースでも話題となっていた。


 水色学園は知らないが、渡されたプリントに目を落とすとご丁寧に『水色学園(愛知県)』と書かれていた。


「巧くんは知らないかもしれないから改めて説明するけど、明鈴と水色学園はかなり前からゴールデンウィーク、夏休み、冬休みと合同合宿を行なっています。十年前に明鈴が甲子園に行った年にも水色学園は甲子園に出場していて因縁の相手みたいなものかな? 水色学園はたまに甲子園に出てるけど、明鈴は十年前の当時のエースが二、三年生の頃の二回だけ。今は実力的にも同じくらいか明鈴が負けているくらいっていう感じです」


 なるほど。明鈴と水色学園の交流が古くから続いているが、そこに昨年から光陵高校が加わって今年は鳳凰寺院学園の若干名が加わるということだ。


「神代先生も張り切っているのでまずは合宿に向けて頑張りましょう!」


 美雪先生がそう締めくくり、練習後のミーティングは終わる。


「巧くん、この後ちょっとだけ時間ある?」


 そう呼び止めたのは本田珠姫だ。


「大丈夫ですよ」


「じゃあ、先に帰り支度だけ済ませて、後で話そっか」


「分かりました」


 家が近いため一緒に帰っている珠姫が呼び止めてくるということはなんとなく用件が予想できる。


 早めに荷物をまとめて他の部員が帰っていくのを見守っていた。




「それじゃあ私は先に帰るね」


 他の部員が帰っていくのに少し遅れて珠姫は帰路に着く。呼び出した張本人が先に帰っていくのには理由がある。用件があるのは珠姫ではなく、夜空だったからだ。そのため二人で話しやすいように「夜空ちゃんから話があるから」とだけ言うと珠姫は先にその場を離れた。


「用件はなんですか?」


 わかってはいる。しかし、まだ入部して日が浅い巧はそのことに突っ込まないようにしていた。デリケートな問題だ。夜空から言ってもらわない限り巧にはどうすることもできない。


「んー、そうだなぁ」


 やはり言いづらそうに言葉を考えている様子だ。しかし話があるというのにも関わらず、まだ一度も目が合っていない。


「まず先に聞きたいんだけど、最近みんなのこと名前で呼んでるよね?」


「あぁ……、はい、そうですね」


 昨日の練習前、夜空がいないとき……というよりも三年生が進路指導で少し遅れたため、夜空と珠姫がいなかったときに「監督だから」と練習中は名前呼びとタメ口にするように一、二年生に言われていた。それに気づいた珠姫には帰り道にそうするように言われていた。


 珠姫に限ってはチームは違ったものの家は近く、小中学校は同じだったため、呼び捨てで「珠姫」や「たまちゃん」と呼んでいたこともあったため、言いくるめられて従わざるを得なかったというのが本当のところだ。


「私も名前呼びでタメ口がいいなぁ……なんて」


 何故か遠慮がちに言ってくる。


「それくらいいいですよ。でもいつも夜空さんのことは名前で呼んでますけど」


「ううん、そうじゃなくて。呼び捨てでいいよ。それと練習中だけじゃなくて普段から呼んで欲しい。タメ口も」


「……? わかりま……わかった」


 普段からというのは疑問に思ったが、巧は了承した。


 ただ、本題はこんなことではないはずだ。まだ何か言いたげだが言いづらそうにしている夜空に少しだけ助け舟を出す。


「久しぶりに会った時はあんまり気づかなかったけど、監督に勧誘してきた時も中学の頃だったらもっと遠慮なくガツガツきてた気がするんだけど」


 理想が高く、周りにも高いレベルを求める。それ以上に自分に厳しい。中学時代はそんな印象だった。


 しかし、今はそんな気配を感じない。甲子園を目指すというよりも仲良く野球をやっていきたいという雰囲気だ。


「……三年生の人数が少ないのは私のせいなんだ」


 そう言うと夜空はポツリと話し始めた。




 話をまとめるとこうだ。


 理想が高い夜空は、周りにもその理想を押し付け過ぎて当時一年生だった同級生が全員退部した。マネージャーであり選手としても夜空のレベルについていける珠姫だけが部に残ったという状況だったらしい。


 中学生までは幼馴染で同級生で二遊間のパートナーでもあった砂原大地が夜空のストッパーだったが高校では男女別だ。大地も明鈴高校にいるが男子野球部、もちろん夜空を止めることはできない。


 当時の二、三年生は問題ないが、一年生の代になれば実力的にも夜空が覇権を握ることは目に見えている。それに耐えかねて元々他に六人いた一年生が二年生の夏になる頃には全員退部していった。


 そこがトラウマとなった夜空は今の一、二年生には強く言えない。特に一年生には佐久間由衣という珠姫とは別のマネージャーがもう一人いる。彼女は三年生の佐久間由真という退部した中の一人の妹だという。それでトラウマが助長され、日に日に弱気になっているようだ。


 去年となると辛うじて暴走しかけても上級生に止められ、トラウマが蘇ってすぐに収まるため現二年生に実被害はない。


 つまりは対等な立場で自分を止めてくれる人が欲しいという話だ。


「そうですか……」


 話を終えた夜空の言葉を噛みしめ、巧は思考を巡らせる。


 実のところ、夜空の幼馴染の大地とはシニアでも交流があったため、男子野球部に勧誘を受けたこともあり、女子野球部に入部が決まった翌日、つまり昨日には呼び出され、珠姫も交えてこと話を聞かされていた。


 入部早々ヘビーな話だが、そこまで難しい問題でもない。


「大地さんの代わりをすればいいってことでいいんだよね?」


 答えは大地から聞いていた。「俺の代わりに夜空を見ていて欲しい」と。監督である巧の采配次第で夜空をどうとでもできる。対等どころか上の立場で押さえつけることも可能と言えば可能だ。


「そうだね。……嫌な役回りでごめんね」


 選手、チームの中心、キャプテン、采配、監督、コーチ、様々な重圧を感じていた夜空の負担を減らすのが今の巧の役目だ。


「正直に答えて欲しいんだけど、そのために俺を誘ったの?」


 この話をそのまま直訳すると、ただ色々と押し付けるために巧を監督に勧誘したということになる。それでは少し気分が悪いが、素直な気持ちが聞きたかった。


「ちょっとはあった、かな? でも一番は今の一年生のため」


 今の一年生は中堅や弱小の称号が似合わないほどの人材が確かにいる。伊澄は中学時代の日本代表、陽依は落選したら日本代表の合宿にも呼ばれている。


「私が抜けたら監督もコーチの役割ができる人がいなくなる。今の一年生が三年生になったらいいところまでいくと思うんだ。これからのチームを作るのには巧が必要。それに私自身、巧くんと野球がしたかった」


 その言葉は嬉しかった。中学時代に仲が良かった上級生は何人もいた。夜空もそうだが、珠姫や大地、他校に行った上級生の中にも巧が尊敬する人は何人もいた。それでもその尊敬している一人からそんな言葉をもらえるなんて嬉しくないはずがない。


「今の一年生のためとか言わずに今年甲子園目指そうよ」


 巧は苦笑いをする。正直難しいかもしれないが、弱気な夜空は巧が好きな夜空ではない。


「そうだね。……あー、なんか元気出てきた!」


 夜空はそう言いながら笑うと「頑張るぞー!」と言いながら拳を上げた。


「まあ、高校以降のことも考えて多少は自重しろよ?」


 多少自分勝手なのは構わないが、あまりにも出番が多いと困るのは困る。


「わかってるわかってる。今日はありがとうね。また明日から頑張ろう」


 今までのしおらしい雰囲気はどこにいったのやら。ただ、シニア時代を思い出して少し嬉しくなった。




「お疲れ様」


 巧が帰路につくと、校門を出てすぐの曲がり角で珠姫が待ち構えていた。


「帰ったんじゃなかったんですか?」


「はい、敬語禁止ー。ほら自分じゃどうにもできないことだしね、申し訳ないとは思ってるんだよ」


「入部早々重いって」


 頼られるのは悪い気分ではないが、旧知の仲でなければ即答で断っていただろう。それくらい重い話で、例え監督でなくとも巧はこのままの状況は嫌だったと思う。


 ただ、まだまだ先になるが、もう一つ問題は残っていた。


「もう治ってるんだろ? 珠姫」

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