人は見た目が・・・

水樹詠愁

第1話 授業中の妄想

 言葉はその昔、言霊ことだまとも呼ばれていて、言葉そのものに霊的な力が宿ると信じられていたと、古文の先生に教わった。良い言葉は慶事をもたらし、悪い言葉は凶事をもたらす。結婚式で、”別れる”や”切れる”を使わないのもその名残なごりだとその時に聞いた。結婚披露宴でのウェディングケーキは、”切る”のではなく“入刀にゅうとうする”のだ。

 言葉には強い力がある。昔の人は、言葉で人を呪い殺せると本気で考えていたらしい。なかには、憎い相手の名前に呪い(呪詛じゅそ)をかけて、その人を殺そうとする人も結構いたみたいだ。ただし『人を呪わば穴二つ』。呪詛には呪詛返しという対抗手段があって、中途半端な霊力では呪った本人が反対に呪い殺されてしまう。墓穴はかあなを二つ掘るのは、呪詛返しに備えるためだ。呪いは命がけの行為なのだ。

 『名は体を表す』とよく言われる。ラテン語のことわざにも同じ意味のことわざがあるらしいので、洋を問わず万国共通の認識なのだろう。海外のわかりやすい実例では、Speedスピードさんが自動車レーサーだったり、Medleyメドレー7さんが歌手だったりする。イギリスの心理学者の先生は、「名前はその人物の性格や経歴について、他人がどう思うかに影響し、それによって、人生で与えられるチャンスにも影響しうる」と言っている。この学者の名前は、賢人の意味を持つWisemanワイズマンさんなので、この人自身も自分の名前に影響を受けた好例だ。

 しかし、全てがそうとは限らない。むしろ反対に“名は体を表さない”ほうが多いかもしれない。人名で言えば、騒々しい静香しずかや意地悪な優子ゆうこ、性格の暗いあきらや身体的に弱々しいつよしもいるはずだ。実は私も“名は体を表さない”一人だ。

 麗子れいこという名前には不満はない。むしろ、いい名前だと思っていた。小学生の頃までは。両親が、うるわしい女の子に育って欲しいと期待を込めて名付けたのだろうと、高校生になった今では容易に想像できる。しかし、現実はそんなに甘くなかった。

 小さい頃は、名前を聞かれるたびに「いいお名前ね」と言われて、その言葉を素直に受け入れていた。今思えば、風向きが変わったのは、やはり中学生の頃だろう。気のせいかもしれないけれど、初対面の大人に名前を教えた後の「いい名前ね」までの反応時間が、以前よりわずかに遅くなった。小さい頃は”麗”の意味も分からず、外見や名前にも無頓着むとんちゃくだった。しかし、大きくなって漢字の意味を知り、旺盛な食欲でポッチャリ体形となった今では、外見と『麗子』との落差を自分自身でも認めるようになった。

 ルッキズム外見至上主義は、『身体的に美しいものこそ善である』という極端に偏った価値観だ。もちろんこんな差別的な考えは良くないと思うが、不幸なことに現実社会には多かれ少なかれ存在する。人間は中身が重要という建前に、実際には見た目重視である本音が見え隠れする。見た目重視はよくないと頭ではわかっているが、見た目にこだわる自分も確かに存在する。身近な例では、先週まで母校に来ていた教育実習生がイケメンだったとクラスの女子の話題になっていたし、恋愛ドラマの主人公はやっぱりイケメンが良い。自分の容姿に多少の劣等感はあるものの、ルッキズムを強く意識するようになったのは、あの出来事がきっかけだった。

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