7.ブタは死ね
「!」
ガシャン、と突然の音に意識をひっぱたかれる。慌ててすぐ目の前まで迫っていたルカの顔を回避すると、彼はチッと舌打ちをしながらも離れてくれた。
「ラスプ、その皿いくらだと思っているのですか」
「あ、あーっ!?」
ぶつかった時に壁の棚から落ちたのか、足元で無残に砕け散った皿を目にしたラスプが飛び上がる。お皿には悪いけど助かった……。もう一度こちらに向き直ったルカをにらみつけて、私は厳しい口調で言った。
「今、何をしたの?」
「……」
「答えて」
見据えていると、彼は観念したように重たい溜息をついた。
「バンパイアは血を吸う際に、軽い魅了の術をかけることが有りまして」
「それをやったのね?」
「……まぁ」
罰が悪そうに視線をそらす彼に向かって、私はハッキリと宣言しておいた。
「私の心は私だけの物。次やったら、二度と口きかないから」
「……肝に銘じておきます、我が主君」
優雅な、そしてやや大げさな礼をしたルカは顔を上げたかと思うと、それまでとは違うどこか崩れた笑いを浮かべた。
「そうなると仕方ありませんね。無理やり口に瓶を突っ込むしか」
「え、ちょ、どうしてそうなるわけ? いいから早くほどいてってば……ライム! ライム離れて! 魔王命令!」
「えぇぇ、ボクどーしたらいいの?」
「そのまま抑えつけておいてくださいね 『えづく』ぐらい奥に突っ込みますから、そりゃもうグチャグチャに突いて泣いて許しを乞うぐらいに 」
ニコニコしながらルカが瓶を片手にやってくる。その背後に背負ったオーラはドス黒いというか、隠してた本性をやけくそで全開にしてるというか
「黒っ! 本性真っ黒じゃない!」
「敬語キャラが腹黒ドSとか定番じゃないですか、何を今さら」
「だからなんで【属性】に通じてるワケ!? ラスプー! グリー!」
一縷の望みをかけて助けを求めるも、赤毛の狼はお皿を割ったことで意気消沈してるし、白い死神に至ってはついに天井に到達して寝そべっている。
「さぁ、お覚悟を」
「あわわわ……」
絶体絶命のその時、明るくなり始めた窓の外から誰かが叫んでいるような声が聞こえてきた。叫んでるというより、怒ってる? 怒声の合間にキーッと獣が鳴くような声も聞こえてくる。
「何の騒ぎですか?」
顔をしかめながら窓を開け放ったルカを追って私たちもテラスに出る。するとそこには異様な光景が広がっていた。
「見ろー! 幹部どもが出てきたど!」
「やっと出てきただな!? 涼しい顔してオラ達を見下しやがって!」
豚と人の中間みたいな緑の生き物が所狭しと下の庭にひしめいている。彼らはこん棒やら石を振り上げながらキィキィと怒りの声を上げていた。
「なにあれ、ヒト?」
「ゴブリンの難民か、こりゃまたどえらい数だな……」
「あっ、みんな!?」
うへぇと声を出すラスプの横で、何かを見つけたらしいライムが手すりに駆け寄って身を乗り出す。視線の先、ゴブリン集団の真ん中辺りにはカラフルなスライム達が十匹ほど囲まれてヤリでつつかれていた。
「ライム様ぁ~」
「うぇぇーんごめんなさい~、来る途中で捕まっちゃいました~」
「ポポイ! ポポル!」
「やいやいやい! これが見えるか! あるったけの財産をこっちに寄越せ! さもなくばコイツらの命はないどッ」
バイキングっぽい兜をかぶったゴブリンが、ボロボロに錆びた剣を振り回しながら叫ぶ。どうやら彼がリーダー格のようで続くように周りのゴブリン達も銘々に騒ぎ出した。
「お前ら魔王軍のせいだ! おいらたちゃ住むところを追われどこへ行っても冒険者に遊び半分に切られるだよ!」
「あのまま魔王軍が勢力を広げていればうちの子は殺されずに済んだのに……」
「どうして突然死んだりするのよぉ、無責任じゃない!」
「返せよぉ! おいら達の同胞を! 故郷を! 家族を! 子供をぉぉ!」
憎しみと哀しみの入り乱れた合唱が辺りに鳴り響く。私はその余りの悲痛さに思わずよろめいた。胸が押しつぶされそう。彼らの怒りは全て魔王に向けられてる、そうでもしないとやってられないくらい悲惨な目にあってきたんだ……。
「お、おい」
「やれやれ……」
支えてくれるラスプの横からルカが進み出て、手すりに寄りかかり頬杖を突く。その横顔はぞっとするくらい冷めたもので氷のような声が響いた。
「それで? 我々から金品を巻き上げた後、あなた方はどうするのです?」
「決まってるだ! それを元手にゴブリンの国を作り上げるだよ!」
「そうよ! 最初から魔王なんかに任せなければ良かったのよ!」
「何が魔族連合軍だ」
「我らだけの王国を!」
「幸せな生活を!!!」
「実にくだらない」
ルカの一言は、決して大きいとは言えなかったのにやけに通った。シン、と静まり返る庭を見下ろしながらバンパイアは冷徹な笑いを浮かべる。
「あなた方の短絡的思考には心底呆れます、魔王様に責任を転嫁すればそれはそれはラクでしょう、自分たちの無能さから目を背けられますからねぇ」
口元は笑ってるのに目だけが冷え冷えとしている。こ、こわい、なんか急に気温が下がったような錯覚すら覚える。
「理想の王国? 幸せな生活? 寝言が許されるのは眠っている時だけですよ? そんな夢見る子ブタちゃん達に私から贈りたい言葉はただ一つです。ブタは死ね」
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