祖母を見送った話

とぉくん

骨が少ない、でも重たい

 火葬の済んだ祖母の体は、もうどこにも見当たらなくて、ただ予想以上に白く静謐な抜け殻めいたものが残されているきりだった。

 いや、……それはたとえば「残骸」が適切だろうか。残骸。少し乱暴で、あまりに素っ気ない表現な気もするが、そこに目をつむればこれ以上ないほどぴたりと当てはまる二文字な気もする。


 かつて祖母だったもの。

 祖母という人を構成していた器のばらばらになった破片。

 残骸。


 ……いや、やはり少し乱暴なのが気にかかる。あえて、抜け殻、と自分に訂正させる。


 抜け殻、といえば、まだ火葬する前の体はそれこそ祖母という人を司る核となる部分が抜け出てしまっていて、外見は生前とさほど変わりないのにもかかわらず、ひどく空虚な印象を受けた。

 まるで別人のような、まるで人形のような。

 そんな比喩をどこかで目にしたことがあったかもしれない。なるほど、こういうことかと納得したと同時に、その比喩のどれもが微かに芯から外れているとも思えた。では、どんな言葉が適切なのか、頭の辞書を手繰ってみるが残念なことにぴたりと嵌まるものがない。

 強いていうなら、やはり抜け殻が近いのだろう。

 ……いや、それも少し乱暴か。祖母は、蝉じゃないんだからさ。


 そんなとりとめのないことをぐるぐると考えていたら、祖母の遺骨が納められた壺を両手で抱えていた。「意外と重いね」なんて話を両親や姉と交わした。なので老齢な父に代わり、若い自分が壺を運んだわけなのだが、その重さはけっきょくのところ壺そのものの重量であって、その点、祖母のお骨はまったくといっていいほど腕の負担になっていないのだと思った。

 当然だ。火葬炉から帰ってきた骨は、晩年、車椅子生活だったにしては意外と丈夫そうだった代わりに、明らかに不足していた。少なすぎる。

 その事実が、どうしてだろう、自分を強い力で揺さぶった。


「おばさん、こんなに軽くなっちゃったね」


 なんて、両親にいったら、二人はどんな顔をしたのだろう。そうだねといって、笑ってくれたのだろうか。

 でも、なんだか禁忌めいたものを感じて、「重いよ、ゆっくり歩くね」と取り繕うようにいった。両親もまた、「足元に気をつけて」と返してくれたので、ほっとしたのを覚えている。重い、ということにしておいて、よかった。


 そして……帰路についた。その間、一滴の涙も流さなかったし、これを書いている今でも、たとえば目の前が滲んで執筆の手が止まる……なんてことはない。

 どうか、薄情と思わないでほしい。


 ただ、いなくなってしまったんだなあ、という所感が、じわりじわりと広がっている感覚がある。それが悲しみの感情なのか、別れを惜しむものなのか、あるいはまた微妙にずれた種類のものなのか、自分では判別がつかない。昔からそうなのだ。たったいま自分の抱いている感情が喜怒哀楽のどれに属するものなのか、また「哀」だとすれば、正確には何色の「哀」に該当するものなのかが決められない。自分の感情に対して、自分なりの判断が下せない。たとえば「怒らないでよ」と相手にいわれて、初めて自分は怒っていたのだと判断できる、といった具合に。どうにも整理が下手なのである。


 ……話が逸れたが、こうも思う。


 祖母はいなくってしまったが、意外にも、私と、私の周りの環境は穏やかだ。

 祖母の残骸に触れたことで、よりはっきりと浮かびあがった世界の秘密めいた平穏。

 それを微かにだが手に入れられて、実のところ、私はちょっとだけ満足している。


 だから、心からいえる。

 祖母に対して、ありがとう、と。


 そうだ、感謝しているのだ。カテゴライズできない感情の中で、唯一、それだけは明確に断言できる。


 ありがとう。

 

 梅雨が明けて、今日も今日とて暑く、青い。

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