かわいそうな子豚と神の最期の一ヶ月。

ださい里衣

第1話

「ちょっとぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

抱いて寝ていた水色の豚猫のぬいぐるみを小脇に抱え、野太い声を発しながらドスドスと寝室から出て、リビングへと押し入ると、窓から月を眺めるていた男がこちらを振り返る。

『騒がしいぞ、子豚。近所迷惑だ。』

「なぁ~にが近所迷惑ですか!ちょっとあんた!昨日自分で私の寿命が云たらって言っといて、時間を有効に使わせるどころか寝て過ごしちゃったじゃないの!なんで起こしてくれなかったのよぉ!やる気なしかっ!」

『やる気もなにも、今のお前は月の出ている間しか活動出来ない。私がどうこうではなく、それはお前の性質だ。』

「え…………、マジ?」

『うん。』

「うんじゃないぃぃいいぃぃぃ~!!!!!!聞いてない~!!!!!!」

うねうねと駄々をこねながら体を捻る私を男は無感情に見つめている。

(……?なんだか様子がおかしい気がする。)

違和感を感じ取った私は「それよりなんで電気点けないんですか?」と言いながらリビングの明かりを点けると、リビングの床全体に白い桜の花びらが散らばっていた。

「おっとぉぉぉおお?なにこれなにこれ?」

驚いた私に男は顔をしかめながら『私だ。』と短く答えた。

「え…………お花見してたんですか?一人で…?」

心の中でなんて寂しい人なんだろうと本気で男を憐れんだ瞬間、男がバタリとその場に倒れ込んでしまった。

「えっ、なんですか⁉まさか神様も寿命ですか⁉やっぱり神様も信仰者がいないと消えちゃうんですか⁉アナタ、そんなに人望のない神様だったんですか⁉神様⁉」

(まぁ、その性格じゃ当たり前だろうがな☆)

大きな体をゆさゆさと揺すり、内心ほくそ笑みながら耳元で大きな声を出すが、男は『うるさいぞ…。』と弱々しい声を出すだけだった。

(あれ、これもしかして本当にヤバいやつ…?)

「か、神様…?本当に消えちゃうんですか?なんか回復の祈りみたいなのあれば読みますけど…。」

(案外お経とかも、神様の回復魔法的なヤツだったりしてね。)

『い、のりでどうにかなる訳ないだろ…馬鹿め…。』

だらんと床に身を投げ出した男の顔は相変わらず苦しそうに歪んでいる。

「どこが痛いんですか?どこですか?」

私は言いながら男の着ている紺色の着物の袖や裾をたくし上げ、体を確認するが腕や足には大きな怪我は見当たらなかった。

(なるほど、じゃぁ…。)

「ちょっと胸見ますよ。」

『なにを、やめっ…。』

男は衿元に伸びる私の手を拒もうとするが、相当弱っているようで私の手を払いのけることも出来ない。

ガバッと綺麗に着つけられた着物の衿を掴み、こじ開ける様に開くと、露わになった白い胸にはまるで抉られたかのようにポッカリと穴が空いており、その傷口からサラサラと白い桜の花びらが零れていた。

「なん、ですか…これ…。」

『…………。』

「なんか穴…空いてますけど…。」

『ああ…。』

「ああって…これ大丈夫なんですか…?」

『ああ…。』

「いや、絶対嘘じゃん。これ、元々空いてたわけじゃないですよね?どうしたんですか?」

(風呂に乗り込んで来た時は普通だったしな。)

『お前は知らなくていい。』

男はアクアブルーの瞳を赤く点滅させ、肩で浅い呼吸を繰り返しながらも、その言葉だけはハッキリとした声で言った。

(なんだそれ。)

「はいはい、分かりました。これ以上聞きませんよ、でもずっと苦しいのも嫌ですよね?つか私はあなたがこんな感じなのは嫌なので、なんとかしましょうよ。」

『なぜ?』

私の言葉に男はピクリと眉を動かす。

「なぜってなんですか、そりゃあ、自分の傍で苦しんでる人がいたらほっとけないでしょう。」

床についた私の手を冷たい男の手がそっと触れ、男は微かに微笑みながら『それは私だからという訳ではないのだろうな…。』とどこか諦めている様に呟いた。

「はぁ…、私はあなたであろうとそうでなかろうとほっときませんよ。それがなんですか?そんなことより私はどうしてあげたらいいか教えてくださいよ。それとも、綿でも詰めますか?」

『私でなくても…?はは、それだからお前はいつも壊されてしまうんだ。壊されてしまうくらいならいい加減、その美しくも愚かな優しさを手放そうとは思わないのか?』

チカチカと赤く光る瞳を細め、冷たい手で私の頬を撫でる男に、私は溜息をつく。

(……また昔話ですか。)

「はい、じゃぁ綿持ってきますねぇ。」

よっこいしょと立ち上がろうとする私の手首を冷たい手が掴む。

『綿はいい、お前は私の傍にいろ。』

「…………分かりました。」

渋々男の傍に座り直すと、男は『こちらに来い。』と床に寝転んだ体制のまま私に腕を伸ばしてきた。

「ええー、床硬いから嫌です。」

『良いから。』

「はぁ…、分かりました。」

(どうせ何言っても無駄ですもんね…。)

私は心で反論しながらも言われた通り、男の腕の中へと体を倒した。

空洞になった胸を避け、触れないようにかろうじて損傷のない右胸に耳を当てた。

冷たい男の体からはどこからもドクドクという血管を血液が流れていく音が全く聞こえない。

『お前が私の物を持っているおかげで、奪われずに済んだ。ヤツにとってもとんだ無駄足だったな。』

男は私に言っているのか、独り言を言っているのか分からないが、冷たい腕で私を強く抱きしめながら渇いた声で笑った。

(ヤツって誰だ?)

「誰か来たんですか?」

もしかしてひまわり?と口を開こうとした時、男の冷たい唇が私の唇を強引に塞いだ。

「んんっ⁉」

自分の体を包む冷たい体と唇にただ驚き、反射的に手で男の胸を押すと、男の左胸を押そうとした私の手が男の左胸に空いた穴へとすり抜けてしまった。

「あっ、ごめ…!」

私は傷口に触れてしまった為、慌てて起き上がり男の具合を見ようとしたが、すぐに男も体を起こしたかと思うと、今度は反対に私が男に押し倒される形で床に倒れ込んだ。

「ちょっと、なにしてんですか。こっちは心配してんのに!」

『心配…?私を?なぜ?』

「またそれですか。あなた、今胸に穴空いてるんですよ?自分の状況分かってます?」

私の上に覆いかぶさった男の右胸に空いた穴からはすぐに紺色の着物の裏地が見えている。

『お前にも見て分かる通り、最初からここには何も無い。そうだろう?ここにあった私の物は今、お前のここで動いているのだから。』

男は私の手を掴み、再び自分の胸に空いた穴に私の手を誘い、次にそのまま私の胸へと私の手を置いた。

『これは間違いなく私とお前を繋げている、それは今もこれからもだ。たとえお前があと一月後に死のうと、私はお前の魂を辿って次のお前の元へと辿り着くだろう。たとえお前が私から逃げ出そうとしても絶対だ、お前と私に終わりなど無い。』

一度私の胸に置いた私の手を再び握り、縋るように自分の頬に当てる男のその言葉は私ではなく男自身に言い聞かせているように聞こえた。

「…………。」

(……もぅ~昨日といい、今日といい…私メンヘラ対応得意じゃないんだけどもぉ~!)

『柊。』

「え、あ、はい。」

初めてちゃんと名前を呼ばれたことに驚いた私はつい素っ頓狂な声を出してしまった。

私の上に覆いかぶさった冷たい体が更に重く私の体に押し付けられたかと思うと、冷たい両手で顔を固定され、今度はゆっくりと男の唇が私の唇と重なった。

サラサラとしな垂れ落ちる男の月白色の長い髪が私の顔を照らしていた月明かりを遮る。

男が私の唇から唇を離した時、私の頬を数枚の花びらが滑り落ちた。

『なぜ…………。』

「はい?」

ぼそりと呟いた男の声に私が聞き返すと、次の瞬間、男の瞳は赤々と鋭く光り、月白色の長い髪は重力に逆らって毛先からふわりと浮き上がったかと思うと、部屋中がバリバリという音を立てて凍り付き始めた。

「え……!ちょっ、かみさ…。」

『なぜ‼なぜお前は拒まない⁉あの時のように、あの時と同じようになぜ私から逃げ出さない⁉』

錯乱した様に声を上げる男のその声は特殊な響きがあり、脳みそに直接響いてくる。男の頬からははらはらと花びらが舞い落ち、その花びらは凍り付いた床に触れた瞬間に弾けて消えてしまった。

『お前が…お前のせいで…私は追いかけ続けてしまうんだ…ああ……!分かっている…!月は手に入らないことくらい、だけど私は…消せない…消せないんだ…あの日のお前が…どうしてもこの空っぽの胸に焼き付いて消えない…どうしたらいい?どうしたらいいんだ私は…?何度も、何度もお前の望み通りにしようとした、だがいざとなるとこの手から手放したくないという浅ましい心に囚われてお前を隠してしまう。この手の中にあっても、真の意味では永遠に私のものになどならないのに…。』

なにを言っているのか分からない男の言葉の意味など、私はハナから考える気など無かった。

(……ああ、これ涙か。)

はらはらと上から私の顔へと舞い落ちてくる花びらの正体に気付き、私はふわりと浮かぶ男の長い髪を掴み、思いっきり自分の方へと引き寄せた。

「何言ってるか分かんないけど、とりあえずなんか…そう!ごめんね!」

そう言って引き寄せた男の大きな体を目一杯の力で抱きしめ、トントンと背中を叩いた。

(たぶんまた前世のアレコレ思い出して情緒不安定になってんだよね?これ。でもなんか今回は私のせいとか言ってるからとりあえず謝っとこう。)

そう、全ては来世に余計なわだかまりを残さない為である。

トントンとあやすように背中を叩くごとに男の強張った体から力が抜けていくのが分かった。

(やっぱメンヘラには抱っこが一番だよねぇ~知ってた☆)※嘘

『お前はなにも分かってない…。』

私の首筋に顔を埋めながら呟く男の髪を撫で私は頷く。

「うん。ねぇ神様、昨日の話覚えてる?」

『ああ…。』

「私の最期の一か月、人生を謳歌出来る様に協力してもらうって話だったじゃん?」

『ああ。』

「でも私、こんな具合悪そうで情緒も安定してない人と一か月も一緒にいても楽しくないから、ひまわりのとこに逃げちゃうかも。」

『ダメだっ‼アイツの所へは行かせない!絶対に!私が!私がお前の傍にいる!』

私の呑気な声にも関わらず、男は‟ひまわり”と‟逃げる”という言葉に反応し、私の肩に項垂れる様にして乗せていた頭を瞬時に上げ、ガシッと強く私の肩を両手で掴んだ。

「はははー、そうだよねぇ。じゃあまずその胸の穴治そう、めっちゃ怖い。ストレス。」

『出来ない、これは塞げない。』

男はキッパリとそう言うと私がはだけさせた着物の衿をシュッと慣れた手つきで整える。

(嘘だ。)

なぜだか私は直感でそう思った。

何の確証も無いが、私は唐突に頭に浮かんだことを実行すべく男からゆっくりと離れ、鋭く尖った氷の先に思いっきり手のひらを押し付けた。

「いってえええぇえぇぇぇえぇぇぇえぇぇ!!!!!!」

『子豚っ⁉何をしてる⁉』

「ああああああぁぁぁ!いだいぃぃぃぃぃいいいぃいいい!!!!!!」

びえーと泣き声を上げながら振り返った私に男は瞬時に駆け寄り、ポタポタと血の滴る私の手のひらを確認した。

『血は出ているが見た目より深く刺さってはいなさそうだ、子豚しっかりしろ。』

「あぁぁああああぁぁ~‼もうダメ~‼なめてぇ~、いたいぃぃぃいいい~‼」

そう、私の狙いは最初からこの男に私の血を舐めとらせること。

理由は2つ、一つは、妖系の話とかで妖が傷を癒すのに人間を食べるみたいな展開を見たことがあったから。そしてもう一つは、イケメンにペロペロされてみたいという完全な下心であるっ!!!

届けっ!この想いっ!

なんでか私の要求に戸惑うように瞳を揺らす男に私は更に身を捩って『痛いぃいぃぃぃい~!なめてぇ~!」と叫ぶ。

『子豚、落ち着け。すぐに痛みだけでもとって…。』

男は私の手を掴みながらそこまで言って一時停止してしまう。

どうやら今の状態では能力も十分に使えないようだ。

「やっぱ出来ないんだぁああああぁ!あぁぁああああぁぁ~いたいぃぃぃいいい‼なめてぇえぇえぇえぇ‼良いからなめてよぉおおぉお~‼いたいのおおおおぉぉぉおぉ~ぎゃあああああ~。」

バタバタと暴れる私に、ただでさえ弱っている男はいつもの様に力で私を黙らせることが出来ず、躊躇いながらも『分かった、だから少し大人しくしろ…。』と眉を寄せ、ゆっくりと血の滴る私の手のひらに口をつけた。

冷たい男の舌が傷口に触れた瞬間、痛みで体が跳ねる。

『痛いか?』

「うん…。」

男はそう言いながらも私の手から口を離そうとはしない。

(……いや、これ結構痛いな。)

正直、「ペロペロうへへ…。」としている余裕など無い痛さだった。

手のひらの痛みに顔をしかめながら男の顔を見返すと、男の赤く光っていた瞳は落ち着きを取り戻し、いつもの澄んだアクアブルーへと戻っていく。

その様子を見て私は内心ホッと胸を撫でおろす。

(やっぱあってたんじゃ~ん。目が赤く光ってるときは大体めんどくさいからなぁ、この人。)

心の呟きに自分でうんうんと頷いていると、手のひらからパッと男の口が離れ、『まだ痛むか?』と美しい顔が心配そうにのぞき込んできた。

男に言われてハッとした私はそこで改めて自分の手を確認すると、血どころか傷口すら分からない程綺麗に治っていた。

「え、治ってる……。」

(でも手はちょっと湿ってる…ぐへへ…。)

『もう痛くはないか?』

繰り返し質問してくる男に私は「はい。」と平静を装う。

男は『そうか。』と短く呟き、微笑むと私をガバッと抱きかかえ、凍りついたソファーに寝転んだ。

「え、神様まさか…。」

『少し休む、回復の為だ。』

(あ、一応私の話は聞いてたんだ。)

「それは良いですけど、ここ寒いです。普通にベッドに行きましょうよ…。」

ガタガタと体を振るわす私を見て男は一瞬、瞬いた。

『寒い?お前が?』

「当たり前でしょう、なんですかその顔は。人の家氷漬けにしておいて…回復したらちゃんと元に戻してくださいよ?戻してくれないと私はどの道あなたから逃げますからね?」

『ああ…大丈夫だ…必ずもどす…安心、しろ…。』

男は次第にウトウトと月白色の長い睫毛を瞬かせ、その冷たい体で私を抱きしめるとあっという間にそのまま眠ってしまった。

(なんだこのパターン…デジャヴだぞ…。)

風呂の時といい、この男は眠る度に私を過酷な状況下に放置する傾向がある。

(だから嫌われるんだよ…。)

きっと前世の私もとんでもない迷惑を掛けられたに違いないと想像しながら私も冷たい男の腕の中で目を閉じた。
























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