189 醜聞
普段はリンゲンで政務を執っているので忘れがちだけど、わたしは王太子指名争いの中心人物として、諸侯の暗闘に巻き込まれている・・・らしい。
らしいというのは、幸いにも、リンゲンは王城から遠く、具体的に実感できるあれこれが無いからだ。
っていうか、わたしが悪役になるような話、信じたくないし。
いま、わたしたち西部と北部は第二王子派、東部と南部は第一王子派に分かれていて、王都周辺の中央の諸侯の支持がまだらになっている。だから少しでも多くの中央の諸侯の支持の取り付けがあれば、王太子指名に影響があるのかも知れないけれど、残念ながらわたしは中央の諸侯とのつながりがない。そういうわけで、そっち方面はオーギュ様に任せっきりだ。
だから、わたしの諸侯の情報というのはオーギュ様からの手紙でもたらされるものがほとんどで、とても限られたものだった。
しかも、わたしが諸侯との社交にあまり興味を示さないものだから、オーギュ様も諸侯の情報の割合を減らし、他の話題ーー精霊の権利強化活動などーーに筆を多く割くようになり、諸侯の動向の情報はさらに少なくなった。
だから、王太子指名まであとたった3つの季節を残すになったいま、貴族諸侯の暗闘が激しくなっていると言われてもピンと来なかったし、第一王子派が優勢だという話を聞いても、やっぱりこれもよくわからなかった。
けれど、新たな情報官、セシルを雇ってからというもの、他領の諸侯の情報が飛躍的に増えた。これまで、諸侯たちがどんなことを考えているのかーーということを、わたしは噂でしか知らなかったけれど、こちらから情報を集めてみて、改めてわかったことがたくさんある。
集めた情報のなかでショックだったのは、もし第一王子が王太子に指名された場合、第二王子派の諸侯が連帯して兵を挙げて、内戦になるのではないかと観測が、弱まるどころか強まってしまっていることだった。
とりわけ、その火付け役は、ここリンゲンになるのではないかーーと思っている諸侯が案外と多い。
第二王子派が軍事力に偏るのは、婚約者であるリンゲン一代公のーーつまりわたしのーー関与が大きいと言われている。
内戦だけは避けたいというわたしの意志とは、まったく反対だ。
わたしが疑われる理由は、リンゲンという新興領地に不釣り合いな兵力があること。それと急激なリンゲンの成長が継続していること。良いことしかしていないつもりだけど、外側からだとまた違った見方があって、わたしが野心的な存在に映るらしい。
さらに、ある都市が成長するということは、人口が動くということだから、その周辺の領地が衰退する現象が、どうしても起こる。
わたしとしては魔王やモンスターとの戦いで生活が立たなくなって故郷を離れざるを得なくなった人たちに生活の場を提供していただけなのだけれど、それを余計なことだと感じる領主は多いらしい。
強い野心を持つ一代公が領地を急成長させ、そして計算高く王子と結婚し地位を得る。さらにその先のことにも野望を抱いているのではないか・・・と。
憶測。しかも意地の悪い憶測が広がっている、困った状況なのだ。
噂は誰が言い出したものかもわからない不確かなものだ。
噂をわたしから訂正の意見表明をすれば、今度は逆に、噂が真実なのではないかと他の諸侯は思うだろう。
過剰戦力を疑われているからといって、必要な騎士団を解散したり数を減らしたりするのもまた本末転倒だ。
効果的な対応を協議したけれど思い浮かばない。いちおう、事実をきちんと伝えられるよう、政庁と騎士団には広報活動にもちからを入れるよう、指示を出すことにした。あまり効果は期待できない気はするけど。
噂というのは独り歩きするうえに、なかなか止めようのないものだと改めて認識した。
ーーこういう感じで、わたしにとっては他領の情報を確認し、対処するという仕事が増えた。
その情報というのは、新設された情報官という役職につくセシルが集めて取捨選択し、分析したものになる。そのなかから総責任者であるアセレアが選んだものが報告されてくる。
つまり二重のフィルターがかかっているのだけれど、いままで取り組んでなかった課題であるだけに、情報にはかなりの量がある。
重要そうな話、そうでない話、綺麗な話、汚い話、ちょっと真実だとは思えないような話・・・。まさに玉石混交で、すぐに問題が山積みになった。すべては対応することは早々に諦め、重要なものだけをさらに選びぬいて対応することになったのだけれど・・・。他の政務とは違い、やっても対策の効果がわからないし、成果が見えない結構憂鬱な仕事です。
そんなこんなで、他領の情報収集の運用が開始されて、しばらく経ったある日。
驚くべき情報が報告されてきた。
ーーわたしの婚約者で第二王子のオーギュ殿下が。
東部公爵の次女ポーリーヌ=ポタジュネット嬢を汚したーーつまり、凌辱したというしらせだ。
■□■
「この件。新規流入民に対しては、寄付金ではなく仕事を与えるよう差配してください。第八森林開拓で人手が足りないっていう話なので、そっちから仕事が斡旋できないか検討して」
「騎士団の広報活動は少しずつだけど、順調のようね。このまま続けてちょうだい。周辺警備でモンスターが強くなっているという報告が気になったから、重点的に気を配るようにしてちょうだい」
「精霊布の工法の改善提案・・・。すごく良いと思うからすぐ採用を。必要投資額は、担当部署で精査して承認してください。年度予算内であれば構いません。一方で、商品開発はまだ時間がかかりそうね」
窓の外は、強い日差しが濃い緑色の葉をくっきりと照らしている。
うだるような暑さだけれど、わたしは執務室でお仕事だ。館、部屋には人の背丈ほどもある氷柱を立て、冷却魔法を駆使しているので、案外に快適だ。
山ほどある報告書に目を通し、提案書に承認の署名を走らせながら、わたしは報告書を決済済みの箱に入れ、あるいは報告者に報告書を返す。
そして、次の報告書へと取り掛かる。
「あ、あのぅ・・・リュミフォンセ様・・・」
おずおずと・・・と言った調子で声をかけてきたのは、隣に立つチェセだった。彼女は報告書の束を手に抱えている。
「何かしら? チェセ」
「そのう・・・よろしいので? もうすぐ午後の2の鐘が鳴ってしまいますが」
「あら? 今日はその時間に面会の約束が入っていたかしら?」
「いえ・・・本日の午後は、ずっと執務の予定ですが・・・」
「じゃあ問題ないわ」言って、わたしは正面の奥、扉付近に控えていた政務官のレオンに声をかける。「レオン。では、リンゲン事業の定期報告をお願いします」
レオンは長衣の裾を引きずりながら、執務机に座るわたしのほうへと歩み出てくる。そして横を向いて一礼をしたあと、再びわたしに向き直って、聞いてきた。
「報告は承知致しましたが、よろしいのですか? お客人をお待たせしているようですが」
「むろんよろしいのよ。ご本人にもご了解いただいているのですから」
わたしは革張りの椅子に背を預けながら言う。ぎしぃと小さな音がなる。
「そうですわよね? ・・・オーギュ様」
わたしの正面、執務机の前に、金髪の第二王子が立っている。
彼がここへ押しかけて来たのは、たしか午後の1の鐘が鳴る前だっただろうか。
王都から早舟早便を仕立てて、わたしのリンゲンの館まで大特急で訪れてきたらしい。
「あ、ああ。執務が一段落するまで待つよ。突然押しかけてきたのはこちらだからね。リューー」
「そういうわけよ。では、早速に定期報告を」
隣に立つチェセはなお困った様子だったが、レオンは王子に向けて静かに一礼をしたあと、事業の定期報告を始めたのだった。
一通りレオンの定期報告が終わったのは、3の鐘が鳴ったあとだった。たとえそばに王子どころか神様が居ても、彼の態度はいつもと変わらない気がする。しかし報告だけでは終わらず、そのあと諸問題に対する対策を協議で決めて、すべてをやり終えたのちに、レオンは丁寧に各方面に礼をしたあと、退いていった。
「さて、チェセ・・・次は」
わたしが言いかけると、
「リュミフォンセ!」オーギュ様が話に割って入ってきた。「噂は聞いていると思うけれど・・・それは事実とは違うんだ。私の口から直接、説明させてほしい」
「はいはい。わかっておりますよ。お約束ですものね」わたしは言う。「ですが、わたしは他に優先すべき事柄があるというだけです。執務が一段落するまでお待ちいただけません? お待ちいただけると、約束いただいたはずですが?」
それとも貴方のお約束というものは、それほど軽いものですか?
ーーという言葉までは口に出さず、胸におさめておく。
くっ、とオーギュ様は表情を歪めたけれど、何も言わない。けれど、思わぬ助け舟が彼に差し伸べられた。
「リュミフォンセ様。本日の予定の執務は、さきほどの報告で以上にございます」
隣に立つチェセが、そう言ってわたしをじっと見る。彼女の後ろには、同じ部屋で執務を取る補佐の文官と侍女たちが机を並べていて、彼女たちもわたしを見ている。
そのなかに、侍女頭から家宰に昇進したチェセの代わりとして、新しく侍女頭に昇進したレーゼもいて、彼女はわたしに何か訴えかけるようにめくばせまでして来ている。
・・・なぁに? なんだかわたしが悪いことをしてるみたいじゃない。
まあ裏切った婚約者とは言え、弁解したいと言っている相手を、鐘2の時間、家臣たちの面前で立ちっぱなしで待たせたのは少しやりすぎたかしら・・・?
わたしは処理済みの報告書をぺらぺらと捲る。読んでもいないけれど、視線の置きどころが欲しかったのだ。
「・・・お話したいことというのは、ポーリーヌ様との件かしら?」
「そうだ。話が手ひどく曲げられて、それこそ非道な噂もある。・・・怒っているだろう?」
オーギュ様の問いかけに、わたしは机に頬杖とつきながら、にっこりとして答える。
「何をおっしゃっているのですか? わたしはまったく怒ってなどいませんよ?」
わたしはとてもにこやかに言ったのだけれど、部屋の空気はひどく悪くなったような気がする。
オーギュ様の回答もないので、これを機会にポーリーヌ=ポタジュネット嬢について思い出す。
彼女とは王城の夜会で初めて会って、それきりだった。東部公爵の次女で、姉は第一王子セブール殿下の妻のディアヌ様。つまり東部公爵は、王子ふたりどちらにも自分の娘を嫁がせようとしていたわけである。
ポーリーヌ嬢も当時オーギュ様の婚約者候補のひとりで、しかももっとも婚約者に近いと言われていた。家柄もそうだけれど、王立学院でオーギュ様とともに生徒会役員を務めるなど、親しいご学友の立ち位置にいたのである。
親しいご学友の彼女に会ったときは、いろいろと厭味を言われたように記憶している。でも何故かオーギュ様はわたしのことを気に入り、今に至るわけだけどーー。
「ポーリーヌ様とは2年前にお会いしたきりですが・・・。ずいぶんと可愛らしい方でしたね。たしか同じ生徒会の役員でいらっしゃいましたね。当時からご昵懇だったのでしょうか?」
「リュミフォンセ、それは誤解だ」オーギュ様が言う。
そこまで会話を運んで、わたしはふと気づく。さっきの言い方だと、わたしが嫉妬をしているようにも解釈できる。そう思われるのは業腹ね・・・。
「そうですか。けれど、一国の王子ともあろうお方が、このような醜聞にまみれるとは、随分と情けない話ですね」
「・・・。それについては、弁解のしようもない。けれど、私の口から直接、説明させてほしい。聞いてもらえれば、わかってもらえるはずだ」
「わかりました。では、どうぞお話くださいませ」
わたしがそう言って背もたれに背を預けると、きしり、と椅子が音を立てた。オーギュ様は眉根を寄せる。
「できれば、場所を移すか、それか、人払いをお願いできないか」
「なぜでしょう? 公明正大であるなら、この場でもお話できるのでは?」
「個人的な事柄にも関わることだ。だからあまり多くの人には聞かせたくないんだ」
確かにここには、チェセを始め、文官と侍女。わたしを除いても合わせて6名ほどが居る。
「・・・・・・。」わたしは頬に指を当て、考える振りをして少し間をあけてから言った。「チェセ。みなを連れて、別室へ退いてちょうだい」
「承知しました」
チェセが軽く頭を下げて、この場にいる皆がそれにならい、しずしずと執務室から出ていく。一番最後に退出するチェセに、わたしは声をかける。
「ああ、でも扉は開けておいてね。・・・なにをされるか、わからないから」
「リュミフォンセ、それは・・・、・・・、・・・。わかった。とりあえずは、君の好きなようにするといい。納得いくように」
いくぶんか迷ったようだけれど、チェセは扉をこぶし3つ分は開けて、執務室を出ていった。
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