180 ええ、思いっきりよ
「
「これは・・・辺境伯様」
背中からかけられた声に振り向き、わたしは恐縮したように礼をする。
宴の中心から少し離れた場で、オーギュ様とその御学友と会話していたところに、背後から声をかけられたのだ。
声の主は、ハインリッヒ=アブズブール辺境伯。ヴィクト様の父親で、いかついおじいちゃんだ。ロンファーレンス公爵であるお祖父様とは戦友の仲だが、年回りはひとつ下だと聞いている。北部を統べる辺境伯家の当主。
いわずと知れた重要人物で、あと、わたしのことをか弱いと言ってくれる良いひとでもある。
大物の登場を見て、オーギュ様のご友人、マイゼン氏とクジカ氏は、気を使って少し距離を置いてくれた。自然、わたしとオーギュ様と辺境伯、三者の会話になる。
「酔い覚ましに、少し風に当たっておりました。ここは、気持ちのよい風が吹きますね」
わたしが微笑みを向けると、辺境伯は機嫌良さそうに頷いた。
「宴は楽しまれてますかな? 今日はめでたい席だ、存分に楽しんでいかれるといい」
「もちろん、楽しませていただいております。北の酒は美味いですな。こう、喉が焼けて胃の奥から体が熱くなる気がします」
辺境伯の言葉に杯をかかげながら、そう答えたのはオーギュ様だ。
わたしは飲んでいないけれど、北の透明なお酒は相当に強いようで、つんとした独特のアルコールの匂いが杯から立ち上っている。そしてそれは、宴席全体から漂う香りと同じものだ。
宴席では顔を赤くした人が何人か、楽しそうに声を放って笑っているーーその一方で、連続して杯を一気にあおって、顔を青くして宴席から退く人も居る。ええ、完全に体育会系の飲み会になってます。
オーギュ様も、王子という立場上、酔っ払うわけにはいかないが、人とお酒を飲まないわけにもいかないのだろう。目がいつもよりとろんとしている。彼が少しふらついたところを、わたしが手を添えて支える。
すみません、と小さな声で呟くオーギュ様。いいえとわたしが答えたところで、何故か辺境伯が大きな声で笑った。
「第二王子と一代公は会う機会が少ないと聞いていたが、いやいや、なかなかどうして。こちらに伺ったのは、野暮でしたな」
「そのようなことは。辺境伯様とお話することも、とても楽しいですわ」
わたしがそう答えると、辺境伯様は手を振り。
「これから余興で『旗取り』が始まりますのでな。ぜひこれはお二人にご覧いただきたいと思いましてな。用件はそれだけなのですよ」
「『旗取り』・・・ですか?」
聞き慣れない単語が出てきたのでわたしが聞き返すと、辺境伯は嬉しそうに説明してくれる。
「北部の風習である、『花嫁攫い』はご存知ですかな? あれは村の若者総出でやるのですが、あれは花婿が花嫁を連れて逃げ切るか、他の求婚者を打ち倒すまで終わらぬので、暴力的すぎると最近は嫌うものもおりますのでな。そのかわりに、赤青両軍に分かれて、相手の旗を獲ったら勝ちーー、そういう余興をやります。まあ、ちょっとした遊びですな」
そう言って、ある方向を指をさす辺境伯様。
遠目見れば、わたしたちとは宴会場を挟んだ向こう側に、いかついムキムキした人たちが集まって来ている。そして、丸太が広く間隔を開けて、それぞれが差し向かう向かうようにして一本ずつ立てられた。その上に旗がそれぞれ翻っており、その色は、たしかに赤と青だ。
ただちょっと不穏に見えるのは、なんか、集まっているいかついムキムキの人たちが、武装しているように見えるんだけど・・・。鉄製の肩当て皮鎧や鋲のついた革帯、分厚い毛皮の外套、がっしりとした長靴、角のついた兜・・・。武器こそもたないものの、合戦の前みたいだ。
そう思っていると、ジャーンジャーンと金銅鑼の音が鳴り、ふぁぁぁぁんと角笛の音が鳴り響いた。
それが何かの合図なのだろう。いかつい人たちはそれぞれ赤と青に分かれていく。
お酒がまわって騒いでいた宴会の人たちも、大音量に驚いたように、成り行きを見守りだした。
宴席の各所で、式の運営担当者らしき人が、これからの催しについて説明をしている。皆、納得の顔をして、酒の入った杯を片手にご馳走をつまみながら、『旗取り』の準備を見物する気のようだ。ぽつぽつと場の
「アブズブール家が誇る氷壁戦士団がふた手に別れて争います。今回は、赤軍が嫁奪り方、青軍が花婿方を表しています。戦士たちは、どちらでも好きなほうにつきます。いまのところ数は同程度ですな」
辺境伯様は解説してくれる。わたしたちが観て面白いように、ということだろう。つまり、宴席に配された説明役のひとりの役を、辺境伯様自らが買って出てくれているのだ。
そして話から察するに、さすがに花婿花嫁本人たちは加わらず、戦士たちが代理で争うようだ。主賓席を見れば、花婿花嫁の周囲に動きはない。
「儀式は安全ですよ。武器なし素手のみ、相手を殺したら負け、目潰し金的のような急所への攻撃は禁止。どうです、安全な規則でしょう? おっ、筆頭戦士が赤軍に行っていますな。これは青軍がやや不利かも知れませんな・・・。どうです、青軍の援軍に出向かれては」
にこやかにオーギュ様とわたしに話しかける、辺境伯様。
はっ? 参列客にあの危険そうな余興に参加しろと?
耳を疑いつつも、わたしたちは、しかし表情は見事にとりつくろい、にっこりと微笑み返す。
冗談でしょ・・・。尚武の土地柄っていうけれど、怪我するのが前提じゃない。赤軍、青軍ともに戦士が100人規模でなぶつかり合う・・・。これが遊び? 安全の基準がおかしいわ。
そんな思いで無言と微笑みを続けていると、はっはっは、と辺境伯様が笑う。
「むろん冗談ですよ。ただーー、御本人方が参加されなくても、護衛の方は血のたぎる方がいらっしゃるのでは? 他の地の名だたる戦士との手合わせの機会は、なかなか無いですからな」
おお・・・いま言われたことがわたしたちに話しかけてきた目的かしら・・・。完全に
斬新な提案ではあるけれど、護衛に怪我をさせるのはね・・・。
そう思っていると、オーギュ様も同じ考えのようで、本来の護衛任務に差し支えが出ると困るからという旨で、やんわりと断った。
辺境伯ももともともダメ元の提案だったようで、特に食い下がるでもない。わたしも同じように断ろうと思った、そのとき。
遠く見える主賓席で、花嫁のサフィリアが立ち上がっていた。
しかし、隣に座る花婿のヴィクト様に腕をつかまれ、たしなめられるようにしている。そんな光景が目に入った。
そうか。サフィリアの性格を考えれば、ああいう『旗取り』のような催しには出たがるわよね。でもさすがにまずいのではないだろうか。
どうやら、ヴィクト様の説得は成功したらしく、不服そうな顔をしながらも、花嫁はその場に腰を下ろした。
宴席で起こった、遠景のひとつ。
「・・・・・・」
なんてことないものだし、花嫁が、旗取りに参加するのはまずかろう。
だからいま起こったことはすべて妥当だ。それはわかる。
でも、なんだか、サフィリアの気持ちを応援してあげたい気持ちが胸の奥から湧き起こって来てしまった。
自分の気持ちを持て余して辺境伯様への回答を保留していると、わたしの護衛がひとり、それとなくわたしたちに近づいて来ていた。声をかければ届く距離。かっちりと固めたよそ行き仕様の灰色の髪、緑色の瞳、霞姫騎士団の軍服。この場に似つかわしくない、背が低めの少女。シノンだ。
緑色の瞳が、何かを期待するようにわたしをじっと見ている。
彼女はリンゲンに来て、自警団として住民と交流し、さまざまな友人知人を持った。そのなかで、大切な友人も居て、サフィリアもそのうちのひとりだったはずだ。
きっと、シノンはわたしと同じ想いを持ったのだと、確信する。
「シノン!」
気づけば、わたしは声をあげていた。
はっ、と短く切れのある返事を寄越して、シノンはわたしに三歩ほどの距離まで近づいて片膝をついた。すこし距離が遠いところに控えるのは、一緒にいるオーギュ様と辺境伯様に遠慮してのことだ。
「『旗取り』に加わってもらえるかしら? 花嫁花婿の、これからの寿ぎのために」
勢いのまま、わたしはシノンに命ずる。
「承知致しました」
命じ終えると、シノンは不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、ちらりと視線を別の方向に走らせて、付け加えた。
「思いっきりでも、良いですか?」
わたしはシノンが視線を走らせた先を、やはり視線で追う。
その先には、こちらを見つめている壇上の花嫁。
少し距離があるので、花嫁のサフィリアには会話は聞こえないだろうけれど、かわされているやり取りは、ある程度想像できるに違いない。
期待に水色の目をまんまるくして、わたしたちを彼女は見つめている。
その期待に答えてあげたいと思ってしまうではないかーーいろいろとサフィリアと因縁のある、わたしとしては。
「ええ」わたしは言う。「思いっきりよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます