155 純粋すぎるから





そこは、紫色の下地に七色の絵の具を半端に混ぜて流し込んだかのような、不思議な空の場所。


雷雲が青白い光を放ち、世界が時折明滅する。


あたりには岩石を削り取ったような足場しかなく、その岩も不気味に空中を漂っている。


物理法則が異なる、普通の生き物が生きるのには少々不自由そうな世界だ。


その世界の岬のように切り立った岩石の先に、一人の女性が立っていた。


豪奢で艶のある黒髪に、華のごときかんばせ、舞踏会で着るような髪色と同じ黒い豪華な胸を開いたドレスをまとった女性。その世界にはどう見ても似つかわしくない彼女は、先程から紫色の虚空に向かって岬から手を差し伸べ、何かを祈るようにしている。


その彼女に向けて、若い男性がゆっくりと歩を進めている。白外套に、紺色の瞳。童顔な方であるのに、どこか老成した雰囲気があるのは、その経験の特殊さゆえか。


黒いドレスの女性の前で、魔法陣が回転し虚空が明滅した。しかし何も起こらない。魂力で描かれた魔法陣が虚空で再び組み合わされ、積み上げられる。


「こんなところにいたんだね」


ブーツで地面を擦りながら、白外套の男性が口を開いた。


「ええ。次元のはざま、『魂の寄る辺』・・・ここでしか、取れないものがあるものだから」


黒いドレスの女性が応じる。


「ここでしか取れないもの?」


魂礫こんれきと呼ばれるものでぇ・・・魂と、力に還元された存在である魂力との、中間にあたるものなの。ひらたく言うと、『魂の大きな欠片』」


虚空がまた明滅する。なにも起こらない。それでもまた、ドレスの女性は魔法陣を組み直していく。


「私たちの子供は、勇者と魔王の子。とても強い力を持って生まれてくるわ。おそらく、強すぎるほどの力。でも、その力に、まだ成熟していない魂は、きっと耐えられない。・・・だから、魂を補強するの」


「補強・・・その、魂の大きな欠片でかい?」


「そう。この世界の魂は、肉体から離れると、即座に、魂力に分解されてしまう。魂力では、人生の期間からすれば、ごく短い間しか、魂を補強できない。そして、魂を、欠片のまま使いたいなら、魂のことわりが違う異世界から、召喚するしかないの」


そして再び虚空が明滅したとき、そこにほのかに輝く半透明の虹色の珠が浮かんでいた。手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさ。


半透明の虹色の珠を、丁寧にいくつもの小さな魔法陣でくるみ。


黒いドレスの女は、それをとても大切そうな手付きで、自身の下腹部へと導いた。


ドレスをすり抜けて、女性の腹へと。半透明の虹色の珠は溶けるように吸い込まれた。


女性は体内に収まる異物感、嫌悪感に耐えるように、大きく息を吐いた。


その動作を繰り返したあとに、息は少しずつ平常に戻り。馴染んだみたい、と女性は言った。


「どうしてそこまでして・・・僕と?」


白外套の男性は、考えてもわからない、というように髪をかき回した。黒いドレスの女は、微苦笑する。


「それは、私にもよくわからないのよぉ。・・・でも、私は貴方勇者に出会うために、魔王になった」


そう言って、彼女は自分の膨らみ始めている腹を、愛おしげにゆっくりと撫でた。






■□■





わたしが目を覚ますと、心配そうに覗き込むサフィリアの綺麗な顔があった。


「あるじさま、大丈夫かや?」


「・・・なにか、変な夢を、見ていた気がするわ」


地面に仰向けに倒れていたわたしは、右手で自分の額を押さえた。


魂力エテルナを使い切って、体が鉛のように重く、だるい。頭の奥に鈍い疼痛があって、うまく思考がまとまらない。今見た記憶・・・記憶? いえ夢も、数秒ごとに薄れてしまって、もう思い出せない。 


サフィリアが癒やしの魔法をかけてくれる。疲労とエテルナ不足をやわらげてくれるものだ。


浄水が体の表面を薄く流れ、汚れを洗い落とし、疲労した体に染み渡っていく。そうしてなんとか体が起こせそうになったとき、このあたりに響く、地を揺るがすような声ーー混合発話。


『ガァアアアアぁぁあぁ! カミクイ! カミクイメ、オソレヲシレ、ホロビヨ!』


「それ、落ち着いて。さあ、これを飲むんだ」


見れば、ルーナリィが白目を剥いて痙攣するように暴れ、それをリシャルが片手で抱きかかえるようにして押さえている。さらにリシャルは、金色の飾り杯をルーナリィの口に向けて傾けていた。


杯の中からは、薄く虹色に輝く液体のようなものが、ゆっくりと注がれ、その液体はルーナリィの唇から体内に注がれ、こぼれたものは顎を伝って彼女の胸元へと落ちている。


あれは・・・? エテルナに近いものに感じられる。


『ガアァァァあああ・・・グアアァぁああ・・・カミクイ・・・ノロワレヨ・・・ァァあ』


「うまいぞ、そうだ。ゆっくりでいい・・・」


やがて、ルーナリィは口中に注がれる虹色の液体を、みずから嚥下するようになった。最後は金色の飾り杯にみずから手を伸ばし、赤子のように吸い付く。


その中身を飲み干したとき、ルーナリィの瞳は元に戻っていた。理性のある黒曜石の輝きだ。


「落ち着いたかい?」


優しげなリシャルの気遣う声に、彼の腕の中のルーナリィは素直に頷いた。


「・・・・・・。ごめんなさい。私、封印が解けかけるほどに、エテルナを、使っていたのね・・・」


「なに、気にしなくていい。対処のために準備はしていたから」


「どういうこと? わたしにも教えてください」


わたしはサフィリアの肩を借りて、自分の体を引きずるようにして、リシャルとルーナリィが居る場に近づいた。


「もちろん。リュミフォンセ、君とも話をしたいと思っていたんだ」


リシャルはルーナリィを地面に座らせるように体勢を入れ替えると、自身も地面に腰をおろした。


彼は屈託なく笑ってわたしをいざなってくれたけれど、ルーナリィとわたしは、しばしにらみ合う。


でも、お互いにもう魂力も体力を消費しきって、体を動かすのもおっくうな状態だ。ルーナリィは息を吐いて、その場に横座りで座り直す。


それを休戦の合図ととって、わたしもサフィリアとそしてバウを両脇に、地面に腰をおろした。


バウは脇息がわりにできるほどの大きさになってくれたので、まだ体が重いわたしは、遠慮なく黒狼の背中にもたれさせてもらうことにした。




そうして、わたしたちはいろいろな話をした。


まず、リシャルがわたしとルーナリィの戦いを、親子ゲンカと捉えていたことを聞かされた。わたしとしてはかなり本気の生きるか死ぬかの戦いだったのだけど、リシャルの鷹揚さに驚かされた。さすがに世界を救う仕事をしている人は器が大きいわ。


でも、考えなしに器が大きいというわけじゃなくて、魂力エテルナを吸収し集める魔道具である金の飾り杯を使って、戦いが過ぎないように見守っていたのだという。ルーナリィだけでなく、わたしの魂力も継続して吸われていたということだ。


戦いの最後、異常に急速にわたしの体中の魂力が減少しているように感じたけれど、外部から吸い取られていたわけだ。


そして驚いたことに、ルーナリィは、自身の体に、楽園の神の一柱を封じているのだそうだ。天つ神も、その封じた一柱を使役して倒したらしい。封印を継続するためには莫大なエテルナが必要で、本来は、ルーナリィはエテルナを使いすぎてはいけなかったらしい。


それが理由で、わたしとの戦いも、ルーナリィは本気が出せない状況だったんだって。わたしは思いっきり本気だったけどね。


さっき、ルーナリィが狂ったように混合発話で叫んでいたのは、封じている楽園の神び。魂力の使いすぎで封印が解けかけていた兆候だったのだ。そこへリシャルが吸収した魂力をルーナリィに戻して、ことなきを得たっていうんだけど・・・。なにそれすっごい危ないじゃない、と聞いて思った。


まさかあんな短時間で世界の危機と、世界を救うやり取りがされているとは思わなかった。いくら元勇者だといっても、ちょっとカジュアルに世界を救いすぎじゃない?


そして話は、わたしのことに移る。


ルーナリィの過激なもの言いを、リシャルが正しい解釈に直して伝えてくれる。わたしをお祖父様に預けっぱなしにしていた理由。異世界ーー前世日本からの魂を使って、わたしの魂が補強された事情。


ふたりの話を聞いて、当事者のわたしが納得できるかと言えば、必ずしもそうではなかったけれど、事情はわかった。


でも理由があったとしても、他人の記憶と魂をもてあそぶルーナリィを許してはおけないと思ったけれど、リシャルはこう説明した。


「彼女はね、いつも目的に向けてまっすぐなんだ。ただ、ほんのちょっとだけ力が強すぎて、それにほんのすこしから、他の人に迷惑をかけることもある。


それを許してくれとお願いするのも違うかも知れないけれど、悪気があるわけじゃないと知っていて欲しい。ただ君とは違う優先順位があるだけで、君のためを想っての行動なんだ」


わたしは、リシャルのーーお父様の解釈を聞いて、空を仰いだ。


振り返ってみれば、ルーナリィの目的は正しい。そして彼女は、たしかに目的を達成している。異世界の魂でわたしの魂を補強したことで、わたしは問題なくここに存在できているし、記憶の改変によって調律者の存在や黄昏の楽園の存在は世に知られず、結果として世の中は平穏を保っている。


なによりルーナリィのマッドサイエンティストぶりを、『純粋過ぎるだけ』だと受け入れている。


負けた。すごく負けた気がした。


わたしがルーナリィを受け入れるかどうかは別として、それを悠々と受け入れるお父様の器の大きさに負けた。


もうこれ以上、言い合いをするのが馬鹿らしくなってしまって。


あとは、お互いにこまごまとした近況を話し合った。


話は尽きないように思われたけれど、激しい連戦でエテルナを使い切ったわたしの疲労感は、サフィリアの癒やしだけで消えるものではなかった。


ルーナリィとリシャルに向けて、最後にひとつだけお願いをして。


わたしは、重い疲労感に、少しだけ目を閉じた。


その頃には、群青色の空は遠くに行きさり。


東の空が赤く染まり、朝日が紅い輝きを世界に投げかけていた。









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