148 好機①








「サフィリアには余裕がない。オレたちだけで相手するッス」


言うなり、勇者ルークが聖剣を居合のように抜き放ち。


切り裂かれた水の花弁の隙間から覗いた三ツ首の蟷螂に向けて、斬撃を浴びせかける。


その斬撃は、三ツ首蟷螂の鎌を2つ切り落としたがーーその切り落とした部分から、それぞれ2本の鎌が現れる。


もともとあった分、失った分、新たに生やした分を差し引きして、合計8本の鎌だ。


それだけでなく、三ツ首蟷螂は背中から蝶のような羽根を生やし、広げた。


水の華の中に落ちてきた、切り落とされた鎌の音ががらんと響く。


「こいつ、『同族食い』だ! 気をつけろ!」


勇者ルークは叫び、さらに連撃を加えた。しかし今度は三ツ首の蟷螂も油断なく8つの鎌をかまえ、勇者の斬撃を受け止める。


ぎぎんと甲高い音がなり、圧縮された力場が発生する。


「同族食い!?」


北方のアブズブール辺境伯領での魔王軍との戦いのなかで、ヴィクトも聞いたことがある。


簡単に言えば、仲間を喰って取り込んで強くなる種類のモンスターだ。放っておくとどんどん強くなり、取り込んだものによっては、強さの格が変わる可能性を秘める。見つけたら、戦わず逃げるのが原則の相手だ。


だがーーヴィクトは抜剣しながらあたりを見回す。


水の大精霊のサフィリアは、大仕掛けの魔法の準備のため、小さな泉の中央から動く気配はない。魔法を使って水を生成して、泉へーーつまり地下へと、大量の湧水を送り込み続けている。そしてその傍らにシノンが眠り横たわっている。


ひどく集中し、泉の乙女と化している銀髪の侍女姿の少女を見て、ヴィクトは思う。


ここで逃げるという選択肢はない。


ちから及ばずとも、全力を尽くすのみだ!


「カル! ミネバ! ーー足止めだ!」


水の華の外の箱庭の地形は、サフィリアの湧水で湿地帯のような地形になっている。狐姿の水精霊のカルが水を操り三ツ首の蟷螂の足にまとわりつかせ、梟姿の氷精霊のミネバが、その水を凍りつかせる。


動きを止められるのは一瞬ではあるが、勇者一行には充分な隙になる。


期待通りに隙を活かして勇者ルークが蟷螂の腹を切り裂き、戦闘侍女のメアリが投擲刀を雨霰のように複眼へと突き刺した。


氷の戒めはその次の瞬間には砕けていたが、さらにヴィクトが行動する時間があった。彼は端に寝かせていた狩人の娘ーーシノンを抱え、そして予め申し合わせていた保護手順の通り、その子を魔法の泡膜で包んで、サフィリアが立つ中央の泉に沈める。


ーーこれで、シノンはしばらく安全だ。


ヴィクトは自らの仕事が出来たことに安堵する。


外では、さらに破壊音が続き、勇者ルークとメアリが三ツ首を攻撃していることがわかる。ふたりの連携の会話から、攻撃するたびに三ツ首蟷螂の傷が癒え、癒えるたびに新しい手足や顔、羽根が生えることがわかる。どれだけの同胞をこの蟷螂は喰らったのか。


そしてヴィクトは、泉の中央に立ちエテルナによって青白く光るサフィリアを見た。すると燐光を宿す長い睫毛が薄くあがり、彼女と目が合った。ヴィクトは声をかける。


「ここは必ず守ります。サフィリア殿は、安心して魔法に集中してください。・・・本当は、私も手伝えればよかったのですが・・・」


「気遣いは無用よ。この一帯の土と土の隙間に大量の水を流し込むなど、わらわにしかできん難事じゃからの・・・。湧量もさることながら、水の流れに感覚を通して正しい方向に地面を掘り進んでいくのじゃぞ。なかなかに気を使うわ。まったく、あるじさまも、つくづく精霊使いの荒いお人じゃわ・・・」


愚痴を言いながら、泉の乙女は楽しそうに口角をつりあげる。その不敵な表情に、ヴィクトは立ち上がりながら微笑で応えたが、ふとそれに気づいた。


彼は懐から真っ白な手布を取り出すと、ざぶざぶと泉を渡り、サフィリアの顔に押し当てる。


押し当てた白い手布が、じんわりと赤く染まる。鼻血だ。


「・・・あまりご無理をなさらぬよう」


手布を添えながら、ヴィクトが言う。


サフィリアはその手布を受け取るわけでもなく、添えさせるままにして応える。


「人間は短命じゃからの。じゃがその短命の価値が自分ではわからんか。無理や無茶なぞ、してなんぼじゃ。平穏な生活はつまらんし、それでは命が輝かんからの」


限られているからこそ、輝くものじゃ。


犬歯を剥いて笑うサフィリアの表情は、美しいのに凄絶なものがあった。本来なら気圧されるところなのかも知れなかったが、ヴィクトはなんだかその態度が愛すべきものに思えて、小さく苦笑した。


「けれど、綺麗なお顔が台無しです」


「んあっ?」それはサフィリアには意外な答えだったようで、次の言葉まで少し間があった。「・・・烏滸おこを言うでないわ」


「ほんとうのことですよ」


ぐしぐしと拭いて手布を離すと、鼻血はもう止まっていた。


「それを渡すのじゃ。・・・洗って返す」


「要らぬ気遣いですよ。・・・!!! カル! ミネバ!」


ヴィクトが気づいたときには、サフィリアの後背、三ツ首の蟷螂から切り落とされて転がっていた鎌同士がぐじぐじとつながり、鎌を増やし、足を生やしているところだった。蟷螂の分裂体だ。


「ーー厄介な奴め!」


ヴィクトが叫ぶ。破れた水の華のなかに戻した、水の狐と氷の梟。その二匹から、無数の水弾と氷弾が同時に放たれる。頭すらない五つの鎌と足だけで構成された蟷螂の分裂体は、それでも自らを錐揉みするように回転させて、あたりに破壊の斬撃を放つ。


ヴィクトの攻撃は、蟷螂の分裂体を撃破し、放たれた鎌の飛ぶ斬撃のいくつかを叩き落としたがーー。


(分裂体のくせに威力が高すぎる! 間に合わん!)


ヴィクトは一足飛びにサフィリアの前に立ち、自身の背にかばう。


泉の縁につっこんだかかとが、水しぶきを立てる。


剣を振る間もない。


ただこの凶刃を後ろに通さぬよう、


魂力で全身を覆う。


ヴィクト!ーーと、水の大精霊が名を呼んでくれた気がした。


そういえば、この人に名を呼ばれるのははじめてではなかったか。


そんならちもないことを思い浮かべーー。


そして、次の瞬間、彼の胴体は、みっつに輪切りにされていた。






■□■






どん、ごぼりとまた水柱があがった。


それを横目に、わたしたちは天つ神の魔王と先代勇者リシャルの、異次元の強さの戦場へと少しづつ近づくことに成功している。


サフィリアの大仕掛けの準備も、順調に進んでいるようだ。もうしばらく待てば、その機会が訪れるのだろう。


「ここでしばらく留まってください。ここから先は、しばらく安全地帯がまったくありません」


わたしの後ろに座る、オーギュ様の未来視による言葉。


そう言われてしまえば仕方がない。黒狼のバウをこの空中で留める。わたしの父親だという先代勇者リシャルに念話を送り、わたしは遠く光る激しい戦いを見守る。念話の返事はなかったが、おそらくこれから起こることは伝わったのではないだろうか。


この位置でも、余波自体はこなくても戦いによって発生した熱で、ひどく熱風が吹き荒れているので、わたしは魔法の防護膜を張った。


「リュミフォンセ。作戦を立てているときにも聞きましたが、あの魔王の30歩ぐらいの距離に近づかないといけないのですか・・・?」


いまは・・・150から200歩くらいの距離にきただろうか。


「ええ。50歩ぐらいでもできるかも知れませんけれど、できるだけ確実にしたいですね。・・・あと、わたしの呼び方なんですが・・・呼び捨てなんですね」


オーギュ様が肩をすくめるのが、気配でわかった。


「学院では、親しくなるとそうですよ。もちろん場は弁えますがね。リュミフォンセ、貴女も私のことを呼び捨てで呼んでも構わないのですよ?」


えっ。敬称が復活するんじゃなくて、そう来たか・・・。


「ちょっと私のことを呼んでみてください。呼び捨てで」


「・・・・・・」


まあ、呼べと言われれば呼びますけれど。


「・・・・・・ぉっ・・・」


あれっ? ただ名前を呼ぶだけなのに、なんか恥ずかしいわ? なんで?


気づけば、背中のほうで、くっくっと笑っている気配がする。


わたしはむっとして、一瞬後ろを振り向いて、そして言えた。


「からかうのはやめてくださいませ。オーギュ」


そしてまた前方を見る。目を離すと危ないからだ。それ以上の意味はない。


「ええ、そのとおりですね。そう心配しなくても、人前ではちゃんと呼びますよ」


忍び笑いとともに、オーギュ。なにか腹立たしいわ。そして彼は話題を変える。


「それにしても、魔王には、まったくつけ入る隙が無い。リシャルに重い一撃を入れてもらったところでないと、近づけなさそうですね?」


「・・・・・・」


それができれば、こちらも苦労しない。リシャルが一撃を入れる前に、良いのを一撃入れられて、そのまま勝負が決まるということもあり得るのだ。ハイレベルの戦いは、一瞬のミスが命取りだということがよくわかる。


わたしは下の地面を見る。噴水のように勢いよく吹き出している水が、徐々にちからを弱め、ちょろちょろという勢いになっている。


天つ神を相手取った、激しい戦いは続いている。


けれど、なぜか、世界が静まり返りつつあるような気がした。


「バウ。さらに上空へ。ーーそろそろだわ」


わたしはバウに指示し、なんとなく自分の髪を手ぐしで撫で付けて直した。


バウはわずかに耳を動かし、そして上昇を始める。


「なにか見つけましたか? リュミフォンセ?」


オーギュ様が後ろからわたしに聞いてくる。


「いいえ、なにも。ただ、サフィリアの息遣いを感じただけです」


「息遣い・・・」


困惑するように言うオーギュ様に、わたしは補足してあげる。


「むろん比喩です」


「それは、なんとなくわかります」


「正確には言えません。呼吸のようなもの、としか」


オーギュ様は答えず、じっと下を見ることで答えとした。


わたしもここには居ない、遠く見える水の華にいるはずのサフィリアのエテルナの動きようを感じようと集中する。そうすると、音が急速に世界から遠ざかるような気がする。


感じられるのは、強い意志・・・と、怒り?


「・・・来ます!」


後ろに乗るオーギュ様の声に、わたしは身構える。未来視に見えたものがあるのだろう。


そして次の瞬間、吹き上がる大量の水とともに、箱庭一面の地面がめくれあがった!











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