113 王城夜会 中央の規則②







『あれは、中央の規則レーグルを知らぬ、蔑むべき田舎者』ーー王城の貴族の規則。


『たすけて』ーーシノンの望み。


『超然と振る舞え。正しきことを為せ』ーーお祖父様の言葉。





脳裏にいくつかの場面がまたたき、閃き、そして消えてわたしの意識だけが取り残される。


暗闇に浮かび上がるのは、わたしの影。それはわたしの意志。


・・・わたしは覚悟を決めた。


深く息を吸い込むと、わたしは足にまとわりつく深緑のドレスの裾を、力任せに引き裂く。


どこかから悲鳴が上がった気がしたが、これでいくらか動きやすくなった。そして、ふたりの王子が止める前に、わたしは壇上へと飛びあがった。


たぁん。わたしのヒールが壇を打つ音は、意外によく会場に響いた。


壇上の中年貴族の舌が止まり、会場が一気に静まる。


足元の自分の影を見ながら、壇上でゆっくりと背筋を伸ばすわたしに、視線が集まる。


拡声魔法で調子よく喋っていた、もじゃもじゃ顔の中年貴族は、目を丸くして固まっている。


その彼に、わたしは宣言する。


「貴族は民を護るべきもの。その義務を果たせない貴方に、貴族の価値はありません。よって、この子はわたしがもらい受けます」


もじゃもじゃ顔の中年貴族は、わたしの宣言に目を白黒させていたが、それでも気を取り直して反論する。


「この子供は私が正規の取引で購入した所有物です。それを奪う無法は、許されませんぞ」


「購入した奴隷でも、所有者による虐待は禁じられ、生存のために適切な処置を取ることが義務付けられているはずです」


これでもリンゲンの領主補佐代理だ。統治の時間を通して、法律は多少知っている。


「そのような法は、すでに死文化していますよ」


「西部では未だに有効です。死文化しているならば、有効化するのがあるべき姿ーー正義でしょう」


「王都では違う! 勝手な物言いはよしてもらおう!」


すっ、とわたしは中年貴族に向けて手を掲げ、相手を制止する。


「ーーええ。もう、これ以上、問答を続ける気はありません」


なぜなら、これ以上に時間を引き伸ばしていたら、シノンの命の灯火が尽きてしまう。


わたしは自分の足元から背中へ伸びる影に向けて、呼びかける。



「バウ。来て」


(ーー御意)



次の瞬間、会場のあちこちから悲鳴があがった。


なぜなら、わたしの影から突然抜け出てきたのは、大牛ヴァシほどの大きさもある、巨大な黒狼だったからだ。


バウのその姿を見て、一部の臆病な人は会場から逃げ出して行ってしまったくらいだ。その黒狼の威圧を受けて、壇上で魔法を使っていた長衣ローブの人たちはみな散り散りに逃げていった。壇上も中年貴族も、腰を抜かしたようで、ぺたんとその場に尻もちをついて、口もきけなくなってしまった。


バウはその巨体の前足を使って、『鳥籠』をへし曲げる。その過程で、鳥籠から火花があがった。どうやらあれも、何かの術式が刻まれた魔法具だったようだ。精霊を捕らえておくためのものだと考えれば、ただの鳥籠であると考えるほうが無理があるのだろう。


そのあたりはバウもわかっているのか、念入りに『鳥籠』の格子を破壊して、取り外し、ゆうゆうと入れる隙間を開けた。


そして倒れてほぼ意識のないシノンとお供の鷹を、甘噛みで咥えて鳥籠の外に出した。


わたしは、床に横たわる一人と一匹に駆け寄り、様子を伺う。きちんとした診察ができるわけではないが、弱々しいながらもシノンたちに息と脈があることにほっとする。


(完治するわけじゃないけれど、何もしないよりはいいはず・・・)


そう考えて、体力を戻すだけの治癒魔法をかける。サフィリアがこの場に居たら、もっと良い癒やしの処置ができたのだろうけれど、いまは居ないから仕方がない。けれどわたしの癒やしの魔法でも、呼吸は目に見えて落ち着いた。


けれど、どこかでこの子をきちんと休ませてやることが必要だろう。わたしは片膝をついた姿勢から立ち上がり、一方でバウがシノンとお供の鷹を自分の背中に器用に乗せた。


そしてわたしは、バウを引き連れて壇上から降りる。


夜会に客として招かれ、会場に集まる貴族の皆さんは、引きつるような反応を見せた。押し殺した悲鳴。


その反応を一言で言い表せば、恐怖。モンスターを目の前にした民間人と同じ反応だ。恐ろしいが、どうしていいかわからないというような・・・。


わたしは息を大きく吸い、宣言する。


「わたくしリュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲンは、ひどく衰弱しているため、この子を保護するものです。皆さんに危害を加えることはありません。ただわたしの通る道を開けてください」


「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」


会場の客の恐怖の感情は変わらなかったけれど、幾人かが黙って道をゆずるように体を退けてくれた。それにより、人垣の中央に通れる道ができる。


「・・・。感謝致します」


そう言って、人垣の間を抜ける道を通り抜けようと、歩き始めたときだった。


ぱんぱんぱん。


拍手の音がして、見ればセブール第一王子のそれだった。


「一代公。精霊憑きの子供に向ける、その優しい心ばえはとても美しい。称賛に値する。実際、私はとても感動した。

ーーけれど、いま一代公がやろうとしていることは、ガンナ子爵の私物を奪い取る行為だ。これは看過できない。悪いことは言わない。精霊憑きのその子供を、子爵に返すんだ」


あのもじゃもじゃ顔の中年貴族は、ガンナ子爵というらしい。けれど、それは聞けない相談だ。


「それはできません。この子は保護が必要な状況です」


「だが、一代公のなさっていることは、わかりやすくあえて下世話に言えば、『強盗』だーー。第一王子という立場がら、城の治安を乱す行為は、衆人の目がある白日の元では見過ごせなくてね」


「わたしの視点では、あくまでも保護の執行です。見解の相違ですね」


わたしがそう撥ね付けたとき、第二王子のオーギュ様が視界に入った。彼は第一王子セブール様の隣に立っていた。表情を見るに、この件では、オーギュ様もセブール様と同意見のようだ。そして、様子を伺うに、この場にいる貴族の多数は、セブール様の言葉に賛成のようだった。


というよりも、王族や中央貴族にとっては、セブール様の言うことが、あるべき言い分、規則に沿った内容なのだろう。


わたしはこの場での自分の異端さと不利を悟る。悟らざるを得ない。


セブール様は続けた。


「ここは王城だ。一代公があくまで我を通されるということであれば、こちらも相応の対応を取らなければならなくなるーーご理解のうえで?」


「・・・・・・」


第一王子と東部の貴族の護衛たちだろうかーーいかつい体格の男性、あるいは武装を持つ女性が、ばらばらと出てきて、いまできたばかりの、目の前の道を塞いだ。セブール様はぱっと自分の前髪を払う。


「未来の妻に、手荒なことはしたくない。聡明なリュミフォンセ様であれば、私の心情も慮っていただけるものと信じております」


わたしはぐっと唇を噛む。押し通ることは容易い。けれどそこまですると、問題がさらに大きくなり、別の問題に発展する。あくまでも精霊憑きの子供の保護という建前の範囲でなくてはいけない。


合わせて、ヒールの音を鳴らして、わたしの前に飛び込んできた赤は、アセレアだった。護衛の役割を果たしに来てくれたのだ。彼女はわたしを背にかばうようにして、腰の剣に手を添える。特殊能力の『鷹の千里眼』を既に起動させて臨戦体勢だ。


護衛同士がかち合うことで、空気が一触即発となる。


「諸兄よ! 一代公の黒狼こくろうは、グラン・ベラドンナをたやすく屠ることができるぞ! ここは無理をせず引くことだ!」


そこへ、男性の声がかかった。見れば、人垣の中に、辺境伯子のヴィクト様がいた。夜会ということで、今夜は軍服ではなく、黒色の正装に長身を包んでいる。


「グラン・ベラドンナを・・・」「先日の狩りでの件か」

「あの巨体で魔法も使うなら、とてもかなわんな」


立ちはだかる護衛達から、ぼそぼそとした声が囁かれる。グラン・ベラドンナ・・・わたしが大つぼみと名付けた、狩りの場に出たアレのことかしら。


「アブズブール辺境伯。北部も王都に歯向かう気かい?」


ヴィクト様に問いかけるセブール王子の声は、陽気だが、鋭い刃物を含んだ冷たさがある。


「私は辺境伯ですよ。それに、北部が歯向かう歯向かわないの問題ではないでしょう。現状について、事実と助言を述べたまでです・・・セブール王子殿下は、北部に何か含むところでもおありか?」


ヴィクト様の応答に、セブール様は小さく舌打ちし、言葉を飲み込んだ。


わたしは援護をしてくれたヴィクト様へ感謝の視線を送り、そしてアセレアに指示を出す。


「アセレア、下がりなさい。わたしはここを通り抜けるだけですから、護衛は必要ありません」


「リュミフォンセ様、しかし、最悪彼らは貴女を逮捕するつもりですよ、そんなことを許すわけには・・・」


「アセレア。三度は言いません。下がりなさい」


「・・・! ・・・。承知いたしました」


わたしがさらにお願いごとを彼女に向けて囁くと、アセレアは煩悶のあと、その場を離れていく。


そしてわたしは、会場の人垣の間を前に進む。そして一番先頭にいた、肩の筋肉が盛り上がってはちきれそうな正装をまとう偉丈夫に、まっすぐに目を見て話しかける。


「ここを通してくださいませ。わたしは、この子を休ませてあげたいだけなのです」


そして、相手の目をじっと見つめる。


威厳と気品を持って。志の高さが、相手の心に届くように。


先頭にいた護衛の人は、ちらりと後ろの大狼を見て。そして最初はわたしの視線を見返していたが、やがて苛ついたようにばりばりと後ろ頭をかいた。


そして彼はわたしに背を向け、そして道を譲ってくれた。


先頭の護衛にならうかのように、後ろにいた数人の護衛も同じようにする。背を向けるのは、見ていないうちに行けということなのか、それともわたしに対する敬意を示さないことで、仕える主人に義理立てしたのか。


いずれでもいい、彼らはわたしのために道を開けてくれたのだから。


「ありがとう存じます」


礼を言いながら、わたしは背を向ける護衛達のあいだに出来た道を歩く。そして、そのあとに精霊憑きの子供を背に乗せた黒狼の巨体が続く。


そうして、わたしは出入り口にある緞帳をくぐり、「黒と始原の間」を出ることができた。


だが、そこに待っていたのは、王城を護る衛兵たちだった。彼らは城門に続く廊下に、それぞれ槍を手にみっしりと陣取っていた。


「り・・・リンゲン一代公。こ、こちらは、役儀により、お通しできません・・・」


「・・・・・・」


衛兵たちはバウを見てすっかり怯えきっているけれど、人数がいる。彼らは「ここを通すな」という簡単な使命によって道を塞いでいるだけだろう。だとすれば、さきほどのように因果がわかっている護衛たちとは違い、説得することは難しい。


ならば、とわたしは身を翻した。


わたしはバウを連れて、衛兵たちが塞ぐのとは逆の方向へと、王城の廊下を進む。


階上へと続く廊下を。











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