第七章 13歳からの婚活

85 初夏、来訪





ぱん、ぱぱんと。よく晴れた初夏の空に、花火が薄い煙をあげる。


管楽器と打楽器がそれぞれの音を鳴らし、ささやかな音楽が川面を渡る。


そのなかを、細長い屋根付きの御座船が、ウドナの豊かな流れを滑り、そしてゆっくりと今年の冬に新設・拡大された桟橋に横づけた。


白い制服の船員が投げたもやい綱が、待機していた人数に手早く桟橋にくくりつけられ、御座船は桟橋にあたってごとんと音を立てる。


そして、御座船からいくつも影が出てくるーーそのなかに、わたしは、懐かしい影を見つけた。


わたしは、桟橋の岸側のデッキに並ぶ、出迎えの列から飛び出す。


靴裏で叩く桟橋が良く響く音を立てる。


桟橋に立つ、騎士たちの外套をするりと躱して駆け抜ける。


水の匂い。ウドナの流れは、初夏の光に輝いている。


目当ての人物は相変わらず大柄で、けれど長い戦いのせいか、顔が少し痩せていた。


けれどわたしは、かまわずにその人影に向かって飛び込んだ。


「お祖父様! お久しぶりです!」


「おお、リュミィか! すぐにわからなかったぞ! 大きくなったのう!」


抱きついたわたしを軽々と抱え、持ち上げてすらみせるお祖父様。さすがに騎士団長を務めるだけあり、まだまだ現役だ。その壮健な姿に、わたしは安堵と嬉しさを感じて頬が緩む。


「んんっ。おほん」


その後ろで女性の咳払い。臙脂色のシックなドレスに身を包んだ女性が、同じ御座船から下船していた。


「久しぶりね、リュミフォンセ。元気そうでなによりだわ」


「お久しぶりです。ラディアおばさま」


床に降ろされたわたしは、お祖父様と軽く目を合わせたあと、ドレスの端をつまんであげる淑女式の礼をする。



わたしがリンゲンに来て、2回目の初夏。


ロンファーレンス公爵であるお祖父様と、わたしの伯母であるラディアおばさまが、ついにリンゲンの街を訪れてくれたのだった。




■□■




「リンゲンは噂に違わぬにぎやかさじゃな。正直なところ、半信半疑ではあったが・・・。いやはや、儂が前に訪れたときとは比べ物にならぬ」


リンゲン市街の中央に位置する、わたしの私邸兼 執務館の会議室。


公爵たるお祖父様と、エルージア伯爵夫人たる伯母様を上座に、向かいの下座にわたしが座る。


お祖父様は地位にふさわしい仕立ての良い平服に大柄な体を包んでいる。髪と髭は白く、角ばった顔は日焼けして、深い皺には味がある。黙って座っているだけで威厳のある姿だ。


チェセの給仕で淹れられたお茶を前にして、わたしたちは面会をしていた。給仕を終えたチェセが、わたしの後ろに秘書官として控える。卓にはアセレア、レオン、サフィリア、そしてリンゲンの代官が並んでいる。



ーー去る冬に、勇者が『一ツ目竜の巣』を発見、討伐し、そこにいた一ツ目竜を一網打尽にすることに成功した。


一ツ目竜は魔王軍の野戦指揮官役をするモンスターで、魔王と意思疎通ができる情報拠点のアンテナのような役割を持つ、特殊なモンスター。その討伐はずっと優先順位が高かったのだが、巣がわからず、魔王軍にあっては護られるようにされていたので、なかなか大量に倒すことができていなかったのだ。


魔王の特殊な魔法によって生み出されていた『一ツ目竜の巣』は、強力な護衛竜によって護られていた。討伐に向かった勇者一党も半数が大怪我を負って、しばらく治療に専念しなければならないほどの被害を被ったのだった。


しかし各地で戦いを続けていた諸侯にとって、これは朗報だった。魔王軍の野戦指揮官役が居なくなるというのは大きな戦果なのだ。


予想されていたとおり、魔王軍は大きく弱体化した。襲撃も大幅に減り、諸侯は一息つけるようになった。その結果、諸侯は自分の領地の復興に手を付けることができるまで、余裕が出てきていると聞く。


そういう流れで、これまで魔王軍の相手とロンファの復興で手一杯だったお祖父様にも、余裕ができた。それでお祖父様と伯母様によるリンゲン訪問がようやく成立したのだった。


なお、「勇者一党の半数が重傷」の報があったときにメアリさんの身を案じたわたしが取り乱す一幕があったのだけれど・・・、これは別の話だ。けっきょく、重傷を負ったなかにメアリさんは入っていないことが調べてわかった。よかったぁと安堵するわたしであった。


「ーーこの2年で、リンゲンの人口は3倍以上、およそ1万を超す数になりました。さらに鉱山街アーゼルも人口は1千5百人を越します。各地における魔王軍との戦いで耕すべき畑や職を失った人たちが多いです。流入者の出身は、西部、王都のある中央、それから東部、南部の順になっています」


わたしはさっそく報告を始めた。


お祖父様と伯母様は、お茶に添えられた資料に目を落としている。親族同士の久闊きゅうかつじょす、というよりは、溜まっている報告を行うことを優先してある。


多忙なお祖父様と伯母様に合わせたつもりだけれど、実務を優先にするあたり、わたしもレオンに相当に毒されているのかも知れない。続けて資料を読み上げる。


「人口増加を可能にしたのが、リンゲンの殖産策です。ーー詳細はお手元の資料にあります通り、森の採取強化や、『常温畑』など食料の増産にも力を入れた結果です。増産できた食料は、畑が荒れて食料が不足した地域に送り込むことができました。


そして特筆していますのは、一昨年の魂結晶の鉱床の発見です。これはアーゼルの鉱山経営が軌道に乗り、今年非常に大きな利益を生むことになりました。王都では、アーゼルの良質な赤色魂結晶前提とした、新たな武器も開発されたと聞きます。埋蔵量も十分にあり、鉱山からの収益は今後も続くと見込んでいます」


わたしは背筋を伸ばして報告しながら、目の前のふたりの反応を見ている。今のところ、問題はなさそうだ。ちなみに、アーゼルはたった1年で村から鉱山街に格上げになっている。


「そうした背景があって、今年の税収となります。ロンファーレンス家に向けた春の税収報告書に記載させていただいた通りです。


人頭税は、新たにリンゲンにやってきた人々の生活を軌道に乗せることを優先して、一部免除や現物納付を認めております。そのため、徴収額が人口増に比べて少なめです。しかし、商人の売上から徴収する取引税と、ウドナ河上流域の河川通行料の収入で、減少分を充分補えていると判断いたしました。


・・・いかがお考えでしょうか? 公爵様」


わたしは概要報告の最後に、お祖父様に呼びかけた。この場は公の報告なので、公爵様と呼んだ。

「うむ・・・」お祖父様は少し遠い目をしたあと、わたしを見た。「これまでリンゲンは、取り立てて産業のない一地方でしかなかった。だから、手紙での報告どおりに人口と産業が増えているとはにわかに信じがたかったが・・・。


現地の殷賑いんしんぶりをこの目でみれば、納得せざるを得まいて。この館に来るまでぐるりと街を鱗馬車で回っただけでもわかる。人の数、にぎやかさが昔と全く異なる。なにより、この街の住民には、他の街では見られない笑顔がある。領地の繁華の元は民の活力じゃ。あの活気であれば、報告された数字に疑問はない」


やった! お祖父様のお墨付きがでたよ!


ーーとはいえ、細かなところでやはりいくつか質問が出た。


内容に応じてレオンやアセレアなどの、家臣ーーいまやその呼び方がいちばん正しそうだーーが背景情報を補足した。


「それでは、リンゲンの税収額の問題についての検討は、以上でよろしいしょうか?」


質問が途絶えたころ、わたしは聞いた。


「うむ・・・問題ないどころか、この増収は大手柄じゃぞ。リュミィ。この時節柄ならなおさらじゃ」


手元の資料をばさりと卓の上に置き、ご自分の白い頭を大きな手で撫でながら、お祖父様は言った。


「軍費も復興費も我が家の借財も、そなたのリンゲンの大増収のおかげで賄える目処がつきそうじゃわ。戦乱による流民団の発生を未然に防げたと儂は思うておるし、そなたをリンゲンに来させて思わぬ大利を得たわ。

のう、ラディア。そなたもそう思うじゃろう?」


臙脂色の帽子を脱いだラディアおばさまは、豊かなブルネットを頭頂でまとめている。そのよそ行きの髪がゆらりと揺れる。


「・・・公爵様の仰るとおりかと存じます。王国中が魔王軍の戦乱に包まれているなか、このリンゲンの明るさ、豊かさ・・・ここだけが異質です。まるでおとぎ話の桃源郷ティル・ナ・ノーグのようですわ。我々の治める領地と異なり、僻地であることが幸いしておりますね」


・・・リンゲンが田舎だから、成功したのはたまたまだって暗に言われてる?


少しムッとしたけれど、言葉の端にある小さな棘は、笑顔で飲み込んでおく。


実際のところ、鉱床の発見はただのラッキーなのは間違いないしね。







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