Toothbrush

ももくり

Toothbrush


 彼氏をつくろうと思ったのは、

 職場での人間関係に疲れてしまったせいだ。


 自分で言うのも何だが、順風満帆な人生だったと思う。地方都市で生まれ育った私は、小中高とほぼ同じ顔ぶれで進み、人間関係で悩んだことが無かった。何でも悩みを話せた親友。趣味嗜好は勿論、苦手な相手も同じだった仲間達。皆んなどんな時でも当然の様に味方をしてくれたし、慰めてもくれた。


 東京の大学に進んだのは、当時つき合っていた彼氏と離れたくなかったからで。同級生で優しかった彼とは、残念ながら向こうの心変わりで大学2年の夏に別れてしまったけれど。それも今では良き想い出と化している。勿論、大学でも友人関係には恵まれた。いつも一緒にいてくれたのは、私と同じく地方出身の内気な2人では有ったが、常に穏やかな時間が流れていたと思う。


 しかし、社会人になるとそうもいかない。


 よく考えてみれば、学生時代は傍にいる人間を自分が好ましいと思うかどうかで決められたし、もしトラブルが発生しても容易く離れられたのだ。それが会社という組織に組み込まれることで、大きく変わる。たぶん人事の方で敢えてバラバラのタイプを選び、バランス良く配置しているのだろう。協調性の有る人間ばかりでは逆に物事は進まず、かと言って自己主張の激しい人間ばかりでも停滞してしまう。その辺りの組み合わせが非常に難しいことは私にも分かる。


 だが、我が営業第一課に於いては失敗だ。

 心から、そう思う。


御園生みそのおちゃん、今晩はイタリアンでいい?」

「えっ?あー、はい」


 助けてくれ、いや、助けてください。


 わざわざ言い直したのは、もしかして謙虚な態度を取っていれば神様も願いを叶えてくださるのではないかと思ったからで。いや、ほんともう限界なんですけど。営業第一課…略してエイイチの女性社員は6人おり、全員アシスタント業務を担う。日中、男性社員は外回りに出ているから、この6人だけで過ごすことになる。


 ちなみに男性社員は23人いて、これがまた驚くほど美形揃いだ。会社としては商品が売れないと困るので、とにかく見た目の良い人間に売らせておこうと考えたのか、それとも彼等自身が多くの人と接していくうちに洗練されていったのか。どちらにせよ、キラキラしい職場であることに違いない。


 美形の男達に囲まれた、6人の女。


 うち2人は既婚者なので、残り4人がどうなったか?──その答えは、歪んだ特権意識を抱き、化粧ゴテゴテ、髪モリモリ、声キャピキャピ…気分は乙女ゲームのヒロイン状態だ。4人の中でリーダー格的存在の奥村さんがそんな感じなので、その後輩である山本さんと清水さんもそれに倣い、どんどん派手になってしまったらしい。


 私こと御園生紗那みそのお さなも、そんな彼女達の仲間だと周囲は認識しているのだろうが、本音を言えば辛いのだ。流行りのファッションなんてどうでもいいと思っているのに、それを身に纏わないと親の仇みたく責められ。昼休憩では人気店の行列に並ぶせいで、いつも時間に余裕が無い。終業後に女子会と称して食事や飲みに行くのは勿論、最近では休日にまで招集が掛かる始末。


 しかも会話内容の殆どがゴシップと自慢話というのが、かなりキツイ。私以外の3人には素敵な彼氏がいらっしゃるので、定期的に不参加となるが、残念ながらそうでは無い私は皆勤賞だ。だからより一層、ストレスが溜まってしまうのかもしれない。加えて言うと、お金も無い。季節ごとに買い替える流行ファッションと連日の外食のせいで、貯金はスッカラカンだ。


 子供の頃から大切にしてきた、

 お年玉貯金にまで手を付けちゃったからね! 

 

 もう限界、もう無理。


 そこで私は考えた。そっかあ!彼氏さえいれば誘いを断ることが出来るかも…と。『ごめんね、今日は彼氏と約束してるから』『あ、その日は彼とデートなんです』。そう言うだけで誰も不快にならず、逆に謝られてしまう魅惑のパワーワード。是非、手に入れたい、いや、手に入れます!


 そんなワケで、秘密裡に動き出した私は悩んだ挙句にマッチングアプリなどを使用し、良さげな男性と会ってみたのだが結果は惨敗。ねえ、あの画像の男性にはどこへ行けば会えますか?!っていうか、絶対に修正しただろ?!しかもなんだソレ?!眉毛、剃り過ぎ!眉尻が青くなってるし!なんかもう眉にしか目がいかないんですけど。いっそのこと、油性ペンで描いたろか?


 もおっ、本当に怒るよ!!







「へええ、そりゃあ大変だったね」

「うん、とっても大変だったの」


 なんだか、妙に和む。


「マッチングアプリ利用するとか、勇気あるね~」

「だって有料だったし、信頼出来るかなって」


「でも、結局は騙された感じだったんだろ」

「そ、そうだけど。でも、大丈夫!」


 あはは。早々に解散しようとして、ホテルに連れ込まれそうになった挙句、たまたま通り掛かった友井くんに助けて貰った時点で全然大丈夫じゃないよね。うん、それは分かってるんだ。


 エイイチで一番地味な男と言えば、

 目の前にいる友井裕貴ともい ゆうきだろう。


 どちらかと言えば色白で、不細工では無いがイケメンでも無い。ごく普通なクセに、何故か売上は常にトップ3に入っている不思議な男。入社4年目の同期としては誇らしい気もするが、仕事面では接点が無いのであまり話したことが無かった。


 そう、今までは。


 だが、眉毛ソリオ(※マッチングアプリで出会った相手)に襲われかけた恐怖のせいか、深夜のバーガーショップでコーヒーなんぞ飲みながら、興奮気味に語ってしまったのだ。それこそ、何もかも。職場での人間関係や、経済的に困窮していること、彼氏がいれば万事解決するという希望的観測も包み隠さずツラツラと。

 

 およそ3時間に渡るロング・ストーリィーを友井は『ウンウン』と頷きながら聞いてくれた。そりゃもう、お母さんの様に優しく微笑みながら。さすが敏腕営業マン!これがアンタの戦術なんだね!と心の中で叫ぶ私に、彼はゆっくりとこう言ったのだ。


「俺、彼氏になってあげてもいいよ。あ、もちろんフリだけどね。本物が現れたら身を引くからさ」

「んまあ!」


 素敵。眉毛ソリオなんかよりもずっといいわ!しかも、どう見ても人畜無害!アナタ様ならばきっと、どこに出しても恥ずかしくない彼氏になってくださることでしょう。


「…えと、イヤ?俺なんかじゃ御園生さんと釣り合わないか…な?」

「合う、すごく合う」


「じゃあ早速、明日からその設定で行こうね」

「オーケー、サンキュウ、アイラビュー」


「えっと、どうしてカタコトの英語?」

「日本語を喋りつかれた」


「ああ…そう。じゃあ仕方ないね」

「友井くんって、優しさのアリ地獄だね」


「褒め言葉として受け取っておくよ、有難う」

「どういたしまして」


 こんな感じで成り立った我らの関係は、

 なんとビックリ1年も続いたりするのだ。







「お疲れ~、トモトモ」

「そっちこそ、今日は忙しかっただろ」


 下戸の私はウーロン茶、トモトモ(もちろん友井のことね!)はビールをゴクゴク飲んで、プハァの声と共に頭を小さく揺らす。営業は給料が歩合制なので、金持ちなこの男は断っても断っても奢ってくださる。たまに奢らせてくれることも有るのだが、物凄く安い居酒屋とかコーヒー1杯だけとかで、いつまで経っても恩は返せそうにない。


 はあああ、今日もトモトモが尊い。


 ちょいと奥さん、ここにいるこの男なんですけどね、ほんと中身がイケメンなんですよ。仕事に対する考え方とか、何事に対しても前向きな姿勢とか。いやあ、私も昔はメンクイでした。でもね、外見はそうでもないけど、内面から滲み出てくる男前っぷりに何かこう、ヤラれちゃったワケなんですわ。


「あ、そう言えばとうとうMK商事さんに契約して貰えたんだ。ずっと苦戦してたからさ、真っ先に紗那に報告しなきゃと思って」

「おめでとう!通い詰めた甲斐が有ったね」


 ほんとにこのコは頑張り屋さんだわ。


「紗那のお陰だよ」

「私なんて何もして無いってば」


「いや、いつもこうやって喜んでくれるから。その笑顔が見たくてまた頑張ろうって思うんだよ」

「…へ、へええ」


 ふあああっ、私を殺す気か。 

 おいこら、その薄い唇にキスするぞ!

 そんで本物の彼氏にしちまうからな!


 …なんて、現実には無理だろうけど。だって1年もこうして会っているのに、全然オンナとして意識してくれないんだもん。しかも最近、トモトモったら人気者だからさ。


 顔が良くてちょっとだけ性格もいい男性社員が立て続けに結婚してしまったせいで、顔が良くて性格の悪い男性社員にスポットが当てられたんだけど、やっぱり奴らは傲慢だったり浮気性だったりで付き合うには適していないと判断されて。最終的に顔が普通で性格が最高にいいトモトモが注目されてしまったんだな。


 一応、私って彼女がいるという設定にしてあるのに、他部署ではイマイチ浸透していないらしく。だけど本物の彼女じゃないから、トモトモの将来を考えると恋愛の芽を摘んでしまう様で何も出来ないと言うか。ああ、ウダウダしてしまう自分が哀しい。なんだよこのオニオンスライス!切って鰹節かけただけなのにメチャクチャ美味しいじゃないかッ。


「沙耶が食べるとなんでも美味しそうに見える」

「だって本当に美味しいもん」


 きゅう。

 笑うトモトモの目尻の皺に埋もれたい。


「ちょっとだけソレちょうだい」

「うん。鰹節のところ、たくさん食べていいよ」


 鰹節が精一杯の愛情アピールとか。

 ふうう、切ない。


 玉ネギが辛かったのか、鼻を抑えるトモトモに向かって好みの女性のタイプを訊いてみる。なんとなく2人きりの時は恋愛に繋がる話題を避けていたのに、今日は少しだけ勇気を出してみたのだ。


「えっ…そうだなあ、紗那みたいな子がいいかな」

「私?!」

 

「うん。紗那、可愛いし」

「かっ、かかか可愛い?私が?いや、可愛いってのは山本さんみたいなコのことを言うんだよ!オメメぱっちりでスタイルもいい、ああいうコが皆んな好きでしょ!」


 落ち着け、私。そんなにコンプレックスを全開にしては、気を遣わせてしまうではないか。


「紗那はすごく可愛いよ」

「そ、そんなこと無い!」


 ぎゅううっとテーブル上で手を握り、トモトモは笑みを浮かべながら続ける。


「あのさ、俺、思うんだ。女性って花みたいなもので、花には色々な種類が有るだろう?例えば紗那がスミレだとして山本さんが薔薇だとしよう。それぞれの美しさが有るのに、どうしてスミレは薔薇を羨むのかな?スミレは薔薇になれないし、薔薇だってスミレにはなれない。他の誰かと比べるなんて時間の無駄だよ。そんな暇が有れば、もっと自分自身を見つめた方がいいと思う」

「自分自身を?」


 他の人が言うとクサイのだろうが、何故かトモトモが言うと胸に染みるのだ。


「そうだよ。紗那は世界中の男に好かれたいワケ?そんなの無理だろうし、そもそも結婚なんて1人の相手としか出来ないんだ。だったら、自分を好きになってくれるたった1人の男の心を掴むだけでいいじゃないか。そんなの楽勝だと思うけど」

「いやいや、楽勝って、それが意外と難し…」

 

 ジイイイッ。

 トモトモの目から何やら熱いビームが出てきた。


「俺は、スミレが大好きなんだけどな」

「スミレが、大好き」


 それはすなわち、私のことが大好きだと

 そう言っているのかトモトモよ!


「俺、実は願掛けしてて。売上1位になったら胸を張って交際を申し込もうと」

「じゃあMK商事さんの契約でとうとう1位に?」


 むいいいん、と胸を張ってトモトモは満面の笑みで答える。


「うん!だから、御園生紗那さん、俺と付き合ってください」

「はい、喜んでッ」


 ひゃっほう!どこぞの居酒屋の店員みたいな返事になったけど、後悔はしていない。とにかく意思が伝われば良いのだから。


「1年、長かった…」

「あはは、お疲れ様」


「ところでいま歯ブラシ持ってる?」

「うん、いつも持ち歩いてるけど…何で?」


「タオルは貸せるし、下着とかも洗濯乾燥機で朝までになんとかなるけど歯ブラシは貸せないから。来客用のを、この前バカ兄貴が泊まりに来て使っちゃって。残念なことにコンビニとか近所に無いから」

「…言ってる意味が分からないんだけど」


「俺のマンション、ここから凄く近いんだ」

「あ、ああっ、泊ってけってこと?!」


 トモトモは握っていた手を一旦外し、改めて指を1本ずつ絡めながら続ける。


「でも、あ、化粧水とかいるのかな?女性はそういうの必要だよね」

「大丈夫、イザという時の為に試供品をポーチに入れてるから」


 ぐい、と私が指に力を込めるとトモトモも『分かったよ』と言わんばかりに握り返してくれる。


「突然で悪いね。でも、もうこれ以上待てなくて」

「いいのよ、どうせ明日は休みだし」


 思いっきりイチャイチャしちゃうぞ!


 手を繋いだまま店を出て。その手をブンブン振りながら歩いていると、いつの間にかゴールに到着だ。普通のトモトモに相応しく、一般的なマンションの5階角部屋。ふむふむ、どうやら女の影は見えないな。そりゃそうか、だってこの人、ずっと私のことが好きだったんだから。


 って、私もだけどね!


 なんだよもっと早く告白してくれれば、アレコレ悩まずに済んだのに。でもまあ、願掛けとやらのお陰で売上もグングン伸びたワケだし、私の為に頑張ったのかと思うと感無量だわ。…って、何だ?!気分が高揚してきたせいか、脳内で謎の掛け声が響き始めたぞっ。


 わっしょいわっしょい

 わっしょいわっしょい


 はああっ、永久脱毛しておいて良かった。下着も、最近は気を抜かずに常に一張羅でスタンバイしておいたからね!備えあれば憂いナシ!自分の女子力を褒めてあげたいよ!


 わっしょいわっしょい

 わっしょいわっしょい


 順番にシャワーして、さあ、いつでもかかって来い!とばかりにベッドで横たわるとトモトモが髪をそりゃもうセクシーにかき上げた。うっ、全裸で腰にだけタオル巻くとか可愛すぎるぞ。お前、修学旅行で友達と初めてお風呂に入る男子中学生かっ?!


 わっしょいわっしょい

 わっしょいわっしょい


 ああ、脳内の掛け声が煩い!もうコレ無視しよう。とにかく集中するぞ。って、トモトモったらブラ外すの上手ゥ!思わずパチパチと拍手をしたら、一瞬だけ目を細めてそのままキスされた。


「そういうとこも、全部カワイイ。紗那、俺を選んでくれて有難う」

「くそう、甘い言葉バトルなら負けないぞ!トモトモがカッコ良すぎて死ねる」


「俺がカッコイイ?そんなワケないよ。あのさ自分では気付いてないんだろうけど、紗那のことは皆んな狙ってるからな!とっても可愛くて、仕事も一生懸命で、性格も最高にいい!こんな素敵な紗那を、独り占めに出来るなんて、俺、死んでもいいよ!」

「ちょっ、こっちが1しか言っていないのに10で返すなんて卑怯!トモトモも自分では気付いてなかっただろうけどモテモテだしっ。経理の長谷さんとか、受付の左衛門さんとか…って、よく考えたらサエモンって名前スゴクない?あんなに綺麗なのに名前がサエモンって。でもまあ外国人にサイモンとかいるもんね。あ、でもサイモンって男名か…って、あら、話が逸れちゃったわね」


 一旦、頷いたクセに激しく頭を横に振り直してトモトモは言う。


「大丈夫、そんな紗那も可愛いから。ちなみにオッパイも可愛い。なんだよこのピンク色の乳首!桜貝なのか?!はああ、肌だって透き通るようにスベスベだ。まさかこんなに柔らかいとは思ってもみなかったよ。しかも凄くイイ匂いがする」

「甘い言葉バトル復活ね!トモトモの乳首だってなかなかのモンよ!私好みの色合いだわ!おほほっ、ほおれ、ほおれ、弄るとピンと勃ってくる。って…あん、ダメ、そんなとこ触っちゃズルイわ、んッ、やだ、もしかしてテクニシャンなの?!」


 何やってんだか。


 ああ、そうさ。

 正直に言おう、照れ隠しだ。


 1年もの間ずっと友人関係のままで過ごしてきた我らが、今更こんなアッハンウッフンな状況になるのは勢いとほんの少しのスパイスが必要なのだ。営業職を生業としているトモトモが、商売道具の『話術』をそのスパイスにすることに決めたのならば、それに合わせるのはパートナーとして当然のことではあるまいか。


「紗那、もう普通にいこうか…」

「…うん、その方がいいかもね」


 一気にトーンダウンしてしまう我ら。

 でも、大丈夫!魔法の言葉を使うから!

 

「好きだよ、紗那」

「私もトモト…裕貴が好きっ」


「紗那…」

「裕貴…」


 ブレイクして、またヒートアップして。


 彼氏が出来たことで、これまで抱えていた悩みは一気に解決したけれど…別の悩みがまた次々と湧いてくるのだろう。でもまあ、なんとなくだけど幸せ過ぎてもダメな気がするから、多少の困難は受けて立とうじゃないか…ってことで。


「なんか無敵な感じなんだよなあ」

「私も~」


 人生はバランスが大事。苦労するのは万人に与えられた試練だろうし、それを帳消しにするほどのご褒美を貰っておけば頑張れる気がするんだな。さあ、そのご褒美を今からたっぷり味わっておきましょうか。


 アナタと2人で。





 ──END──

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Toothbrush ももくり @momokuri11

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