第76話 理想郷
日本の落ちていく様子を、私は海を越えて日本と敵対する国にいて眺めていた。
日本の政府の愚かさ、そこで住む人々の生活を思えば、辛く胸がしめつけられる思いがする。
しかしこの体制の変化はもう変えようがない。日本にも、米国でさえも。
世界のシステムはこの規律に支配された共産主義国家の手に落ちたのだ。
コチラで暮らしてみればそれはイヤでも感じざるを得ない。
街中にはいたるところに監視カメラがあり、人々は個人用デバイスまで喜んで身に着けるようになっている。そうしなければ買い物も、移動も、飲み食いまで生活全てが立ち行かなくなるからだ。
外国人の私にも当然それは支給されている。もし許可なく外そうものならすぐさま当局の人間が押し寄せてきて、しかるべき施設に送られ厳しく尋問を受けるに違いない。
だが私はそんな恐怖におびえることはもうない。
無ければ生きていけないものを、身に着けることを人はすぐに意識しなくなる。
メガネやイヤホン、スマホなど。マスクですらそうだったように。
私の小説『境界~ボーダー~』は、コチラの共産主義圏でも売り出され好評を得ていた。
当然だろう。
元々は彼らの意思に従い、その工作能力によって広められたも同然なのだ。生みの親の元へ里帰りしたようなものだ。
まず最初に私の小説が海外で売り出されたのは、この国と同じ文化圏にある南の島国だった。いや正確には地域といった方が正しいか。
なにしろコチラと同じ民族、文化圏の島で今やもう一つの国となっているのだから。
そこで売り出されたものがまずは好評を受けた。
その島国は元は日本の一番の友好国だったが、本の販売と好評な売れ行きからしばらくすると、自由と統制でせめぎ合う住民たちの間で争いが激化し、それは内戦にまで広がっていった。
すぐさまコチラの大国は人民解放軍を送り込み内乱を鎮圧してみせる。
そして島と大陸の間の海峡でにらみを利かせていた米軍の空母へ向けて、ミサイルを数発発射して威嚇した。
一歩も引く姿勢を見せていなかった米軍もミサイルを発射して応戦し、全面対決姿勢でにらみ合うことになった。
だがしょせんは焼け石に水。
高度にシステム化された武装と、一般兵力の数でも圧倒している赤の大国の軍事力は圧倒的であり、米軍の軍艦、駆逐艦が数隻沈められるとまもなく、すぐに米国はその島を諦め、グアム基地へと引き上げていった。
そして絶対的圧力を前に、民主的な制度を求めていた民衆はあっけなく鎮圧されてしまう。
1年もすると人々の生活は安定軌道を取り戻し、経済も以前にもまして繁栄し、やがて島に住む人民の心はよろこんで規律の元へ下っていく。
南洋の島国は自らの決断で自由主義の元を離れ、共産主義大国の規律の元へ下り、自然なかたちで元通りひとつの姿を取り戻すことになったわけだ。
私が今いるこのホンコンシティも、似たような経路をたどって今に至っている。
もとは統制された全体主義に吸収されるのを嫌い、自由主義の誇りを持った一大金融都市であった。
その流れで、10年ほど前から厳しい規律を嫌ったリベラルな若者らによる大規模な暴動が繰り広げられる、異様な光景が世界中に伝わっていた、はずだった。
だがそれさえもはや過去の話。
それらデモ活動が新たな法制により厳しく取り締まられるようになると、すぐに反対する人の声はしぼみ、消え去っていく。
それでも反発を止めない一部の暴徒に対し、大国は容赦なく軍を投入した。
それが全ての終わり、そして新たな始まりの合図となって、人々にシステムが変わったことを知らしめるのだ。
恐怖から始まる統治体制は、緩やかに安定軌道に入る。穏やかで規律正しく生活が送れるようになると、人はその暮らしの快適さを喜び、嫌でも順応していくようになる。
動物園のゾウやキリン、サルと同じだ。
快適さに慣れてしまえば自然での姿など忘れてしまう。そしてもはや失いたくなくなる。安定して穏やかな暮らしを、満ち足りた生活を。
人々は反発した過去も忘れて、規律の元で疑いも抱かず、生活に順応するようになるのだ。
全ては過去の遺物。
自由の名の元の民主的な制度などしょせん過ちに過ぎなかったのだと、私はすでにコチラで先行して二作目の小説を出版し、そこで自由主義の元で生きる人の愚かさを、ふんだんに盛り込む物語に仕上げてみせた。
第二作目の長編小説
『転生世界』
“自由の国”と呼ばれ栄華を誇った都市を追い求めて旅をする青年男女は、やがてそのユートピアを発見するが、そこで見たのは自由とは名ばかりで、人々を争いに駆り立て互いに憎しみあう、分断したおぞましい国の姿だった。
安西さんから何度となく教わった知識、
自由主義経済の弊害、安易な理想論、人種差別、格差による対立、労働者への搾取。不合理な競争至上主義、ネットリテラシー。不都合な真実への黙殺。
それらを今の日本や、かつての大国の姿をイメージしながら作品へと落とし込んでいった。
≪主人公の青年は、慎ましい暮らしをする故郷の村を離れ、冒険の果てに探し求めた自由の国へたどりつき、そこでの人々の豪勢な生活に一度は理想を夢見る。
頑張れば報われると、良い暮らしをする特権階級の姿を見ては日々労働に励むが、やがてそれらが見せかけだけの搾取だったことに気付く。
そこで青年は意志ある者たちを集めて共同体を築き、欺瞞の王国へと反逆を開始する。
その過程では信頼していた恋人の裏切りや、二転三転する政治劇や戦闘シーンなども盛り込み、エンタメ作品としても成立させた。
主人公はついに欺瞞の王国を討ち果たし、縛り付けられていた人民たちを解放する。
新たに創り上げた人民主導の共和国は、皆がルールや規律を守り、正しい生き方をそれぞれが模範として示すことで、皆が労働に励むようになり、高度な技術を一般的に広く共有して生産力もあがり、等しく富を分かち合う理想的な国家が建設されていったという。
ラストとしては前にもまして、理想を大きく掲げただけの安易な終わり方にはなってしまったとは思う。
だがこちらの大陸の読者には概ね好評を受けた。
この作品の根っこにある思想的な部分が、この共産主義国の自分たちの暮らしと重なり、あるべき自分たちの理想像を描いていることが共感されているのだろう。
日本で一時期、転生ものライトノベルや、タイムリープものアニメが流行った構図とある意味よく似ている。
日本の人は現実の立ち行かなさに嘆き、自分たちの将来にビジョンが描けないと悟ると、別世界に移住した主人公や、やり直しの人生に共感するようになった。
しかし社会とは何の接点もない異世界で、しかも死んだ主人公が転生した先での理想の暮らしを描くなど、もはや緩やかな死を多くの人が望んでいるようなものではないか?
それに比べればまだ、私の作品がコチラの体制で受け入れられた構図の方がよほど健全だと思える。
なにしろ私の小説は人々の求める希望の社会像、理想的な生き方を描写し、それに多くの人々が共感しているのだから。
こちらの共産主義国の人は自分たちの未来により良い生き方を感じ取っているということだ。
死んだ末の異世界や、やり直しの人生にしか希望を見いだせない日本のなんと哀れなことか。
私はうぬぼれからそう分析し、優越感を感じていた。なにしろもうコチラで売れるかどうか工作が必要とも思えなかったからだ。
こちらで好評の結果を受け、今度は逆輸入の形で日本でも出版されると、
(日本でのタイトルは『転生の大地』という。)
これがまたも西日本を中心にベストセラーになった。
それらの地域は徐々に赤色に染まってきていると感じていた。
私はもはやコチラの体制下ではゆるぎなき権威を持った、新進の小説家となったわけだ。
二作目をかき上げる過程、そして今やもう安西さんはそばにはいなかった。
私自ら率先して規律を求める小説を構想して描きあげ、それは新たにマネージャーについてくれた才女“チェン・リンカ“女史に、まず始めに見せることになる。
彼女が小説や身の回りのあらゆるサポートのために新たにあてがわれた女性で、代わりに相談する相手となっていたからだ。
彼女から小説への賛辞が述べられると、私は気分を良くしてさらに規律を求める物語を描き進めていった。
本が仕上がっていく過程では、チェンさんからはご褒美とばかりに何度もベッドでみだらな行いを受けた。
ホンコンの夜景を眺めながら、毎晩強い酒をあおる。
今日は少し緊張が高まっていたので、それを誤魔化す意味もあった。
トントン。
ドアがノックされる音がして、私は身だしなみを整え出迎える。
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