第49話 崩落の地へ

 九州から四国、関西から中部地方までの太平洋側に位置する都市や街なみは、大地震と直後に発生した大津波に襲われ軒並み壊滅状態にあり、人々は一時的な逃げ場所や救援を求め彷徨っているという。


 その影響は内陸の大都市にまで及び、西日本最大の都市、大阪の街は津波によって浸水し地下街は水没。都市機能は完全にマヒしていた。

産業構造の変化により、ようやく浮上の兆しを見せ始めていた日本の経済にもふたたび停滞ムードをもたらす。


 この年に開かれる予定だった万博は、また別の理由から中止になっていたが、そこで使用されるはずだった予定の人工島の各施設、アミューズメントパークまでが、

完全に海の下の藻屑と消え去った。

それはまるで、全ての負の遺産を清算するかのようであった。


 どこか遠くの海で戦っているという自衛隊改め“国家防衛隊”は、この国難とも呼べる非常時にも帰ってこず、代わりに我々C3隊員が災害救難活動のため、被災地に派遣されることになった。


 

 まず都市部の復旧を急ぐため、我々は大阪の街へと向かうことになり、地下から水が引いたタイミングで大阪の中心部、梅田の街へと除染・消毒作業のため入っていく。


 マスクと防護服をつけているが、地下街へもぐった途端、汚物や排水、海水の匂いが入り混じったとてつもない臭気に襲われる。


 そこで我々は、まずは高圧洗浄機で床やカベの汚れを飛ばし、そこを各々の隊員が背負った消毒剤を散布しながら地下街を練り歩いた。

防護服の熱気と耐え難い腐臭から、時折ふらつき倒れる者や、そこらで嘔吐をまき散らす隊員もいて、そのたびに洗浄から消毒の作業が繰り返される。


 目に見えないウイルスやばい菌が飛び交い、感染症のリスクがある環境下での作業は、大阪の街や地下街の広さを考えると、心身を擦り減らす終わりの見えない作業にも思えたが、2日目の作業途中から、別働の隊員が姿を見せ始めたことで流れが変わる。


 彼らは洗浄作業用ロボットを引き連れており、それらのオペレートをしている特殊隊員とのことだった。

『後は任せろ、お掃除隊員たちよ!』

威勢よく言われて、私たち隊員の作業の手が止まる。


 2人組の特殊隊員と、その周りを縦横無尽に動き回る円柱型のロボットたち。

私たちはその手際のいい動きに呆然と見とれてしまう。

その脇を効率よく動くロボットたちがあっという間に洗浄を済ませていった。


 鼻歌交じりでデバイスを操作して歩く特殊隊員。

私たち清掃作業の隊員数人は完全にやる気を失い、その後ろでつばを吐きかけている者もいた。自分は歩いているだけのくせして、やけに自信たっぷりに任務をこなしているのが無性に腹が立つのだろう。


 また翌日には追加で洗浄・大型消毒作業用ロボットが随時投入されていき、

次第に我らC3部隊の作業員はロボットの邪魔をするだけの存在ということが分かり、

1週間程度で異臭漂う都市圏での任務を離れることになった。



 だが実際に大きな被害に苦しんでいる地域は主に太平洋側の、海外線に隣接した半島地域などに数多くとり残されていた。


 そこで都市部での任務から戻ってすぐに、私たちC3の一般隊員たちは、半島地域を1か月以上にわたって移動しながらの災害復旧活動にあたるということで、

通称、“被災地復旧支援ツアー”に派遣されることとなる。 


 私を含め多くの隊員たちへ招集がかけられ、

準備が整った者たちから順に、大型バス数台に分けられ積み込まれていく。


 その移動のバスで意外な出会いがもたらされる。

「あっあれ何してんの!?えっ仁村くん。今そういう任務やってんの?」

私が被災地行きのバスに乗り込むと、なんとその運転席には仁村くんが座っていた。


「あっ!どうもお久しぶりです五島さん。こんな形ですけど、また一緒の場所で仕事できるなんて、すごくうれしいです」


 聞くところによると、仁村くんは多種にわたる操縦や運転免許を所有しているとのことで、私たちのB班が解体されてからは、もっぱらそういった機械操作やドライバーとしての役割を与えられているらしかった。


 さらにもう一人、こちらは日頃慣れ親しんでいるがやはり興奮の出会いがもたらされた。


 座席に着いてしばらく待っていると、移動のバスにゾロゾロと女性隊員が乗ってきていっせいにざわつきだすバス車内。

その中の一人に見知った顔を見つけた私は、また驚きの声を上げた。


「やっ、やあっす。まさか五島さんも一緒だったとは、めちゃうれしいっすね」

「ええっ?安西さんまで!どうしたの、君も同じところ?」


 被災地のがれき撤去などで人出がたくさんいること。

そして避難所でのお年寄り住民への介助任務があるということで、

この度の災害復旧任務には、女性隊員も大勢派遣されることになったらしい。


 ただ男女が同じバスで移動だとは思っていなくて、男性隊員は任務も忘れて皆どこか色めき立っていた。


「あっとじゃあ、隣いいっすか五島さん?」

「うんもちろん。座ってよ安西さん」


 私も同様で、安西さんと二人で話しながらの被災地への移動は、二人でお菓子やお弁当をつまみながら、道中をリラックスして会話を楽しむことができ、不謹慎ながらバス旅行を思わせるものとなった。



 死傷者1400名。行方不明者3000名。

災害発生から2週間の時点では、そのような情報が流れていた。


 今後その数字はいっそう膨らむことは間違いないが、その被害、失われた命を数字だけで判断するのはそぐわない。実際に失われたのは一人ひとりの人生、そして積み上げてきた営みすべてだ。


 自然の驚異に見舞われた人の弱さ、愚かさ。

そして非常時を利用せんとする人の残酷さを、私はC3の隊員活動の中で身をもって体感することになる。

 


 被災地の漁港街に着くと一転、その惨状に誰もが声を失った。

都市部での被害も大きかったがそれはほとんどが水害、浸水によるものだけだった。だがここは漁を行うための船、装備一式、日ごろの生活をしている一般の住宅、

そのほぼすべてが壊滅状態にあった。


 辺り一帯はがれきに覆われ、その撤去の目途もつかない。

年寄りが多い住民構成もあって、この先の展望ももはや描くことはないのだろう。

避難所にいる人たちは、みんな生気を失ったように沈み切っていた。

バス旅に多少浮かれ気分だった隊員たちも、誰もがとたんに表情を失い、被災者にかける言葉も見つからない。


「さっさあっやることはたくさんあるっすよ!五島さんたちはガレキ撤去っすよね。私たちは避難所のお手伝いしてくるから。また時間が合えば、夜にホテルで会いましょう」

 だが率先して任務に取り組もうとする安西さんに突き動かされて、私も任務に前向きに取り組むことにする。

その内心、心の支えとなっていたのは、夜に安西さんとホテルで会えるというセリフだったのだが。


 この時点ではもう、彼女のことを女性として意識していなかったと言えばウソになるが、特別、愛情や肉体関係を深めようと考えていたわけではない。


 二人の間柄は同じ夢や目標を追う同志のように感じていて、悲惨な状況下でも小説の執筆を進めたい私にとって、彼女がそばにいて支えてもらえることで気持ちを奮い立たせることができる、そんな存在だった。


 いやそれ以上に、一人の関係性を超えた友人として彼女と会えること自体が喜びだった。


 それは今でも変わらないと・・・・・、思っている。



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