第11話 ただ生きるだけの権利
年が明けてから心機一転、私は再び外へ働きに出るようになっていた。
それはウイルスによる感染者数が落ち着きを見せ始めていたということもあるし、身内に発生したショックな出来事による経済的な事情もある。
そして何よりも、世間の空気感を敏感に感じ取り、忖度したというのが一番大きな理由なのかもしれないが。
かねてから政権がやりたがっていた憲法改正。
緊急事態法との兼ね合いから矛盾が生じ、必要性が迫られているという理由からここにきて急速に現実味を帯び始めていた。
噂として聞こえてくるのは、今ある憲法の
“人は個人として尊重される”の条項がなくなり、かわりに“人は皆、属する国家のために役に立たねばならない”という条項が加わるとさかんにメディアなどで騒がれていた。
人はただ生きているだけで尊いんだ!と
人権を擁護する団体、どこぞの大学生らによるこれに反発するデモが国会周辺ではおこなわれているらしいが、すでに中年に差し掛かり仕事も子供も生産性が全くなかった私は、それよりも自分が今この国のために役立っているのかということに無性に焦りを感じ始めていた。
誰かの心にお届けしたいと念を込めて毎日小説を書いてはいるが、まだ誰の心どころか目にも触れてはいない。
とにかくこの純文学風の作品を仕上げて出版社に送り、しかるべく賞をもらわないことには何も始まらず、このままでは私は憲法違反の国賊扱いにされかねない。
狙う賞の締め切りにはまだ2か月ほどがあり、その間に小説のブラッシュアップを進めながらとりあえず手近な職を求めて、誰かしらの役に立つ社会貢献をしなければ。
そう考えて私は、パートタイムではあるが人でにぎわうショッピングモールの主にスーパーでの商品補充をおこなう仕事を得て、汗を流しているフリだけはしているのだ。
緊急事態宣言も新年もめでたく明けたばかりということもあり、人は皆以前とは違って落ち着いて買い物をしている。
買いだめなども特に見られずに、皆マスクをしっかりし、もはや床にマークで示さずとも整然とスペースを空けて並ぶ習慣がついていた。
おかげで商品を並べるためにお客様の間を縫って作業しなければならない私にとっても、非常にやりやすく落ち着いた環境で仕事が出来ている。
「あの店員さん、お味噌はどこにあるのかしら?私目が悪いから全然分からなくて」
「はい。お味噌はその裏の棚にあると思います」
「あらっありがとうね。あと向こうにいる男性、マスクもつけてないし手の消毒もしていないらしいわね。その上咳エチケットを守らずにゴホンゴホンなんて咳してたわ、なんとかしてくださる?」
ご婦人のお客様から商品の場所を聞かれるついでに不審者の報告がもたらされる。
商品よりも不審人物のアラを探して通告することの方が本題だろう。
1か月程度でも店員をやっていればいつものことなので察しはつく。
私はゴム手袋を両手にはめ、その不審者と思しき男性へと近づく。
「あのお客様。すいませんが店内ではマスク着用をしていただけますか?あと咳はなるべく外の人がいない場所でしてもらいたいのですが」
「あん?何だお前!俺は客だぞ!ゴホッゴホッ!おっオイコラァ店長出せ!俺はもうこの店ではぜったい何も買わないからなあ!覚悟しとけよーこらあ!」
これもここで働き始めてから既に何度も経験したことなので、私は速やかにマニュアル通りの対処をする。
「ハイ分かりました。ではこちらへどうぞ、店長のいるところまで案内します」
「おっ待て、おっおれはそんなとこへはいかんぞ!店長の方をここへ呼べってんだコラァ!おいっやめろお前!?やめっ・・・・」
促すようにそっと背中に手を当てて、男性を店の奥にあるバックヤードの方まで誘導する、
店と従業員用控室とを隔てるゲートをくぐり、他のお客様から見えなくなる場所まで案内すると、そこからは半ば強引に引きずって。
「あのっ、お客様は治安をみだりに乱した法令違反の疑いがありますので!既に警備の方には連絡は済ましてあります。なのでここからは公権力の方に対して説明をおこなっていただけますか」
奥の暗がりに姿を現した、白のポロシャツ姿の警備員二人へとその老人を引き渡す。
「警察です。店の方から通報を受けてやってまいりました。署の方でお話聞かせてもらえますか?」
「くそがっ誰が行くか!俺は何もしてない、ちょっと咳しただけだろ!感染者も死者も近頃はほとんど出てないじゃないか!?おいっ誰だお前ら!やっやめろって触るなって言ってんだろう!」
初老の男性が引きずられていった。警察だと名乗る男二人組に。
私自身彼らが警察などと全く信じてはいないが、警察から業務を委託されて治安活動を遂行する者たちというのはこのスーパーの店長や同僚たちからはなんとなく聞いていた。
最近店に常駐するようになったのだと。
みな気味悪がって、それ以上誰も突っ込む気はないようだが。
私もそうだ。業務として私のやるべきことを淡々とおこない、お金をもらって物を書いて暮らせればそれでとりあえずは良かったから。
あえて分からない領域に脚を踏み込むなんて野暮なことはよしておこう。
ただでさえ、何が正しいかなんて時と場合によって変わる、よく分からない世界に生きているのだから。
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