4月11日(木):掃除とゴミ出し
【京一】
放課後。
授業が終わった後、さて帰ろうかと教室を出るとき、山本に話しかけられた。
山本耕太郎。
昼休みに話題に出た、僕と晃が共によくつるんでいるクラスメイトである。ひょろひょろと細長い体で、いかにもひ弱そうな外見をしている。
「わりい京一。ちょっと頼みがあるんだけど、今からヒマ?」
山本の頼みというのは、担任の真田先生から頼まれた生物準備室の掃除を代わってほしいというものだった。
山本は僕らのクラスの副委員長であり、掃除の仕事を頼まれたのだが、今からどうしても外せない用事があるとのことで僕に代役を頼みに来たのだ。
「用事ってなんだよ。彼女とデートか?」
「違う違う。新聞部の取材でさ」
「やっぱりデートじゃないか」
山本の交際相手は同じ新聞部員だ。取材であれ、彼女と行動を共にするのは事実。それはもうデートに差異ない。
掃除なんて面倒だし、何よりそんな都合で掃除を押し付けられるというのは解せないが、とはいえこれからヒマなのは事実なので仕方なく引き受けることにした。
生物準備室に到着した。
引き手に指をかけ、戸を横にスライドさせる。
そこには先客がいた。入室してきた僕のことをじっと見る女生徒――凛。
「…………、山本君が来ると思ってたんだけど。なんであんたがここに?」
「いや、山本の代役で……」
「ふうん」
素っ気ない返事だけして、それ以上は何も言わなかった。
凛の方こそなぜここにいるのかと聞こうと思ったが、よくよく考えればわかることだった。そもそも掃除の仕事は委員長と副委員長に頼まれたものだったのだ。副委員長は山本、委員長は凛である。
準備室の割には広い部屋である。
部屋の中心に大きなスチール机が置かれており、その上には書籍やプリントが積まれている。机を挟んで両壁に二つずつ棚が並んでいて、そちらも少々乱雑と書籍が詰め込まれていた。ただ、棚の一つは大きな布がかぶせられており、中が見えないようになっている。
「その棚には触らないでって、真田先生が」
僕がそこに注目すると、すかさず凛が言ってきた。
察するに、生物準備室らしくホルマリン漬けの生物標本などが置かれているのだろう。
凛の忠告以降、特に二人の間に言葉はなく、ただ淡々と掃除を進めていく。
生物準備室なのだから本来ならば生物部の部員などがやるべきであろうが、残念ながらうちの学校には生物部どころか理科系の部活が一つも存在しないのだ。生物担当の真田先生にとって、自分のクラスの学級委員しか頼む相手がいなかったのだろう。
僕と凛、しばらく無言のまま二人で掃除を進めていると、コンコン、と丁寧なノックの音が聞こえ、女生徒が一人入室してきた。
「ごめんね、遅くなっちゃったけど。手伝いに来たよ」
――天使。
否、宮本有紗がそこにいた。
宮本は、学級委員の二人が生物準備室の掃除を任せられたと聞いて、二人では大変だろうと思い手伝いに来たのだという。さすが宮本。心遣いが素晴らしい。
ただし、副委員長である山本ではなく僕がいるのを見て意外そうにしていた。
/
三人がかりとなり、生物準備室の清掃はすぐに終わった。
乱雑に置かれていたプリント類を整理し、日付がとうに過ぎたものは廃棄し、床の塵や埃を払い、机を拭き磨いた結果、室内は見違えるほどきれいになった。
「ふう。こんなもんだね」
腕で額をぬぐいながら、宮本が言う。
「私、カギ返してくるから」
そう言って、凛は職員室のほうへ廊下を歩いて行った。
残された僕と宮本は二人でゴミ出しに向かう。掃除によって生じたゴミ袋は二つ。僕一人で良いと言ったが、そこはやはり優しい宮本、「一緒に行くよ」と。
僕は宮本と並んでゴミ集積所まで向かって歩く。
さきほどまでは凛がいたのであまり意識しなかったが、二人きりになると途端に緊張しだしてしまう。
……先日、図書委員で二人きりになるのは経験しているが、一朝一夕で慣れるものではない。なにせ、彼女はクラスで一番人気の女子。
そして先日図書室のカウンター内でいた時点では明確にそうではなかったが、今は彼女を自らの想い人であると自覚している。緊張せずにはいられない。
それなりに重量のあるゴミ袋を運んでいるため、彼女は時たまふらつき、並び歩く僕にその細い肩を触れさせてきたりなんかする。
「あっ、ごめん」
「い、いや……」
途端、心臓が大きく脈動し、肋骨の保護を破らんとする。
宮本に悟られぬよう、僕は密かに息を落ち着ける。過剰に緊張しているのが悟られれば、もしかすればその奥にある淡い恋心まで見通されてしまうのではないか、そう思えてしまう。
「耕太郎くんの代わりに掃除を手伝いに来てくれるなんて、小智くんは優しいね」
気を落ち着けるのに必死な僕とは対照的に、実に落ち着いた様子で、宮本はそう言う。
「手伝いに来たっていうか、僕は山本に代役を頼まれただけだよ」
冷静な声になるよう努めて、僕は言葉を返した。上ずったりしなかったのは幸いだ。
「それを言うなら自主的に手伝いに来た宮本の方が優しいよ」
「ふふ、そう言ってくれるとうれしいな」
柔らかく微笑む宮本。
間近で見ると、改めて思う。
宮本はかわいい。
それはもう、底知れぬ奥深さを感じるほど。――活発さと穏やかさ、強かさと弱々しさ、天使か小悪魔か。いずれもいずれかを判じ難いような、そんな不思議な魅力がある。それらを包括する目映い笑みなど向けられては、……正直、ときめかずにはいられない。
「小智くん」
宮本に名を呼ばれ、僕はハッと我に返る。
「いきなりなんだけど、ちょっと聞きたいことがあって」
歩みは止めぬまま、急に改まるようにして言う宮本。
「な、なに?」
「――凛ちゃんのこと、どう思ってる?」
「……へ?」
まさかの質問に思わず変な声が出た。
「あ、別に、深い意味はないんだけどっ。なんかちょっと、気になったっていうか。……ほら、小智くんと凛ちゃんって家が隣同士なんでしょ? どんな感じなのかな、ってさ」
宮本は慌てて取り繕う。
深い意味はない、と言うが、そもそもこの場合での深い意味の取り方は何なのだろう。
「……どう思ってる、て言われても……」
何と答えればよいのか。少し、言葉に詰まる。
他のクラスメイトにも、僕と凛が幼馴染と知るや否や、そういった質問をしてきたやつはいた。
男女の幼馴染ということで、なにか漫画的なおもしろい話をよく期待されるのだ。
しかし宮本の口ぶりは彼らのような茶化す言い方ではなく、なにか迫真的な言い方のようにも聞こえた。
「いやまあ、ただの幼馴染だよ。別に特別なもんじゃないと思うけど」
僕は今までそうしてきたように、面白みのない言い回しで答える。
「あ、そうなんだ……」
宮本は、何とも言えない表情。
何だろうこの空気。どう答えるのが正しかったのか。
それから取り立てて会話が盛り上がるということはなく、僕と宮本は集積所までゴミを運んだ。
彼女がなぜそんな質問をしたのか気になったが、ついにその疑問を切り出せず、結局もやもやとした気持ちのままゴミ出しを終えた。
学校を出ると、宮本とはそこで別れ、帰路が同じ凛と二人で帰ることになる。
校門を抜けて別れるときの宮本は、ゴミ出しのときの微妙な表情とは打って変わって、やけに晴れやかな笑みであった。「じゃあねー」と僕らに挨拶をし、軽快な足取りで歩いて行く。
僕は凛と共に駅へと向かうのだ。
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