4月11日(木):戸惑いの朝

【京一】


 目の前の光景に、僕は言葉も出せずただ呆然としていた。



 凛が魔法少女となって、巨大なタコの怪物と戦った……。『マジカル☆リンちゃん』、古典的というか、どこか懐かしいような響き。


 あまりにも非現実的な一連の展開に僕は戸惑った。夢だから何でも起こり得る、と納得できる範疇を優に超えている。



 殲滅せんめつされたタコを前に子供たちは歓喜にあふれていた。飛び去った、マジカルリンちゃん、とやらを賛美している。


 先生が手を叩き、興奮してやまない子供たちに着席を促す。

 騒然としながら席に戻る子供たち。――その騒がしさの中に紛れて、こっそりと教室内に入ってくる一人の少女が見えた。


 他の子供たちには気付かれていない様子だ。彼女は目立たないように息をひそめて僕の隣の席に座る。



「あ、きょーいち。こわかったねえ。だ、大丈夫だった?」


 急いで来たのか少し息を切らしながら、いかにも平然を装う様子で凛が僕に言った。



 その手のアニメでありがちな場面、さも自分が先ほどの魔法少女とは無関係であると言わんばかりのくさい芝居だ。定石に乗っかって僕も気付かない振りをした方が良いのだろうか。



 日常の姿に戻った魔法少女へどのような言葉をかければ良いか逡巡しゅんじゅんしていたところ――ふと、視界がぼやけだした。



 焦点が定まらず、輪郭線が曖昧になってゆく。


 色味が混ざり合い、そしてそのまま景色が一色になった。……辺りは、一面、薄紅色のもやへと移り変わったのだ。



 顎を引いて自分の体を見ると、高校二年生の肉体へと戻っていた。ゆっくりと縮んだり伸びたりするものではなく、瞬間的に切り替わるものらしい。





「いかがでしたカ、京一サン」

 ずい、と小さな顔を近づけてきてキューピーが言った。



「…………」


 また出て来るか、こいつ。


 意味不明な展開を経て困惑で胸がいっぱいの上、こいつの顔を見るといっそ腹立たしささえ湧き上がる。



「ふふん、今、京一サンの考えていることを当ててあげまショウ。いきなり知らない夢の中で一人きりにさせられて不安だったから、またワタシの顔を見れてほっと一安心って思ってるデショ?」


 違う。



「……一体、なんなんだ。さっきのはどういうことだ。わけが分からない……」


 僕が混乱のあまり力なく言葉を漏らすと、嘆息しながら小人は言う。


「だから、言ってるじゃないデスカ。ワタシは『夢の案内人』で、アナタを他の人の夢世界へと『案内』したのデスヨ」


「他の人? 一体誰の……?」


「決まってるデショウ。さっきの夢の主人公は凛チャンだったデショ。だから、あの夢を見ている創造主も、凛チャン本人に他なりませんヨ」


「は?」



 今のが、凛の夢?


 確かに明らかに『主人公』は凛だったが、しかし……。凛が、あんな夢――子供の頃の自分に戻って魔法少女に変身する、という内容の夢を見ていると言うのか?


 いや、さすがにそれは……、



「さすがにそれはないだろ」

「なんでデス? それはない、って、一体何を根拠に言うんデスカ」

「いやいや、凛があんな……稚拙というか、幼稚というか、……そんな夢を見るとはとても思えないけど」


 夢とは、寝ながら頭の中で想像している映像、ではないだろうか。

 いくら睡眠下であろうと、凛が自ら魔法少女となり、怪物と戦おうなどと思うだろうか、……そんなはずはない。




「そんなことを言われてもネ。ワタシは京一サンから最も近しい夢へご案内しただけデス。普段のご本人とのギャップなんて、ワタシは知りませんヨ。……イエ、それについては夢というモノの性質についてお話しすれば納得していただけることかとの思いマスが、――いかんせん、時間がないデスネ。もうじき、朝デス」


「え?」


「今晩は、もうこの辺でサヨナラ、デスネ」


 キューピーはそう言って手をひらひらとなびかせ、途端、もやの中を上昇し始める。



「え、あ、ちょ、ちょっと待て、まだ……」

「ふふ、早く起きないと、お寝坊しちゃいマスヨ」



 僕は飛び立つ小人を追いかけようとした。夢の中なのだから、なんとか飛べないものか。僕は必死に跳びはねた。



 すると、僕の体は飛び上がった。

 そしてそのまま僕の体は上昇しはじめた。すごい速度で昇ってゆく。まるで空に向かって落ちていくような感覚。

 ……いやまて、これは本当に落ちているんじゃ……、と思った次の瞬間、後頭部に衝撃が走った。




 そこで目が覚めた。

 僕はベッドから落ちて床に頭をぶつけていたのだ。



「…………」


 我に返る。



 夢の案内人だとか、魔法少女だとか……とんでもなく恥ずかしい夢を見てしまった。映像の質感や身につく感触など異常にリアルな夢であったが、しかし所詮夢は夢なのだ。



 はあ、と溜め息をしてずり落ちている体を起こした。寝起きのため非常に体が重い。



 なんて夢を見ているのだろうか僕は。

 自分に呆れつつ、緩慢な動作で立ち上がってだらしなくあくびをした。



        /



 目覚めたのは、いつもよりも割と早い時刻だった。


 ただし、だからといって早くに登校するわけではない。

 その気になればいつもより早くの電車へ乗れただろうが、それでは晃を置いて行ってしまうことになる。まあそれで心が痛むかというと別にそんなことはないのだが。


 いつもよりはゆっくりと朝の支度をし、家を出て、駅にて小学校来の友人と会う。したことにもならないような適当な挨拶を交わし、キビキビと時間通りにやってきた電車へと乗る。



 車中だろうと憚はばからず爆睡する晃と並び座りつつ、僕は窓の向こうの景色をぼんやりと眺めていた。


 ……ぼうっとしていると、不意に、昨夜の夢が脳裏に甦る。


 他人には決して語れないような、稚拙で意味不明な夢。


 目覚めてからもう一時間余り経っているというのに、あの鮮烈な映像は未だに頭の中に残り続け、忘れたくとも忘れられない。




 内容も内容だが、それにおいての登場人物が凛だったということがまた別種の恥ずかしさがある。


 一昨日の夢に宮本が登場してきたのは、当然、彼女への淡い想いがあればこそだと理解できるが、昨夜はなぜ凛が出てきたのか。



 ……やっぱり、アレか。


 夢の中で彼女は子供姿だったわけだし。


 要は、……当時の想い、があってのことか。心の奥底へ仕舞い込んだはずの感情だが、夢の中で意図せず浮上してきたのか。


 それこそ意味不明だ。

 なぜ、今になって。




 妙な心地で電車に揺られ、やがて目的の駅へと到着する。

 器用なもので、アナウンスの声に反応して「フガッ」と目を覚ます晃。目覚めたものの、うまく頭が働かないのか、しばし呆然としたまま立ち上がらない。

 僕はそんな友人を置いて先に電車を降りていく。別に心が痛むということはないのだ。




「今日もギリギリなんだね、小智くん」


 教室に入ると、天使のような爽やかな笑みでそう言われた。斯様かようなな笑顔の主はもちろん宮本。


「たまには早起きとかしないの?」

「まあ、早く起きても結局この時間に来るかな。いつも同じ電車で来るのが、もう習慣付いてるしな……」


「あ、そっか。小智くん電車だもんね。たいへんだよね。時間、ギリギリになっても仕方ないね」


 そう言うと、心底労わるような優しい目を向けてくれる。まるで聖母か慈母か。


 名残惜しいが、もうすぐに授業が始まってしまう。彼女との会話を切り上げて自席へ向かった。



「今日もギリギリじゃん、呆れるわね」


 じと、と鋭い視線と共に横から声をかけられる。斯様な目線の主はもちろん凛。


「たまには、もう一本くらい早い電車で来たら?」



 宮本はああ言ってくれたが、いつも遅刻寸前の時間になっているのは僕の怠慢には違いない。

 なにせ同じ路線で電車通学している凛は、いつも十分な余裕を持って登校してきているのだから。



 凛は真面目だ。


 彼女が遅刻したところなど見たことがない。高校生になってからだけでなく、小学校のときから通算で、だ。




「…………」


 彼女の顔を見ると、また不意に、昨晩の夢を思い出してしまう。幼い頃の凛が魔法少女となり、怪物と戦うという夢……。


 小人は言っていた。あれは凛本人が見ている夢であると。

 いや、そんなわけはない。


 そうだ、そもそもあの小人の存在も何もかも僕が夢に見たモノ、僕の妄想だ。

 それを認めるのは癪だが、凛が斯様な稚拙な夢など見るわけない、とすれば逆説的に、僕が感性の狂った夢を思い描いたというのも事実と受け入れるほかないだろう。



 しかし……。

 それが事実なら気恥ずかしさも禁じ得ない。僕は自らの夢に幼い凛を登場させ、魔法少女に扮装させたのか。



 宮本に告白してキスを迫るという夢を見た翌朝に当人の顔を見たとき、なんとも言えない罪悪感が湧き上がったものだが、今はまた別種の罪悪感というか……。




「なに、変な顔して。私の顔になんかついてる?」

「い、いや別に……」

「へんなやつね」


 無慈悲にそう言い、すぐに正面に向き直る凛。

 その挙動に合わせて、まさしく尻尾のようにポニーテールが翻る。



 授業が開始しても、相変わらず昨日の変な夢のことが思い出されてしまって、そんな状態では到底、授業には集中できなかった。

 いや、いつもであれば集中しているのかというとそうではないが。



 授業内容が頭に入ってこない。


 どうせ入ってこないなら聞かなくとも同じことと悟り、僕は机に突っ伏す。



 そうして授業開始すぐにもう意識が遮断され、気がつけば授業が終わっている。それを繰り返す。

 業間のたび、隣の席の学級委員長が僕に咎めるような鋭い視線を向けてきていた。

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