4月10日(水):担任は変わり者

 【京一】


 高校生活も二年目に突入し、進路、という言葉をいやでも意識しなくてはならなくなってくる。僕としてはまだ先延ばしにしたいことであるが、大人たちがそれをずいずいと押し付けて来るわけである。


 本日から、放課後に進路面談というものが行われる。出席番号の順に毎日五人ずつほど面談を受けるのだ。僕は初日となる。



「小智クンは、進学希望ですか?」

 担任の真田先生が、クイ、と眼鏡を上げて尋ねてきた。


「まあ、そうですかね」

「志望大学はありますカ?」

「まだ、特には」


「将来の職種希望などはありますカ?」

「いえ、それもまだ、特には」

「フム。難儀ですネ」


 そう言ってまた、眼鏡をクイと持ち上げる。



 真田先生は、僕や凛、晃、宮本など在籍している2―Aの担任教師であり、担当科目は生物。


 始め、コミカルな話し方をする教師だなと、印象を受けた。

 話し方だけでなく格好もいささかコミカルだ。毎日必ず白衣を着て、大きめの眼鏡をかけており、髪の毛はあまり整えられておらずボサボサ気味。


 進級してまだ日が浅いので、彼の独特な雰囲気には馴染めていない。そのうえで、一対一の面談など、はっきり言って居心地は悪かった。



「小智クン、君は去年の成績はそれほど悪くはなかったようですネ。きっと今から身を入れて勉強すれば、県内の国立大学を目指すのも不可能ではないと思いますがネ」

「はあ……」


 県内の国立大? そもそもそんな敷居の高い大学を目指すだけの理由がないし、あったとしても、僕がそれを目指すというのはさすがに夢を見すぎだ。



 きっと、そういう道もあると提示して、生徒を焚きつけようというこの人なりの意図があるのだろう。

 こんな風貌でありながら、存外、進路面談をただ事務的に済ますような淡白な教師ではないらしい。




「小智クン、私はそれだけキミの伸びしろはあると思っているわけですヨ。しかし、気になるのは授業中の居眠りが多いことですネ。私の授業でもよく気持ちよさそうに眠っているでしょう」

「……すみません。どうしても眠くなってしまって、つい」


「睡眠不足ですかね、小智クン」

「そうかもしれませんね」


「……ふむ。キミは夢をよく見る方かな?」

「え? ……ええ、まあ。確かに夢はよく見るほうかもしれませんけど……」


 例えば昨晩などは、宮本に告白をするという、他人には決して知られたくないような恥ずかしい夢を見たものだ。


 ……だが、なぜ真田先生は急にそんなことを聞いてきたのか。



「えっと、何の話ですか?」


「いやネ、睡眠についてのお話ですよ。睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠という区別があるんですけど、レム睡眠の方が浅い眠りの状態です。

 ――この浅い眠りの最中に、目覚めた後も覚えているような『濃い夢』というのを見るわけです。

 したがって体感的に『夢をよく見る』人というのは、睡眠が浅い人間だと言える。小智クンが夢をよく見るというなら、やはり睡眠不足なんですネ」



「はあ……」

 なぜか唐突に夢うんちくを語り出した生物教師。




「あ、でも、ノンレム睡眠の最中には夢を見ていない、というわけではないんですヨ。深い眠りについているときでも、人は夢を見ている。

 でもこのとき意識は深層部にまで落ちているので、その夢は淡く、普通なら目覚めた後には覚えてはいないわけですネ」


「…………」



「おっと、つい話し込んでしまいましたネ。いえネ、私、夢というものに非常に関心がありましてネ。……まあとにかく、夢をよく見るというならすなわちキミは睡眠が浅く、慢性的な寝不足だということです。ならば、授業中につい居眠りをしてしまうのもある程度致し方なしとするべきでしょうかネ、うむ」



 癖のある喋り方の生物教師は、なにか一人で勝手に納得している様子。なんだかよくわからないが、とにかく早く帰りたい。



 結局、なにやら夢についての話を滔々とうとうと語られて、奇妙な居心地のまま進路面談は終えられる。僕は短く挨拶をし、逃げるように面談室から出た。



        /



 昨日は、図書委員で。

 本日は、面談で。


 二日続けて、帰宅時間が遅れてしまった。本来なら、ホームルームが終わり次第すぐに教室を出て帰路に就いている筈なのである。


 そう、いつもならすでに自室にいて、ジャージに着替えてだらだらと過ごしているだろう時刻、だが僕はまだ駅で電車を待っている。

 向こう側の大きなホームには、部活終わりの爽やかな疲労感を身にまとう同校の生徒たち。対してこちらの小さなホームは閑散かんさんとしている。




 昨日も感じた位相。

 同じ時間に同じ場所にいるのだから、同じ感慨にふけるのは道理。


 そうだ、宮本はあちら側、僕はこちら側であるとし、したがって彼女への恋心は現実で叶うものではないと自身を戒いましめたのだったか。……それでその晩のうちに彼女と結ばれる夢を見るなんて、我ながら呆れる。




「また、辛気臭い顔してる」


 同じ時間に同じ場所にいるのだから、同じく彼女に会うのは道理。――凛が、僕の座るベンチの隣に並び立った。



 味気ない電車移動を経て、最寄り駅へ着く。

 凛と共に改札を抜けた。



 いつもは授業が終わってすぐに帰る僕である、勤勉な彼女とこうして二日連続で下校を共にするなんて妙な心地だ。といっても、特に悪い心地ではない。たまたまタイミングが合致したので一緒に帰っている。会話はないが、気まずくもない。


 そう。浮ついた感情などもなく、近くも遠くもなくただ普遍的に接する。


 それこそ、リアルな幼馴染像であると思うのだ。

 思うというか、いま実際にそうあっている。



「じゃ」凛が短く言う。僕は、「あ、うん。じゃあ」と返し、お互い隣り合った家々に入っていった。




 帰宅後は、学校で課された宿題を適当に片づけ、あとは本を読んだりゲームをしたりして自堕落に過ごす。

 断っておくが、僕は宿題などに対しては割合にちゃんと取り組む方なのだ。やる気があるというよりは、提出をしなかったために先生から色々と言われるのが面倒だからという消極的な理由だが。



 夕食後、自室のベッドに寝転んでスマホなど弄る。

 ぼうっとしていると、次第にあくびを繰り出す間隔が狭くなっていった。――眠い、と思ったときには、すでにもう意識は半ば落ちかけているのだ。


 やがてそのうち眠りの世界へと落ちていった…………。

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