4月9日(火):幼馴染とは


【京一】



 ――『しかし叶わぬ恋である』。


 図書委員の仕事を終えて学校を出た。駅まで歩き、ホームのベンチに座り……さきほど宮本に本気でときめいてしまったことを改めて考えたのだが、すぐにその結論に至った。



 ちなみに宮本は徒歩通学で僕は電車通学。


 もし同じ通学路だったなら流れのまま共に下校できただろうか。少し思い描いてみただけでも胸が高鳴る。美少女のクラスメイトと共に下校するなんてまるで夢のようだ。




 にぎやかな声が、線路を一つ挟んで向こうのホームから聞こえてきた。

 僕の乗り降りしているこの路線は、この大きな駅舎の中で一番端の小さなホームである。同じ高校の生徒たちの中でも、こちらの路線を利用しているものは少ない。


 図書室の閉館時間はすなわち学校全体の最終下校時刻。

 図書委員の仕事を終えて学校を出たため、ちょうど、部活動を終えた生徒たちと帰宅のタイミングが重なる。



 同じ学校の生徒であるはずなのだが、帰宅部の僕の目にはいっそ別世界の住人に見える。


 彼らは、まさしく青春の体現者なのだ。


 部活動に所属しているかどうかで優劣など付けられるはずもないが、しかし一方は運動や文化活動に精を出していて、一方は熱意を向ける対象もなくただ無為に日々を消費しているとあれば、どちらかより充実した高校生活を送れているか答えは明白である。



 こちらの小さなホームは、静かで、虚しい。

 向こうのホームは、賑やかで華々しい。


 線路を境界線として隔たるこの二つ。

 例えば宮本ならどちらにいるだろうかと考えれば、それは当然、向こうだ。




 宮本も部活動こそしていないが、ただ僕とは違ってしっかりと高校生活の日々を謳歌おうかしているはずである。

 明るく、優しく、いつもクラスの中心にいる彼女の日々は見るからに華やかだ。


 ――今、線路で隔てられている二つのホームの様に、僕と宮本とでは、まさしく住む世界が異なる。


 その境界線を越え、笑顔を向けてくれるのが彼女の良いところだが、それで心理的距離が縮まったと勘違いしてはならない。



 叶わぬ恋なのである。その事実を思い、自分をいましめる。



 まあ、そんなことは深く考え込むまでもなくすでに分かりきっていることだ。

 始めからそれが分かっている以上、どうにか頑張って彼女を振り向かせようなんて考えることもない。負け戦はしまい。



 ただし、夢を見るなら一向にかまわないだろう。宮本と恋仲になれれば幸せだろうなあという夢を見つつ、でも所詮それは夢だと弁えて現実を過ごすのだ。

 ……今後とも、宮本と共に図書委員の仕事をするのを楽しみにしていよう。



 というわけでやり切れない気持ちが収束して、ふう、と一息ついたところ――。




「なに一人で溜め息なんかついてんの。辛気臭い」

 そう言って、すっ、と僕の座るベンチの隣に女生徒が並び立つ。



 西日の照射を受けてできた彼女の影は長く伸び、俯く僕の視界の中を斜めに切る。

 僕は顔を上げつつ、答えた。



「……いや別に。ちょっと考え事してて」

「ふうん」


 心底関心がなさそうだ。



 クラスメイトの宮本有紗のことを考えていたなどとは言えない。

 隣に立つ彼女もまた同じクラスメイトであり、しかも彼女は特に宮本と仲が良いから。



「ていうか、なんであんたがこんな時間に帰ってるのよ。いつもは授業終わったらとっとと帰ってるのに」

「委員の仕事があって」

「ああ、そういえば有紗が言ってたわ。今日、図書委員の当番だって」


 彼女は線路の方に目線をったまま、淡々と言う。




 それ以上、特に会話が広がることはなく。二人の間に沈黙が訪れる。

 一人増えたところで依然いぜんとして閑散かんさんなこちらのホームに対し、向こうのホームの喧騒けんそうはなおも止まない。



 僕が乗り降りしているこの路線は、この大きな駅舎の中で一番端の小さなホームだ。同じ学校の生徒で、他にこの路線を使用している者は少ない。

 ――その少数のうちの一人が、今、僕の隣に立っている彼女なのである。



 少しして、僕らが待つホームに電車がやって来た。きいいい、と甲高い音を立てながら徐々に減速していき、やがて停車する。



「さ。乗ろうよ」


 短く言って、彼女はさっさと歩き出す。

 幼い頃から変わらない、後ろ頭に垂らしたポニーテールがふわりと踊る。



 クラスメイトの高槻凛たかつきりんに続いて、僕は電車に乗り込んだ。



        /



 見慣れた景色が右から左に流れていく。僕は電車に揺られながら、何気なしに窓の向こうの景色を眺めていた。


 木々や家々が通り過ぎる瞬きの合間に、陽光が車内に差し込んでくる。

 チカ、チカチカ、とリズムよく明滅する光は、まるでモールス信号のようだ。僕はモールス信号なんて読めないが。



 凛と、並んで座る。


 たまたまホームで会ったのでそのままの流れで一緒に乗車しているが、普段は凛と一緒に下校することはない。そもそも下校時間が被らないのだ。




 凛は、うちのクラスの学級委員長を務めている。

 担任教師の意向によって各委員の担当はクジによって決められたわけだが、さすがにクラスを取り仕切る委員長をクジで選ぶわけにはいかないので、前もって立候補が募られた。

 そこで颯爽さっそうと手を挙げたのが彼女であった。



 凛は一年のときも委員長をしていた。いや、高校に入ってからだけではない。彼女は昔からよくそういった場面で率先して名乗り出るような人間だったのだ。

 幼い頃から一緒にいた僕はよく知っている。



 さらに現在は学級委員長だけでなく生徒会にも所属しているようで、何かと忙しいようである。下校時間が遅いにもそのせいだ。放課後になったらさっさと教室を出て帰宅する僕とは違う。




 隣り合って席に座るが、特に会話はなし。


 沈黙の中、がたんがたん、と車両の揺れる音だけが聞こえる。

 気まずいとは感じない。

 凛は鞄から取り出した文庫本に視線を落とし、僕は対面の窓の向こうで流れる景色をぼうっと眺める。




「凛と一緒に電車乗るのって、久しぶりだよな」

 ふと、呟いてみた。



 本に向けていた視線を僕の方に向けて、凛が応える。


「だってあんた、いつも朝は授業開始ぎりぎりの電車で来るし、放課後になるとすぐに帰ってくじゃない」


「あ、はい。ごめんなさい」


 彼女の強い語気に煽られ、自然と謝罪の言葉が漏れてしまう。


 凛は咎めるような目つきを伏せ、また視線を手元の本に戻す。それからまた、沈黙。




 十分ほど経って、目的の駅に到着した。電車を降りて改札を抜ける。

 凛はそのまま足早に歩き出した。……僕も彼女に続く。



 駅を出て、二人、進行方向は同じである。

 線路に沿った道を共に歩く。相変わらず会話はないが、気まずいと感じないのも変わりはない。



 僕の少し前を姿勢よく歩く凛。彼女の歩みに合わせ、髪束が右へ左へと揺れる。



 ポニーテールとは、すなわち、仔馬の尻尾。それをなぞらえてつけられた呼称である。

 凛は、幼い頃と比べればかなり雰囲気が変わった。成長して子供らしい無邪気さなどとうに脱ぎ捨てた彼女であるが、しかしその髪型だけは幼い頃からずっと変わらない。


 前を歩く彼女――その後ろ頭で左右に振れる髪束はまさに元気な仔馬のような振る舞い。

 それが、今の凛の中で唯一、子供らしさの名残であるとも感じさせられる。




 少しして自宅が見えてきた。駅から歩いたのはせいぜい五分ほどだが、いつも一人でぼうっと考え事をしながら歩くよりは時間が長く感じた。


 僕は自宅の前で足を止める。

 凛は何も言わずにそのまま数メートル先まで歩いて、隣の家の前で立ち止まった。



「じゃ」凛がこちらに向き直り、短く言った。僕は、「あ、うん。じゃあ」と返す。


 僕らはお互い隣り合った家々に入っていった。






 僕と凛は、いわゆる幼馴染という間柄だ。


 幼馴染と聞いて世間一般が思い浮かべる俗的なイメージと言えば、小さい頃からずっと一緒にいてお互いをよくわかり合っている無二の友人といった具合だろうか。ことさら男女の幼馴染であれば美化されがちだ。


 しかし、そんなものは所詮、フィクションの話である。



 幼馴染とは、字面から読み取るに『幼い頃からの馴染み』という意味であって、それ以上の特別な意味はない。

 僕らは、ただその字義にならった意味としての幼馴染なのである。


 挨拶をしても素っ気なく返されるだけ。


 他愛ない話で盛り上がることもない。


 わざわざ示し合わせて登下校を共にすることもないし、なんなら友人グループがそもそも別々だ。




 確かに幼い頃にはよく遊んでいて、それこそ唯一無二の友人という距離感ではあった。

 だが、それはあくまで幼い頃の話。


 高校生にもなると関係性もお互いの性格も大きく変わるものだ。今はただ、『馴染み』のあるクラスメイト――それだけ。



 例えば仮に僕が甲子園出場を目指す野球部のエースだったとしても、隣人で幼馴染である凛が心から応援してくれて陰ながら支えてくれて、やがて心を通い合わせ、あまつさえ恋愛関係に発展するとか、――そんなことにはなり得ないと思う。


 片方がドラマ性のある立場に立っていても、では幼馴染だからと言ってもう一方が無条件にそのドラマに関わるかと言えばそうではないのだ。




 ましてや、この平凡な男子高校である僕の生活にドラマ性などありようもなく――したがって、僕と凛との間に何らかのドラマが生じることなど、あるはずがないのだった。

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