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 しかし、捕まえたところで何が起こるかと言えば、気まずい空気の発生である。


 とりあえず話せる場所を、ということで三人とも無言のまま、駅ビル一階の喫茶店《カロリング》に移動したのだが、その時の気まずさたるや今まで経験したことがなく、受付の店員さえも「何名様でしょうか」(接客スマイル)からの「あ、三名様ですね……」(引きつった笑顔)である。


 案内されたのは入り口にほど近い四人がけのボックス席だった。ソファ席に青年が、二脚ある椅子に真宮と私が座った。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

 店員の声に合わせてメニューを手に取る。青年も顔を上げて、おずおずとメニューを取った。

 青年がホットコーヒー、真宮がアイスコーヒー、私が紅茶を頼む。

「かしこまりました。少々お待ちください」

 店員がしずしずと厨房に戻って行った。


 しばし、沈黙が場を支配する。注文を取ったということは、飲み物が今後届くということだ。中途半端に考えを話しているうちに、店員が来ても厄介だったので、口を開かず待つことに決めた。結露で濡れたお冷のグラスに口をつける。


 ……やっぱり気まずい。真宮をちらと見やると、沈黙にやられてすっかり固まっていたが、自分が結社の長だと思い出したのか、しっかりとした口ぶりで話を切り出した。


「自己紹介しましょう。俺は御原高校の真宮です」

「同じく御原の古谷です」

 青年は顔を上げず、呟くように答えた。


泉英せんえい大学の大学院に通ってます、西岡にしおかです」

 泉英大学と言えば、この近所の大学だ。それなりに偏差値が高いらしく、校内でも進学を狙っている生徒は多い。


 と、店員が近づいてくる。

「お待たせいたしました。こちら、ホットコーヒーとアイスコーヒーと紅茶になります」

 手早くコーヒーカップとストローのささったグラスとティーカップを置くと、店員は去っていった。


 角砂糖を紅い液面に落とす。それの角が溶けて行くのを見つめる横では、早速真宮がコーヒーを半分近く吸い上げていた。

 西岡さんは未だコーヒーに手をつけない。ただ痛みを堪えるような顔をして、下を向いていた。


 私は口を湿らせるようにティーカップを唇に付ける。どこから話し始めたらいいだろう。一応、真宮がリクエストカードの件だと言ってはいるらしいけど……。まあ、いいや。一番言いたいことから言おう。


「えーと。香菜さんは彼氏もいないし、心中する気もありませんよ」

 隣でぶほっと盛大に吹き出す音が聞こえた。

「なっ、古谷、急に何だよ!」

 真宮だ。その手にあるグラスはもうほとんど空だった。


 それと同時に西岡さんがはっと顔を上げて、すぐに下げた。

「どういうことだよ? 古谷」

「まずあえて便箋を使ったのは、誰かに当てたメッセージだってことは言ったでしょ。その送る相手っていうのが、香菜さんってことも」

「ああ」

「じゃあ、何を伝えたかったのか。

 真宮、香菜さんの話し方に違和感を覚えたことない?」


「え?」

「香菜さんって、話す時によく主語とか補語とか修飾語が欠落するんだよ」

 そう。香菜さんの話し方に感じていたあの違和感はこれだったのだ。


 香菜さんの太宰トークから主語や補語が抜けると、何が起こるか。

「もし香菜さんが太宰を好きって前知識がないまま、香菜さんの主語とか補語の抜けた太宰トークを聞いたら、人によっては勘違いをするかもしれない」

「勘違い?」

「彼氏の話をしてるっていう勘違い」

 香菜さんは太宰の人となりを話すだけで、本のタイトルさえも話に出さない。勘違いする人は、多分いると思う。


 感心したように頷く真宮は、カルピスだけでは飽き足りず、お冷の溶けた氷にまで手を出していた。

「それで、あのリクエストカードに書かれてた本の共通点は何かという話なんですけど、すべて心中について否定的なことが書かれていました」

 そう。急に人形浄瑠璃が入ってきたのは、そういうことなのだ。人形浄瑠璃は心中物が多いから。


「それを香菜さん宛に書いた、ということは心中を止めようとしているとしか考えられません」

 真宮からもこう聞いている、「自称・太宰トと同じ時期に生きていたら一番危ない女」と。同僚の誰かと太宰の話をしている時に、太宰と心中したかった、という話をしたのかもしれない。


「どう、ですか?」

 西岡さんは顔を上げない。思わず喉が鳴った。もうコーヒーからも紅茶からも湯気は上がっていない。


「……どう、で、すか?」

 下から覗き込むように見る。まだ西岡さんは顔を上げない。


 と、

「本当にそうならちゃんと言ってください」

 一瞬、誰の声か分からなかった。でも私のものではないし、真宮しかいない。


 真宮は真っ直ぐと西岡さんを見つめながら、切実さの滲む横顔でもう一度言った。

「言葉にしないと駄目です」


 すると、ついに西岡さんは顔を上げた。唇をぎゅっと噛んで、痛そうな、でも強い顔をしていた。

 絞る出すような呻き声が聞こえた。

「……その通りです」

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