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 それから、一時間文学コーナーに立ち、森瑛堂を辞した私達は、エスカレーターを降りてすぐ右手にある文房具屋へ向かった。なんでも、真宮の赤ペンが切れたらしい。二年生になって、課題も増えたし、赤ペンを使う機会が増えたからだろう。


 入った文房具屋は内装が暖色系でまとめられており、どちらかと言えば女性客がターゲットの店のようだった。

 特に買うものはないが、店内を徘徊してみる。そのうちシャーペンの芯も無くなるだろうし、今買っておいてもいいかもしれない。


 と、その時。

「あ!」

 店内に真宮の大声が響き渡った。

 何をしてるんだ、あの馬鹿は。


 呆れながら、声の元へ向かう。すると、何かを手にうつむいていた。かとと思うと、その何かを私の前に突きつけてくる。

 便箋のようだ。下に「simple color」と書いてあって……って、

「これ」

「そう! 例のリクエストカードに使われてた紙‼︎」


 あれはメモ帳ではなく、便箋だったのか。

 というか、犯人探しまだ諦めてなかったのか。


 しかし。

 一つ湧いた疑問を投げてみる。

「でも、これ、サイズが違う気がするんだけど」

「そうか?」

「なんか例のリクエストカードより大きい気がする」

そう、なんとなく大きく見えるのだ。より詳しくいうのなら、縦幅が伸びている感じがする。


「昨日例のリクエストカード貰ったから、実物と見比べるか?」

「いや、それはいい。でも、一つ言っていい? リクエストカード《それ》、貰う必要あった?」

 そんなやりとりをしていると、横から男性店員がすすすっと近寄ってきた。


「そちらの商品、お気に召しましたか?」

「え」

「その『simple color』シリーズはですね、男性のお客様にも人気がございまして、昨日も今お客様が手にしておられます紺色を男性のお客様が買って行かれたんですよ」

 どうやら珍しい男性客とあって、カモだと思われたらしい。しかし、この店員は不幸だった。


 真宮にガッと肩を掴まれる。

「ひっ」

「それ、どんな人でしたか⁉︎」

 要は紺色の便箋を買って行った男性が、リクエストカードを入れた人だと考えたらしい。まさか、そんなことはないだろうが。


 店員が完全に怯えている。可哀想だが、しょうがない。

「え、えーと」

「青いチェックのシャツ着て、リュック背負ってませんでしたか⁉︎」

「え、えっと、対応した店員に聞いてきます!」


 店員は奥に走って引っ込むと、すぐに帰ってきた。

「確か、色が白くて、青いシャツを着た大学生ぐらいの方だったと……」

 真宮が嬉しそうにばっとこちらを振り返る。案外世界は狭いのだと思い知らされた気がする。


 さらに青年が来店した時間を聞いたところ、リクエストカードが入れられる直前だったことも判明した。便箋を買った男性客と、例の青年が同一人物であることは確かだと証明された。


「その男性客、誰だか知りませんか⁉︎」

 真宮がぐっと身を乗り出した。店員は首が取れそうなほど振る。

「いっ、いいえ! 知りません!」

 それを聞くと、分かりやすく真宮は肩を落とした。


 ま、そんな簡単にいってたまるか、という話だ。



 ****



 翌日の放課後。

「絶対、見つけ出してやる!」

「どうやって? あと何で?」

 学校を出て、私達は森瑛堂へと向かっていた。


 真宮が強く握り締めた拳を振り上げ、叫ぶ。

「どうやって、にはなんて言えばいいか分からんが、何で、は文学に対する冒涜だからだ!『こころの病〜その原因と直し方〜』に『坂巻ミカコの恋愛中毒』に『愛——化けの皮とその正体』、『人形浄瑠璃に見る男女関係』、文学に関係ないもんばかり書きやがって!」

 言うと思った。この、熱血正義馬鹿が。それにしても記憶力良いなあ。


「っていうか、もし例の犯人見つけられたとして、どうするつもりなの?」

「話を付ける」

「却下」

「何でだよ」

「何でだよも何もないでしょ。厄介事になって、学校に言われるのだけは嫌だよ」


 そう言い捨てると、

「それは大丈夫だ。うちの高校、緩いことにかけては県内一だからな」

 そんなに緩かったのか、うちの高校。

 目の前で信号が赤になった。足踏みするように歩を止める。


 真宮が横断歩道の先を見ながら、訊いてくる。

「そう言えば、この件、香菜さん知ってんのかな」

「さあ」

 多分知らないだろう。森瑛堂は大型書店だ。あの手のいたずらやクレームは日常茶飯事のはずだ。それに、わざわざ富田さんが話したとも思えない。


 歩道脇に建つ私立の女子校から、軽い鐘の音が聞こえてくる。

「今日行ったら、訊いてみるか。もしかしたら、誰か知ってるかもしれないしな」


 私は少し考える。

 香菜さんもいちいち客の顔なんか覚えてないだろう。香菜さんが知らないとなれば、犯人を追うのはほぼ不可能。真宮も諦めがつくはずだ。

「うん、そうだね」


 信号が、青に変わった。



 ****



 森瑛堂店内にて。

「え? 色が白い男の人?」

「はい。多分大学生ぐらいだと思うんですけど」

 約束の一時間が過ぎたので只今絶賛香菜さんに相談中である。


「うーん。ちょっと待ってね……」

 唇に人差し指を付けながら、香菜さんは考え込んでいるようだった。


 と、ふいに香菜さんが顔を上げる。

「もしかして、その人、チェックのシャツ着てなかった?」

「はい! 着てました!」


 真宮の返事を聞いた香菜さんは明るく声を上げた。

「じゃあ、チェックさんだよ」

「「チェックさん?」」

「いつもチェックの服着てるから、私が勝手につけた渾名なんだけどね」

「実はその人がですね、」


 真宮が本題を切り出そうとしたところ、香菜さんを呼ぶ声が聞こえた。

「木原さん、ちょっとこっち手伝ってもらえるー?」

「あ、はーい。ごめんね、また今度!」


 香菜さんは申し訳なさそうに手を合わせると、そのまま行ってしまった。

「ああ……」

 真宮が香菜さんの背中に手を伸ばし、あからさまに肩を落とした。どことなく段ボールに入った捨て犬を思い起こさせる。


 しかし、私にはこんなデカい捨て犬を慈しむ義理も道理も義務もないので、見なかったことにする。

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