少し怖い話でもしましょうか
ラーさん
電車とホームの隙間にご注意ください
東尋坊駅。
それが毎年十人以上の飛び込み自殺が発生し、かつて自殺の名所と呼ばれた東尋坊のように自殺者を集めることで有名な、あたしが通学で利用するS駅のネットでの裏の通称だった。
けれどそんなS駅も、先日設置されたホームドアによって、この不名誉な呼び名を返上する日がきたのだった。
(これで電車が止まるのも減るかなぁ……)
幸い自殺の現場には遭遇したことはなかったけれど、自殺が起きる度に電車が止まり、朝から学校に遅刻の連絡をしたり、帰りにせっかくの放課後の自由時間が奪われたりするのは普通に迷惑だった。自殺で有名な駅だからといって、わざわざ集まってくる自殺者の気がしれない。
(それに利用駅で人がたくさん死んでいるって、ちょっと気持ち悪いし……)
今、自分の立っているホームが、過去に何十人という人間の死んだ場所だったと想像すると、少し背筋が冷たくなる。
「――危ないですので、黄色の線の内側までお下がりください」
アナウンス。電車がホームに滑り込んで――この走る鉄の塊に、ふらりと人が飛び込んで――手足がちぎれてバラバラに――。
(まあ、ホームドアができたから、これからここで死ぬ人はいなくなるよね――)
そんな想像を流すように、電車は何事もなく停車して、扉がホームドアと一緒に開く。
このとき、あたしがここであんなものを見てしまったのは、こんなつまらない想像をしていたからかもしれない。
電車に乗る。その途中で視線を
電車とホームの間に人の顔がいた。
(――あ)
しまったと思った。目があったのだ。電車とホームの十センチ程度の隙間にいる人の顔と。
急に周囲の音が遠くなった。目が見ている。黒い、穴のような光のない目が、あたしの目を見ているのだ。
(なになになになになに?)
心が震えていた。恐怖だった。電車に乗るという一秒もかからない動作が終わらないのだ。時間を止められたかのように、目があたしを見ていて、あたしも目をそらせなくて――そこであたしはさらに恐怖した。
手が伸びてきた。
(いや……いやいやいや――!)
電車とホームの十センチ程度の隙間から、白い手が一本、二本、三本……何本も何本も伸びて、伸びて、伸びてきて、あたしの足を、足首を掴もうと――そこであたしは人の顔が一つじゃないことに気づいた。
(これ自殺した――)
伸びる手と手の間を埋めるようにいくつもの顔があふれていた。顔が、手が、溺れる人が助けを求めるように、それぞれにあたしの足をでたらめに掴んで――その感触は氷のように冷たく、身体を芯から一瞬で凍えさせ、声も出ないあたしの身体は無抵抗に引っ張られ、あたしは――
「――痛っ!」
その痛みが、あたしを止まっていた時間から引き戻した。見れば電車とホームの間に足が挟まっていた。
「あ、大丈夫か!?」
後ろにいたサラリーマンのおじさんが、とっさにあたしの身体を引き上げる。
「あ……は、はい……」
あたしは放心状態で、曖昧な返事しかできなかった。誰かが非常停止ボタンを押したのか、電車は止まって駅員が駆けつけてくる騒ぎになり、この日は学校を遅刻することになってしまった。
(結局、アレは――)
少し落ち着いたあたしは、遅刻の電車に揺られながら、あの出来事を思い返していた。
(自殺した人たち? ――ああやって引きずり込んで、だから自殺する人が減らなくて……)
自殺で有名だから自殺者が集まるのかと思っていた。けれど、ああいう引き込むモノがいたから、自殺する気もない人もあの目とあって、引き込まれていたのだとしたら――。
遅れてきた震えを肩で抱きながら、あたしは頬を濡らす涙に気づいて、そこでようやく生きている自分に安堵することができたのだった。
*****
あの日から、あたしはS駅より家から少し遠い、隣のK駅を利用するようになっていた。もちろん他の駅でも電車とホームの間を見るようなことは二度としていない。あんな目は二度とごめんだ。
それで問題のS駅だけれど、あれからはホームドアの効果か、自殺が起きたという話はすっかり聞かなくなっていた。それはとてもよいことだと思う。
けれど、入れ替わるようにS駅では、こんなアナウンスが流れるようになったそうである。
「電車とホームの隙間にご注意ください――」
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