魔女と私と魔法
赤城ハル
第1話 門出
小さい客船の二等客室。
一人の女の子が船酔いにやられ、ベッドの上で苦しそうに仰向けになっている。
彼女の名前はシャル。今年で高校1年生になる予定だった子。
そのシャルは今、ああ、こんなことなら母から酔止めの薬を受けとれば良かったとベッドの上で後悔していた。
あの時はまさか三時間程度の船旅で船酔いになるとは考えてもいなかった。だが、その考えが甘かった。
まさか一時間もしない内にやられてしまうとは。
「ふぅー」
シャルは腹の中の
「んっ、んん!」
誰かが存在を
シャルは胡乱気に声の方──左へと顔を動かした。
左側に眼鏡を掛けた優男風の成人男性が椅子に座っていた。
男は視線を逸らすように明後日の方を見ている。
男の名前はウィル。魔法省の役人でシャルをコルデア島の魔女の元に案内する任を
普段なら驚いてすぐに裾を戻し、「ウィルさん! いるならいるって言ってよ!」と抗議の声を上げていたが、今はそれすら出来ぬ程、酔い潰れていた。
シャルはゆっくりと裾を戻して、息を吐いた。
「……居たんですか」
「他の客から酔止めの薬を譲ってもらったよ」
「……あ、すみません」
シャルはゆっくりと起き上がり、酔止めの薬と水の入ったコップを受け取った。
揺れのせいか酔のせいか上手く薬を飲むことができなかった。それでも一気に水を含み、飲み込んだ。
その際、気管に少し水が入った。
「ゲホッ、ゲホ」
「気を付けて。薬が気管に入って誤嚥性肺炎なっちゃうよ。大丈夫? 薬、気管に入ってない?」
「だ、大丈夫です。水が少し気管に入っただけなので」
コップを台の上に置いてシャルは言った。
ウィルは安堵の息を吐き、
「それじゃあ、僕は隣の自室に戻るから何かあったら呼んでね」
「はい。色々とすみません」
「気にしないで」
ウィルは優しい笑みを向けて言い、そしてドアを開けて部屋から出ていく。
シャルはドアの閉まる音を聞いた
「あ、そう言えば、用がある時ってどう呼べばいいんだろう?」
そう呟き、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
しばらくして船酔が醒め、シャルはベッドから起き上がった。即効性の薬だったのか、もしくは魔法薬だったのかシャルはもう元気であった。
時計を見ると到着まであと40分弱。手持無沙汰なシャルは客船の展望デッキへと向かうことにした。
ドアを開けると潮の香りが鼻腔を刺激する。
小さな展望デッキに向かうと先客が一人いた。
それは美しい女性だった。
白のワンピースに麦わら帽子で長い金髪が波風になびいている。
年齢はシャルより少し年上だろうか。幼さの残る顔だが、これから育つであろう上品さがすでに見え隠れしている。
シャルはつい見惚れてしまい足を止めてしまった。
その女性はシャルの気配に気付き、振り向いた。
つい邪魔をしてしまったと思い、シャルは頭を下げた。そして逃げるように展望デッキから出ようした時、
「どうぞ」
と女性は言って、自身のいた場所から少し左へと移動した。
相手の許可が得たということでシャルは手すりまで近付き、小さく見え始めているコルデア島を眺める。しかし、心はコルデア島ではなく、金髪の女性であった。
話しかけるべきかどうか迷っていた。ここは一つ挨拶でもと考えてはいるが、シャルは人見知りなうえ、今は臆病風に吹かれているので声が出せなかった。
「あなたはコルデア島に何用で? 観光?」
なんと向こうから声を掛けてきてくれた。
シャルが振り向くと女性と視線が会う。女性のサファイヤのような瞳に心が打たれた。
「えっと、……島に住むことになりまして」
シャルはしどろもどろに答える。
「もしかして国立魔法学院アルビアの新入生?」
「いえ、違います」
「ごめんなさい、2年生だった?」
コルデア島には国立魔法学院しかない。
1年生ではないなら2年生と考えるのは当然であろう。
しかし、シャルは大きく首を振り、
「今年1年生ですけど、その……まだ決まってなくて」
指をもじもじさせながら歯切れ悪く答える。
この時期にまだどこの学校に入学するか決まってないなんておかしいと思われないだろうかとシャルは心苦しくなった。
「もしかして編入生?」
「一応編入希望者です。……できればですけど」
「じゃあ、私と同じね」
「へ?」
「私も編入希望なの。来月の編入試験のために来たの」
「来月!?」
「? そうよ。あなたも来月の編入試験受けるのでしょ?」
「編入試験は受けるのですが、来月かどうかはわかりません」
「でも来月以外だと数ヵ月後になるわよ。きっと」
確かにおいそれ編入試験なんてやっていないだろう。ということはシャルの編入試験は数ヵ月後ということだろう。
なぜならシャルはある時期に初めて魔法を使ったが、使ったのはその時期のみでそれ以降は今日まで一度も使っていないのだ。
さらに魔法知識も何もないのだ。
この前まで普通の中学生で高校受験のため頑張っていた。畑違いの魔法なんて何一つ勉強していないのだ。それが国立の偏差値の高い魔法学院に準備もなしに編入なんてできるわけもない。
「じゃあ、私は数ヵ月後の試験ですね」
と、シャルは空笑いをした。
「えっと、それまであなたはコルデア島で編入試験のための勉強なの?」
金髪の女性は不思議そうに聞いた。
それもそうだろう。受かるかどうかも分からないのに島に住んで、そして魔法の勉強をして試験に受けるのだ。普通は逆だ。勉強して試験に受かった後で島に移住するのだ。
「まあ、そうなりますね」
本当は国立魔法学院が本件ではない。たまたま島に魔法学院があって、ついでに編入試験の運びになっただけ。
さらにシャルは国立魔法学院に落ちてもかまわないとさえ思っている。今まで魔法とは無縁の生活を送っていた。いきなり魔法を学べと言われて困っていた。
「それじゃあ、お互い頑張りましょう」
女性はそう言って展望デッキから出ようとする。出ていく直前に、
「私、アビー。アビゲイル・メイザーよ」
シャルはきょとんとした後、慌てて名乗る。
「シャーロット・オレアナ・トムソン。シャルです」
「じゃあね。シャル」
相手が手を振るのでシャルも手を振り返した。
それは再会のための別れか、それとも本当の別れなのか今のシャルには分からない。
シャルは振り返した手をじっと見つめた。
「……私、どうなっちゃうだろう」
その小さな呟きは波風に消された。
過ぎ去っていく波風の向こうにはコルデア島が鎮座している。
緑豊かな山、港町、岬、灯台が目に入る。
「ここに魔女がいるんだ」
一ヶ月前のシャルにはまさかコルデア島に住むなんて想像もつかなかっただろう。
到着のアナウンスがなり、シャルは急いで部屋に戻った。
部屋に戻るとウィルがいて、シャル顔を見るや胸に手を当て、安堵の息を吐いた。
「どこに行ってたんだい? 心配したよ。船酔いはもう大丈夫なの?」
「心配かけてすみません。酔も醒めたので展望デッキに行ってたんです」
シャルは鞄を持ち、部屋を出た。
ウィルと共にタラップを越えて港に足を踏み入れた。
久々の地の感触に喜ぼう考えていたけど、地に立ってみてもあまり実感が湧かなかった。
ウィルが手続きを済ませている間、シャルは辺りを見渡し、アビーの姿を探してみた。けど残念ながら人が多くて見つけられなかった。
「どうしたの?」
戻ってきたウィルが聞く。
「いえ、なんでもないです」
「なら行こうか」
シャルはウィルに促されて歩き始める。
港から少し離れた所にロータリーがあり、そこにアビーの姿があった。アビーはスーツ女性と一緒にいて、別の長身の女性と話をしていた。
そしてアビーは女性に御辞儀をして高級車に乗り、ロータリーを出ていった。
知人だろうか。
ふとウィルが女性に向かい、進んでいることに気付いた。
もしかして国立魔法学院関係者だろうか。
「やあ、ウィル。本当に来たのか」
女性はフランクに言葉を掛けてきた。
「そりゃあ当然でしょ。彼女一人っきりにはさせられないよ」
シャルが戸惑っていると、
「ああ、私が魔女だ。リネット・ガネーシャだ」
「シャーロット・オレアナ・トムソンです」
魔女ことリネットが手を差し向けるので、シャルは握手と思い握ると、
「ふむ。魔法について素人か」
と勝手に診断された。しかもなかなか右手を放してくれない。
「肉体的健康面は問題ないな。やはり……」
「あ、あの……そろそろ」
「ん? これはすまない」
やっと右手が自由になる。
「君、相手に失礼だよ」
ウィルが非難の声を上げる。
しかし、魔女はどこ吹く風で。
「なあに、これから一緒に暮らすんだ。同居人のことを調べるにはこれはくらいは当然だろ」
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