序章 2
少女の顔に蛇頭の牙が食い込む直前、突然横から現れた鋭い爪を生やした獣の腕が蛇頭をいとも簡単に掴み、その動きを完全に封じる。
腕の主はさっきまでビルの屋上にいた細身の男の左腕だった。
その細い体とは不釣合いな大きな腕でもがく蛇頭をまるで風船を割る様に握りつぶした。
潰された時にバキンと何かが割れる音が周囲に響き、それを合図に散らばっていた『自転車』の残骸も痕跡を残さず煙のように消え去っていく。
その光景を見て少女は緊張の糸が切れたのか、その場に座り込んでしまった。
その少女の頭の上で、これまたビルの屋上にいた小さな人が「敵反応消失確認じゃ」と戦いの終わりを宣言する。
こうして少女のテストは終わりを迎えた。
「助かったぁ」
座り込んだ少女の手から剣が消え、それと共に髪と目の色が生来の黒色に戻っていく。戦いが終わって一息つけると少女、
放心気味の茶々の脳天に衝撃が走った。
「助かった、じゃねぇ」
茶々の頭に拳骨を食らわせた男が静かに怒気を露わにし、茶々の頭に右の拳骨を振り下ろしたのだ。
その男の左腕も既に人間の物に戻っており、怪物を握りつぶした常識外れの力こそないが、大の男からの割と容赦のない一撃で茶々は言葉もなく悶絶する。
「これこれ、なにも折檻することはなかろうに。暴力に訴えてはいかんぞ?」
「お前の教育方針なんぞ知った事か。これが俺のやり方だ」
茶々からティアと呼ばれた小さな人が言葉を発せない茶々に代わり抗議するが教官役の男、リョウは抗議を一蹴する。
「俺は何度も教えただろうが。このくそったれどもが完全に消えるまで絶対に気を抜くなってな。それで自分を危険に晒すんなら自業自得で済む話だ。だが大体はそうはならねぇ。くだらねぇミスで傷つくのはいつだって周りの無関係な奴なんだよ。だから何度も言ってきた。油断は……」
「自分と仲間を危機に晒す、ですよね師匠?」
痛む頭をさすりながら茶々はゆっくりと立ち上がる。よほど痛かったのか涙目になりながらも師の顔を見て何度も言われた事を復唱する。
「憶えてんじゃねぇか。絶対にそれを忘れるな。死ぬほど後悔したくなきゃな」
「はい!」
とりあえず説教が終わったタイミングでティアーネが首を傾げながらリョウに対してテストの評価を尋ねると茶々の体がビクッと震えた。
「では今回のテストは不合格かの?」
「未だに自分の能力を理解しきれてないうえに最後の大ポカだ。単独行動許可は出せねえな」
「うううう……」
ぐうの音も出ないほどの妥当な評価に茶々の体がだんだん小さくなっていく。
「だが、一発の破壊力と思い切りの良さはぎりぎり及第点……」
「し、師匠~!」
「喜んでじゃねえよ、あくまで他の点に比べりゃマシってレベルだ。しばらくは他の奴らと組んで戦ってろ。場数を踏めばちっとはマシになるだろ」
「ふ~む、つまるところ合格と言うことでいいのかの?」
「100点満点中40点ってところだ。ともかく、俺が教えることはもうねえから、あとは勝手に自分で学んでけ」
明らかに面倒事をさっさと終わらせたいというのを隠そうともしないリョウの言葉に茶々は夜空を仰ぐ。
こうして、この日地球を守る新たな新米勇者が誕生したのであった。
「って、結果でした~」
所変わって、ここは異空間に存在する勇者たちの本拠地、勇者ギルドの中にある食堂である。
ファミレスのようにテーブルがいくつかあり、その一つに陣取った茶々はテーブルに突っ伏しながら、食堂の主とも称される先輩であり友達でもある
「はぁ、よくそんな内容で合格なんて出したわね。あたしなら間違いなく不合格にしてるわよ」
「あれ、慰めじゃなくて駄目出しされる流れ!?」
「あんたじゃなくてリョウの方をね。全く面倒だからって指導を中途半端に終わらせないで欲しいわ」
「師匠はちゃんと必要な事を教えてくれたよ!それをちゃんと出来なかったのは茶々のせいだよ!」
椅子から立ち上がって声を荒げる茶々の言葉を軽く聞き流しながら、沙織は手に持っていたお茶の入ったコップをテーブルに置いて自分も茶々の向かい側に座った。
「そりゃそうでしょ、一番悪いのはアンタなのは間違い。そのうえで、私はもうちょっと時間をかけてやってほしいってアイツに言ってるのよ。赤点ギリギリの子を放り出して知らん顔は無責任でしょうに」
高校二年生の割には落ち着いた物腰の沙織は茶々に冷静に指摘し先ほどまで使っていたテーブル上の自分のノートや教科書、参考書を片付けて始める。
口には出さないが茶々の事を心配して、既に深夜になっているにも関わらず茶々を心配して待っていてのだが、そんな事はおくびにも出さない見事なツンデレぶりである。
時刻はまもなく午前0時。
ある事情から学生が多い勇者たちのほとんどは自宅に帰り、数時間前までは賑やかだった食堂も今は茶々たちしかおらず静かな時間が流れていた。
「ううう、そりゃ茶々もそう思うよ~?でも、師匠、いつも忙しそうだし仕方ないんじゃないかな」
「まぁ、我がギルドの最強の一角だしね。だとしたら文句を言うのはギルドマスターの方か……」
「文句を言うのは確定なんだ……」
椅子に座り直してお茶を一口飲むと、不思議と心も落ち着いていく。
沙織も、言い方はキツめだが、それも茶々のためを思って言っているのだと思うとその気遣いに嬉しくなり茶々の頬も緩んでしまう。
「ありがとう、沙織ちゃん」
「な、なによ、急に。別に感謝されるような事は言ってないでしょ。まぁ、結局あの人のやり方が正しいのかどうか、証明するのはアンタ自身よ。精々師匠の顔に泥を塗る結果にならないようにがんばりなさいな」
「うん!……ところでやけに静かだね、ここ。この時間帯はいつもこうなの?」
茶々も普段この時間は家に帰っているため、深夜の食堂を珍しい物を見るような目つきで観察する。
特に食堂の隅にある大型モニター前には、ギルド内に存在する『ゲーム部』の面々が置いていった新旧様々なゲーム機が普段の酷使から解放されているのが茶々の眼をひいた。
「ああ、あの連中は普段はいつもこの時間も遊んでいるわよ。ただ今は『向こう』に集団で出張中よ。あと深夜待機組もそれとは別に新しい『巣』が見つかったから全員出てったのよ」
「ええ~、そんなの聞いてないよ!?手伝いに行かなくていいの?」
「ちょうどアンタがシャワー入っている時だったから声をかけなかったの。ちなみにあたしは念のために留守番よ」
「沙織ちゃん、滅茶苦茶強いのに留守番なの?」
「リョウも行ったから大丈夫でしょ。それにここを完全に無人には出来ないし」
「えっ、師匠も行っちゃったの!?」
「ええ、ああ、伝言があるわよ。お前はさっさと帰って寝ろ、だって。ちなみにティアも行っちゃったわよ」
「うう~、除け者にされたぁ~~~」
「二人ともアンタの事を気遣ったんでしょ。という訳でそろそろ帰りなさいな。明日も学校でしょ?」
「……沙織ちゃんは寝ないの?」
「留守番が寝ちゃ意味ないでしょうが。ほらほら、それ飲んだら帰りなさい」
「は~い……」
などと言いつつ結局二人はダラダラと話し続け、無事に帰ってきた勇者たちを出迎えたりしているうちに時間はどんどん過ぎていき、結局茶々が家にこっそりと帰ったのは明け方近くだった。
ベッドにもぐりこみ見慣れた天井をぼんやり見ながら、リョウやティアーネとの研修の日々に思いを巡らす。
(今日で研修は終わり。明日から、いや、もう今日か。一人前の勇者として頑張らないと!次はどんな任務が来るのかな~。チームは誰と組むんだろ。また師匠たちと組めたらいいな~)
そんなことを思いながら茶々は目を瞑るとすぐに睡魔に意識を刈り取られてしまった。
そして、三時間後も経たないうちに、幸せな眠りは母親の怒声で終わりを迎えることになるのであった。
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