第7話 川上哲治 「努力」 2
私が前回述べた色紙をいただいたのは、1986年3月下旬のある日でした。
その1か月前、とある店に、こんなポスターが貼ってありました。
元巨人監督 川上哲治氏講演 わが野球人生を語る
よくよく見てみると、入場無料とのこと。本来なら縁のないはずの店に入り、その講演の入場券をいただきました。
そして、当日。
岡山県営球場の横の岡山県体育館(現存しません)に、開始時刻の幾分前に行き、用意されたパイプ椅子に腰かけました。確か自由席だったはずです。
この体育館はこの手のイベントも時に行っていて、キャンディーズの解散前コンサートも開催したことがある場所です。アイドルのコンサートだとさすがに音響がどうかなと思うところはありますが、今回は普通の講演ですから、そこはそんなに心配いらない。講演者の声が聞こえさえすれば問題ない。
さてさて、講演が始まりました。
なんといっても30年以上前の話ですから、内容なんて全くと言っていいほど覚えていません。しかし、近年、川上さんが何を話していたのかを思い返すともなく思い返していて、ふと、思い出したというか、肌身にしみこんでいたものを再認識することがありました。
一つ一つのプレーの結果だけではなく、そこで選手が動いたことは、結果として表れていなくても、それがいずれ、大きな形で試合の結果に、あるいはそのシーズンの結果に影響するものなのである。
なるほど、巨人軍監督として日本一9年連続を成し遂げた人だけのことはあるなと、高校生なりに、思うところはありました。
講演終了前か後か、それは覚えていませんが、印刷ものとはいえ、サインボールと色紙をいただきました。色紙は今、自宅のテレビの後ろに飾っています。サインボールは、移転や掃除などをしている間に、紛失してしまいました。
当時私はすでに阪神ファンになっていましたが、「敵」であるはずの巨人軍が単に嫌いなわけではない。いいものは、いいのです。
それはともあれ、この年11月末の日曜日、隣の岡山県営球場で今は亡き岡山日日新聞主催で「阪神VS巨人OB戦」が行われました。川上御大は監督を務めるだけでなく、同世代の青田昇、千葉茂両氏とともに先発出場し、1回表、阪神先発の小山正明投手から中前打を放ち、ベンチに下がりました。
この人が現役だったら、自分のいたライトスタンドに弾丸ライナーの本塁打が来たかもしれない。そんなことを思いもしました。この回、点は入りませんでしたが、青田、川上、千葉の三選手が小山投手から安打を放ち、それぞれそのあと、代走が出たはずです。
川上哲治が現役引退したのが1958年の日本シリーズ終了後。当時私は、まだ生まれていません。監督を引退したのが1974年。
その翌春、監督引退試合で代打で出場し、阪神の江夏豊投手からライトフライを打ち上げた、元赤バットの大選手。監督時代はチームプレイを徹底していたはずですが、最後の最後に、阪神の押しも押されぬエースから、いくらオープン戦とはいえ、あわや安打の大飛球を打った。この人は、村山対長嶋、江夏対王といった対決を目の前にしつつも、チームプレイを徹底して9連覇果たした監督。
でも、本当は、こういう野球がしたかったのかもしれない。現に、選手時代はそういう選手だったわけだし・・・。
江夏対川上の対戦の時はすでに生まれていましたが、見た記憶はありません。
それでも、あのOB戦で、巨人の往年の大打者たちの打席を目の当たりにできたのは、野球ファンとして感無量です。
野球に限らず、スポーツというものは、こうして語り継がれていくもの。その語りをじっくりと聞いていけば、そこから得られる者はいくらもある。そしてそこには、人生の糧となるものが少なからず埋まっているものです。
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